第152話 言った言わない
今、どえらい発言があった。
しかし! オルカもキュロスもサリアも平然としている。周りの人でその部分に関して違和感を感じているのがギャラリーの野次馬だけなのはなんで? 婚約? したっけ? これって今確認してもいいんだっけ? いや、決して嫌って言ってるわけじゃないんだよ? 確認! ただの確認ですからぁぁぁぁ!
と、ここまで考るのに要した時間は千分の一秒だ。
「婚約?」
笑顔のままシェリルにだけ聞こえるように小声で聞いてみる。シェリルがとてもいい満面の女神の笑顔で周りの誰もが聞こえるようにはっきりと答えてくれた。
「ええ、ふたつの月が美しく輝く二人きりの真夜中に、貴方が成人する五年後に私を娶ってくださるとお約束してくださったのだわ。とても、とても素敵な夜だったわ」
オーケー! たった今、外堀も内堀も満タンに埋まったぜ! 俺は確かにそれを言ったし、シェリルが今後五年間、誰にも心許さず、俺のことを待ち続けると高らかに宣言したんだぜ! 俺はどうやらプロポーズしていたらしい。それは確か異世界転生初日の出来事だな!
「ああ、もちろんだよシェリル! この世界で私が最初に必要としたのは貴女だし、そんな私のことを必要としてくれたのも貴女だ。私のような者を受け入れてくれた貴女のことを永遠に大切にすると誓うよ」
そう言ってにこやかに手を取り合った。使用人のみんなが拍手をしていた。ギャラリーがざわついていた。「女と女って結婚できるんだっけ?」とか「おわったー!」とか「尊い」「貴族すげー」とかいろいろだ。祝福系の声はあまり聞こえてこない気がする。というかいろいろ間違ってるしいろいろ不安だ。ウォーカーとオーサーが感情のこもっていない笑顔だ。たぶん、俺の置かれた状況を正確に理解しているのはこの二人だけだ。似たような経験があるのかもしれん。もしくは貴族あるあるだ。
ウォーカーが前に出て「よし、みんなそろそろ仕事を始めるぞー!」と言ってギャラリーを散らせた。そして、シェリルの方を振り向いた。
「シェリル、積もる話があるだろう。サリアと一緒なら心配ないよな? サロンを使ってくれ。オズワルドも最低限屋敷を回してくれれば大丈夫だ。このあとワイマール家に仕えていて奴隷にされていた商人や使用人もここに来るからその都度対応してくれ」
みんながウォーカーに頭を下げた。仕事の開始だ。ユミルとジュリアはその足で馬車に乗って護衛と共に帰っていった。シェリルとサリアをサロンに案内して、俺たちは約定書を精査するための会場である大広間へと向かっていた。俺はウォーカーとオーサーに挟まれている。近衞が取り囲みオルカとキュロスが少し離れていた。ウォーカーが小声で話し掛けてくる。
「ロックよ、シェリルは俺たちの妹だ。あの時、全てを失った中で唯一残った取り返しのつくことがシェリルだった。しかし、我らの力及ばず、今日に至るまでそれが成し遂げられずにいた。お前にシェリルを紹介したのは確かに俺だ。お前に何かを感じながら、それでもまだ子供だとみくびっていたことは否定出来ん。まさかこんなことになろうとは。五年だな? お前のことから目は離さないからな」
「ロック、ワシらの出来なかったことをやってくれたことにはいくら礼を言っても足りんのはわかっとるし、シェリルがさっきやらかしたことも彼女の決めたことであろうから本来であれば何も言うことはない。でもな、ありゃなんだ?」
「弁解はしません。俺は確かにシェリルに言いました。そんなことは絶対にあり得ないから、もし五年後の俺が成人するまでシェリルが独りだったら俺がお嫁さんにするからと。それはシェリルに出会って数時間後に言った言葉です。だけど、今の俺は、あの時そう言った自分を褒めてやりますよ。間違いだらけの人生の中で、それは数少ない正解の内のひとつだと自信を持って言えます。俺は彼女を絶対に幸せにしてみせます」
ウォーカーが俺の肩に手を置いていた手でポンと背中を叩いた。十歳の子供の間違いだらけの人生については聞いて来なかった。俺は奴隷だった。その事実だけで充分だ。二人ともそれ以上何も言わなかった。大人顔負けの言動をする変な子供の俺だ。彼らも戸惑っているのだ。暴れて世直しみたいなことをしているだけなら静観も出来ただろうが、身内が婚約だなどと言い出したらそりゃ心配して当然だ。でもさ、彼女たちはもう俺のものだよ。すでに俺と一緒に国を捨てているもの。だが、そう言い切る前にやらねばならないことがまだまだあったんだよね。
ウォーカーたちでも出来ない金貨五千枚が支払われて身綺麗なまま奴隷娼婦から開放され、二度と会うことは無いと思っていた身内のような人々と再会し、その人たちが俺の使用人になる予定だと聞かされたら、その立場が俺だったとしても舞い上がって何を言うかわからない。だが、彼女はそんな安っぽい思考をする人ではない。何か考えがあるのだろう。五年前倒しの話が必要な予感がする。全てを今日中に仕込む必要がありそうだ。まったく、この世界はイベントだらけだ。誰が娯楽の無い世界だなんて言ってるんだ。
会場である大ホールは、屋敷一階の正面玄関を入って右奥の部屋だ。舞踏会が開けるように三階ぶち抜きのバカでかい、まるで体育館のような広さだ。ただ、俺が根こそぎ掻っ攫った後なので天井にシャンデリアは無い。壁際に集まった『ウェスタリー商会』の一団にはベルガーがいて、俺の出迎えに出られないほど忙しく準備していた。こいつをとっととスラムに返さないと仕入れが始まってしまうぞ。
