Substory 05下 長い夜
最初に火球が落ちたあと、ライオネルは屋敷の様子を見て来いとデミトリーの三男のドストエルから命じられた。それに対して「小官は守備隊の兵士です。指揮権を有する者以外の命令に従うわけには参りません」とドストエルの目を見ながら平然と答えた。当然だ。こいつはデミトリーにくっ付いてるだけで何の役職の肩書きも持っていない。民間人の命令に従う軍人なんかいない。馬鹿者と罵ってきたのは守備隊の総隊長だ。それでも平然と見返していると苛立った声で喚き始めた。
「ドストエル様の言う通りにせんか!」
「軍人らしく命令系統に従って正式に命じてください。私は兵士です」
総隊長は恥を掻かされたと言わんばかりに真っ赤になりながら「とっととお屋敷の偵察に行ってこい!」と怒鳴った。
「第三部隊隊長ライオネル・ミドリエフ! 偵察任務に行って参ります!」
嫌味で完璧な敬礼をして踵を返して天幕を出た。出入り口の幕が降りると部下の二人の歩哨が小さい声で「ご苦労様です」と言って敬礼した。ライオネルは再び適当な答礼をしながら、今度はゆっくりと屋敷に歩いていった。やる気の無さをこれっぽっちも隠さないその歩みに歩哨の二人は視線に尊敬の念を込めて見送った。
ライオネルは庭に空いた大きな穴を避けつつ、焼け焦げた芝や庭木を、暗くて表情が見えにくいことをいいことにニヤニヤと見回しながら歩いていた。少しでも楽しい偵察にしてやろうと思っていた。この街で一番の屋敷だけあって無意味にどこもかしこも明るい邸内をのんびりと歩く。鋭い勘で部屋に入るとそこは休憩室で、中には誰もいなかった。きっと逃げ出したのだろう。高級茶と軽食を堪能して充分に休憩をしてから異常ナシという偵察の結果を報告するために指揮所に戻ることにした。
廊下に出るとバタバタとした雰囲気があったが、統制が取れていないのか何を慌てているのかもわからなかった。玄関ホールから外に出ようとすると、目の前を子供の女中が歩いていた。今は戦火の只中だ。火球が降り注ぐ中をこんな子供を出歩かせるなどありえなかった。安全な場所に誘導しなければ。
「そこの女中!」
振り返ったのは見事な艶煌銀青の髪を持つ獣人の少女と、艶やかな黒髪の美しい少女だった。黒髪とはこんなにも美しいものだったのか。
◇
信じられなかった。先ほどまでの清楚で従順な異国情緒溢れる少女は何処だ? そして銀色の野生の狼が疾しり回っていた。もの凄い速さで回っているのに美しさを感じるほどの剣技だ。狼が牙を鳴らす度に誰かの腕が飛び、喉笛を噛み切られて血飛沫が舞った。対照的に黒髪黒目の美しい少女はピクリとも動いていない。吐き出される言葉は辛辣だ。血が吹き荒れる中で返り血の一滴も浴びないその美しさは異常だった。使役されているが如く彼女を守るのは幻の銀色の狼だ。剣が抜けない! 抜いた瞬間に自らに死が訪れるのは明白だった。それでも! この街を守る兵士として戦う覚悟はある! だが、彼女たちが戦っている相手は誰だ? この街の敵とは誰だ? 決まっている。デミトリーとその取り巻きこそが我らの敵だ。彼女こそ天が遣わせた死を司る女神だ!
再び轟音と熱風と共に火球が降り注ぎ、天幕が吹き飛び、銀狼が風のように飛んで血飛沫が舞うと、黒髪の死の女神の隣に美しい女性が立っていた。長身に美しい体躯、そして恐ろしいほどの長剣を携えていた。あんなもの、振れるものか。今度は地上を雷が疾った。みんな死んだ。そして。
え? デミトリーが死んだ。あっけなく。殺されたのだ。俺たちは今まで何をしていたんだ? こんな簡単なことだったのか? これでいいのか? 死の女神が殺した。死の女神が殺すのだから簡単に殺すに決まっている。そのために顕現した『死女神』なのだから。
それよりも俺の目を捉えて離さないのは長剣の彼女だ。ウソだ。それはさすがにウソだ。御伽噺でも英雄譚でも知らない。手練れの剣士を防御ナシの捨て身の上段で頭から真っ二つだ。武の名門、ミドリエフ家の男として滾るものがあって然るべきだったが、彼女に対しては歳など関係なく、畏怖と尊敬の念しか抱けなかった。いつまでも聞こえる美しい納刀の音が耳から離れなかった。
全てが終わると狼とその主人が走って屋敷へと向かっていくのをただ眺めていた。
彼らの二つ名は歩哨の二人のシフトを換えた後すぐに部隊内を駆け巡っていた。『疾風の銀狼』『斬撃の剣姫』『獄炎の魔女』そしてその三人を統べるのは死を司る女神『死女神』だ。誰も何の異存もなかった。
◇
屋敷裏の後宮前に立つ二人には何が起きているのかはまったくわからなかった。誰も来ない。二度目の火球の落下は限定的な感じがした。味方の兵が逃げ惑う喧噪は続いていたが、どうせあいつら第一と第二部隊の奴らだろう。しばらくすると興奮した第三部隊所属の伝令がやって来てデミトリーと三男のドストエル、守備隊の総隊長、副長、第一、第二部隊の隊長が軒並み死んだことが伝えられた。第三部隊は死傷者ゼロだ。そしてオーサー邸も無事らしい。完全勝利? いったい何があったんだ? 同僚の伝令兵が興奮気味に話す。四人の悪魔のような天の使いのような殺し屋の話だ。そいつは興奮が収まらないらしく言ってることが支離滅裂で、にわかには信じられないようなことばかりだった。短剣を使って駒のように回転して、姿が見えないほど素早い二刀流の『疾風の銀狼』のオルカと、銀狼を使役するが如く立ち居振舞う黒髪の死の女神、『死女神』のロックというメイドだって? 何言ってんだこいつ? 仲間に噓つきはひとりだっていない。でもこれは、信じてもいいのか?
