第151話 知らぬは本人ばかり
「お嬢様!」
声の方を見るとオズワルドが呆然としていた。メイドの中には、口に手を当て震える者や、泣き崩れている者もいる。オズワルドが一歩、また一歩と、頽れそうになる身を支えるようにぎこちない歩みで近付いてくる。俺の手に触れているシェリルの手が震えていた。振り返るとシェリルの瞳が大きく見開かれみるみるうちに潤み始めた。危険は感じない。これはむしろそれとは対極にあるものだ。シェリルの手を引いてオズワルドたちの元へと連れて行く。
沈着冷静、厳格な仕事人、執事長のオズワルドの瞳から涙が零れる。メイドや使用人たちも皆、滂沱の涙を流していた。
「オジー、みんな、無事だったのね。またみんなに会うことができるなんて、こんなに、こんなに嬉しいことはないわ」
「お嬢様、よくぞご無事で。生き恥を晒しながら生き延びた甲斐が御座いました」
「みんなのことを、守ってくれたのね。ありがとう……」
その先は言葉にならないシェリルの手を、そんなことは些細なことだとでもいうように目を伏せ首を振るオズワルドが取る。周りを使用人たちが囲み、口々にシェリルの名を呼び無事の再会を喜び合う。
キュロスたちは輪の外にいて誰も近付かせないようにと立っていた。オズワルドが大きな声を出した瞬間にオルカは二刀流になり、サリアの手には杖が握られている。
どうやらオズワルドたちはシェリルの生家であるワイマール男爵家の使用人だったようだ。デミトリーがワイマール家を潰した際に奴隷として働かせていたのか。なるほど、まだ俺にもやれることがありそうだな。屋敷の玄関を見ると人影が見える。シェリルたちが動けるようになるにはまだ時間が掛かりそうなので、その場をキュロスたちに任せて玄関に向かう。
「みなさん、おはようございます。知っていたんですね?」
「おはよう、ロック。良い眺めだよな」
ウォーカーだ。
「ロック、おはよう。うむ。良い朝だ」
オーサーもいる。オーサーの隣に目をやる。
「わしの嫁さんと娘だ」
オーサーの隣には二十台前半にしか見えないふんわりした雰囲気の可愛らしい女性が小さい女の子を抱っこして立っていた。
「はじめまして。オーサーの妻で『真紅の轍』のメンバーだったユミルよ。この子はジュリア。よろしくね」
ユミルは、聞いていた話だと三十代半ばのはずだが、背が低く可愛らしい声と顔、グラマラスなナイスプロポーションといろいろおかしい。女の子は母親の豊かな双丘を押しつぶすようにしがみついていたが、俺のことを興味深そうに見つめていた。母親そっくりな明るい紫水晶色の髪と理知的な瞳が印象的だ。
「はじめまして、ユミルさん。ロックです。そして、はじめましてジュリアちゃん。俺の名前はロックだよ。よろしくね」
ジュリアの目を見ながら挨拶をすると、ジュリアが母親の胸から俺へと両手を差し伸べてきた。
「ロック」
手を伸ばしたジュリアが俺の名を呼ぶ。驚いたユミルがオーサーの顔を見る。オーサーも目を見開いている。娘の行動を咎めないオーサーを見てユミルがジュリアを俺に近付ける。これはこうしてもいいのかな? 貴族家の長女じゃないのか? 俺にも戸惑いがないわけではないが、差し出された子供の手を拒絶するほど人でなしでも薄情でもない。ジュリアが身体を伸ばして俺のところに来た。抱っこされたジュリアが俺の顔を見つめている。
「わたくしの名はジュリアよ。三歳よ」
紫水晶の瞳を興味津々に見開いて右手の指を三本立てながら自己紹介した。
「お名前とお歳を言えてえらいね。俺の名はロックだよ。十歳だよ。よろしくねジュリア」
褒められたことがわかったらしくにっこりと微笑みながら両手をいっぱいに広げて俺に見せた。十歳を表したのか?