「ボス、おはようございます」
「おはよう、ベルガー。字が読めて的確な判断が出来る事務員か。こっちには何人出せたんだ」
今日から『ウェスタリー商会』はいきなりフル稼働になる。デミトリー側には十五人の事務員を連れて来たらしい。内容が内容だけにこちらからは奴隷紋がある者にしか頼めない仕事だ。今はウォーカー、オーサー側の担当と段取りを確認中らしい。よく、十五人も寄越せたな。思ったより使える人間がいるみたいだ。
会場隣の部屋を人払いさせてテーブルの上に全ての約定書を『排出』した。その際、それらが保管されていた場所ごとにまとめて置く。ウォーカーとオーサーを呼んで確認してもらう。
「うわぁ。これ、何枚あるんだ?」
「枚数でいうと八万三千六百五十四枚ですね」
「え? 数えたのか?」
いけね。答えなくていいやつだった。これを全て会場に運び出して一番目立つ場所に設置する。守備兵と『再生の大地』の冒険者の二名の担当が監視として常に目を光らせる。どちらかの陣営の人間だけが約定書を管理することなく、必ずツーマンセル(二名体制)での行動となることが厳命された。これを破った場合、スパイ行為と見做されてデミトリー側の人間として処断される。
作業開始の前、ホールでは全担当者を前にウォーカーとオーサーが、この作業がいかに街のため、人々のために重要であるかを訓示した後、俺も登壇させられた。左右を武装した『剣姫』と『疾風』の二つ名を持つ守護神が並び立つ。守備兵たちが救国の英雄のリーダーが登壇したことで好奇の視線が集中する。「まだ子供じゃないか」という思いがニヤケた口元から漏れ出ている者もいる。うーん、めんどくさい。
「『再生の大地』、『ウェスタリー商会』の者共! 貴様達がこの街で役に立つ存在だと少しでも認めてもらうために微力ではない! 全力を尽くす時が来た! この街を救ってみせろ! ただし! 本作戦が成功裏に終わっても貴様達を讃える市民はいない! これは贖罪だ。日陰でこそこそと生きてきた貴様らはこの先も影で生き続けるしかないのは自明の理だ! 生きるために生命を賭して死力を尽くせ! 出来ないという野郎は今すぐ名乗り出ろ! 目の前の二人の刀の錆にしてやる! ありがたく首を差し出せ!」
静まる会場に、キン! と、キュロスが長刀の鯉口を切る音が聞こえる。ゴミ虫どもを見渡す。
「少しは気合が入ったか! お前達は生きる価値の無いゴミだ。生き残るために常に闘え! 以上!」
「応っ!」
全員が唱和した。守備兵たちの「俺たちもグランデールを救う英雄だ」といったどこか浮かれた雰囲気が消し飛んだ。この奴隷たちはただ生きるためにこれをやる。やらない奴は不用品だ。やって当たり前、結果を出して当たり前、それが無ければ死だ。こいつらは死刑囚であり死兵であり奴隷なのだから。
ウォーカーの副官から「作業開始!」の号令と共にあちこちから『死女神』の囁きが聞こえてくる。
これから事務方の闘いが始まる。デミトリー側の悪事を暴く証拠集めだ。約定書の枚数は膨大だ。まずは仕分け、その際、特に重要なものを発見した場合は優先的に報告に回される。
ベルガーの役目が終わったので馬車を手配してスラムに送り返した。
「ウォーカーさん、オーサーさん、とりあえず今日、俺がここで出来ることはもうなさそうですよね。そちらからなにかありますか?」
どん引きしてるふたりが嫌なものを見るような目で俺を見る。いやいや、こいつらはあなたがたを平気で殺そうと狙ってたクズですよ?
「あー、そうだな。屋敷の候補が揃った。それとクラン建物はどうするんだ? 結局冒険者登録はしないんだよな? どちらにせよ奴隷ばっかりだし壁の中に作るのは難しいな」
「ロックよ、ワシの方からはな、商会本部の候補が出たぞ。店舗と本部の建物を一緒にするか別にするかも好きに出来る。担当を回せるがどうする?」
「そうですね。私は壁の中に関しては知識がまったくないので、シェリルの力を借りたいと思います。それで、ワイマール家の使用人ってどのような方々か少しでもわかりますか? 立地条件なんかを判断できる人材がいるならその人の意見も聞きたいんですけど」
「そうだな。まずな、ワイマール家の使用人だった者で貴族家出身の者は当時、生家に返されたんだ。下手に手を出すと面倒だからな。だから今残っているのは平民出身者がほとんどだ。これは商家の方も同じだ。だがこれはな、侮れないぞ。平民出身で残されて重用されていたんだからな。普通に優秀な人材だ。それが数十人単位でいる。間もなく到着するはずだ。正直なところウチもオーサーのところも補充人員として当てにしていた人材ではあったんだがなぁ。シェリルが表に出て来たからな! 全員そっちのもんだな! わっはっはっは!」
優秀な人材を確保する機会を根こそぎ失ったのに心底、愉快そうだ。私利私欲を度外視で物事を判断できるのがこいつらの良いところだ。きっと良い為政者になるだろう。
「では、その方々の到着を待ちましょう。それでクラン本部ですが、ウォーカーさんの言うようにスラムの方に勝手に作るので壁の中には不要ですね。壁の中で護衛任務に就けるメンバー以外は基本的にはそこで暮らします。ただ、それとはまったく別に気になることがあります」
衆目のあるところの立ち話で済ますにはちょっと面倒な話題がある。防音の施されたデミトリーの執務室だった部屋に移動することにした。