◇
司令部に歩哨に就いていた二名の部下はあの日以来、顔を合わせる度に礼を言ってくる。歩哨に選んだことに対する礼だ。奇跡の瞬間に立ち会えた礼だ。他の部下はこの二名に話を聞かせろと何度もせがむ。俺はそれを止めない。聞こえないフリをして話すことを許すが、それは度量のいい指揮官を演じているのではない。俺が聞きたいからだ。俺の見たものが本当だったのだと、あの光景を何度でも思い出したいからだ。あの場にいた降伏した者達もずっとその話だ。生き残った幸運を噛みしめながら、その場にいて見た光景を興奮して話すのだ。あの日の事の取り調べは毎回盛り上がっていた。取り調べを受ける側が喜々として全てを話すからだ。あの場にいた全員が物語の登場人物だった。
◇
夜が明けた。長い夜だった。第三部隊は士気旺盛だった。憎き者共が一晩で全員居なくなったのだ。さすがに表立っては口に出さないが、第一線で動けているこの状況に部隊全体が高揚しているのは誰の目にも明らかだった。だが、この元指揮所にいる者には、事はそう単純でもないという思いがあった。結果、何一つ守ることが出来なかったのは事実なのだ。やっているのは事後処理にすぎない。しかも、デミトリー邸の維持で手一杯でオーサー邸には第四部隊の一部しか派兵出来ていない。第一、第二部隊の全員が黒というわけでもないが、今は全員をグレーとして扱うしかなくて実務に狩り出せなくて人手不足も甚だしい。今後の守備隊の立て直しに頭が痛い。
せめて出来る事をと、野戦指揮所を閉じて彼女たちが過ごしやすいようにと陣地構築し直した。部下たちが張り切ったお陰であっという間に快適な東屋が出来上がった。お茶と食べ物をと思った時には屋敷の元奴隷の使用人という者たちが心づくしの温かい食事を差し入れに来てくれた。『剣姫』と『魔女』と同席して朝食を共にする栄誉に預かれたが、なにもしていないも同然の我が身としては恐縮するばかりだったが、彼女たちはそんなことは一向に気にすることもない様子で、部下も益々彼女たちから目が離せないでいた。
後宮に回された部下に交代を送り込んだら、優雅に温かい食事を食べている最中だから交代はもう少し後にしてくれと言われたと送り出した部下が帰って来た。いったい何が起きてるんだ。その時、ちょうど部下たちの分だと食事を配膳に来たのが解放されたという獣人の少女の女中と、なぜか一緒に食事を運んでいる『銀狼』だった。なぜ英雄が配膳係を? その女中が言うには、『死女神』が後宮の部下たちに温かい食事を手配してくれと直々に進言してくれたんだそうだ。それを美味そうに食事を摂っていた部下が聞いて震えていた。俺も震えた。
◇
ウォーカー様が到着された。沙汰が下されるまで残された時間は幾何か。俺たちはなにもしていないのだ。ただの傍観者でしかなかったのだ。
にも拘らず、また彼女に助けられた。俺たちはこの街を救ってくれた女神たちに何を返すことが出来るのだろう。せめてこの街のために尽くそう。彼女たちが取り返してくれた秩序を守ることが今後、第一守備隊になる我らの崇高なる使命となるのだ。
彼女たちが乗る馬車に全ての兵が敬礼をして見送っていた。
春の陽光の下、ウォーカー様の耳に彼女たちの二つ名が届いた時、ウォーカー様が頭を抱えた。
そして俺に向かって言ったのだ『死女神』は男だと。