「ロックはとってもキレイね」
ジュリアはそう言って俺の髪をとても大切なもののように両手に掬った。黒髪が珍しかったのかな。「髪をほめてくれてありがとう。ジュリアの髪も目もとってもキレイだね」と褒め返すとやっぱりにっこりと笑って「お母さまと同じなのよ」と言った。彼女の両親は萌え死にしていた。
「ふぅ。驚いたな。人見知りをするわけではないが、初対面の者に簡単に心を開くなどということは無い賢いこの娘にしてはなんとも珍しいことだ」
オーサーが微妙に親バカを発揮しながら目を瞬く。ユミルとお付きの乳母たちも同意見のようだった。そんなことを言われても反応に困る。
俺はジュリアを抱いたままシェリルを見てウォーカーに声を掛ける。
「知っていたんですね。この前の意趣返しですか? でもあれは俺たちのせいじゃないと思うけどなぁ」
先日、シェリルが奴隷解放されたことを知らされていなかったウォーカーが俺たちの前で驚きのあまり声を失うということがあった。あれは『夕暮れの泉亭』の使用人たちからのちょっとしたサプライズだ。俺たちのやったことじゃない。
「でもこれで良かっただろ? 彼らの素性を知ったのはな、全員がロックのところで働きたいと言ったあとだ。さすがに不自然だからな。すぐに経歴を調べた。だが、お前さんも彼らのことは知らないようだったし、怪しいところもない。その代わり出てきた情報がこれだった」
「昨日の会談のあとにな、ウォーカーにこの時間にここに来いって言われたんだ。いいものが見られるかもしれないってな。早起きした甲斐があったな」
オーサーがウォーカーの肩に手を置く。ユミルが目尻を拭ったのを見てオーサーが反対の手でユミルの肩を抱いた。バーズも満足気だった。
「ウォーカーさん、オーサーさん、他にもワイマール家と関わりがあった人々がいるかもしれません。探してもらえませんか。ワイマール家は商家ですよね。デミトリーが優秀な人材を自分のところでいいように使っていた可能性が高いと思うんですよ。その人たちが生きているならウチで預かります。もちろん本人の希望が最優先ですが、どんなことでも力になりますと伝えてください」
「うん、それに関してはすでに俺もオーサーも動いている。何人か保護もしている。会わせられる者からその手配をしよう。養生が必要ならウチの宿を使う。動けそうなら一旦ここに集合させようと思っている。今日もこれから何名かここに来る予定だ」
俺の腕の中で大人の会話を興味深そうに聞いているジュリア。君にはまだ早い話だと思うよ。落ち着いたらしいシェリルたちがこちらに歩いて来るのが見えた。ジュリアをユミルに返すと、ジュリアが俺にバイバイというように手を振った。手を振り返してからシェリルに向き直る。
シェリルが少し赤くなった目でウォーカーたちに頭を下げる。
「ウォーカー様、オーサー様、ユミル様、お見苦しいところをお見せして失礼いたしました。このような場をご用意いただきましたことに感謝申し上げます」
そこまで聞いてウォーカーが我慢できずに声を上げる。
「シェリル! いいんだ! 俺たちにそんなに丁寧に接することも頭を下げる必要もないんだ。お前さんは俺たちの妹だ。何も気に病む必要も、感謝もしなくていいんだ」
「うむ。そうだぞ。結局ワシたちがお前さんを救えたわけでもない。そんな風に言ってくれるのはありがたいが、面映ゆくもあるしな」
「シェリル、よかったわね。これからのあなた方により大きな幸せが訪れることを白い月の女神にお祈りするわ」
もう一度頭を下げたシェリルが俺の方に来ると思い切り抱きしめられた。大双丘の間に顔が埋められたけど、うまいこと口が間に入ったのでかろうじて窒息を免れた。お陰で余裕を持って俺も手に力を入れて抱きしめ返すことが出来た。手は腰の上あたりまでしか届かなかったけど。シェリルは俺の頭に顔を埋めると「ありがとう」と呟いた。
シェリルが力を抜いて俺を手放した時、おもわず「ふぅっ」と息を吐いたら、シェリルが俺を窒息させるところだったことに気が付いて大いに慌てた。それを見たウォーカーとオーサーが大笑いしたせいで周りに笑みが広がっていた。サリアが「決まらないわねえ」と言って泣き笑いのような顔をしていた。泣きそうになってるのガマンしてるだろ。かわいいな。
オズワルドが使用人たちを従えるようにして整列し直すと俺に声を掛けてきた。
「ロック様。ロック様がシェリルお嬢様のご婚約者様だとは露と存じ上げませんでした。私どもにとって、これほど嬉しく仕えることの出来る主を得る、そのような未来があったことは望外の望みで御座います。我ら一同、これより誠心誠意、仕えさせていただきます。何卒よろしくお願い申し上げます」
そう言うと、使用人たちがそれは見事に一斉に頭を下げた。
えーと。なんて?




