第130話 疲れる人たち
「どなたかしら」
ドアの中から聞こえてきたのは労いの気持ちを感じさせない傲慢な声だった。メイドがドアを開けて声を掛ける。
「ロック様とそのお連れ様がお見えでございます」
メイドがそう報告している最中にズカズカと入っていく。オルカは剣を握ったままだ。メイド服を着た少女が二人。しかもひとりは獣人で剣を握っている。まあ、不審者ではあるな。中には何人もの奴隷のメイドに囲まれながらソファーに座る五人の着飾った美女がいた。真ん中に座る、まだ二十代の半ばかなという若い女が眉を寄せた。
「まったく! 先触れもなければ入室の許可もないまま入って来るとは! しかも女中服を着ているですって!? 作法も何もない、どこの躾のなっていない畜生なんでしょう!」
次に右隣りに座る二十代になったばかりであろうさらに若い女が喚き出す。
「あなたたちのことを言ってるのよ! わかったならここからとっとと出て行きなさい!」
ドアの外を指差して、決まった! とばかりにアゴを上げながら見下してますアピールなのだが……。人を見下す威厳も余裕も迫力も美しさも、何もかもが足りない。今すぐ薄桃色の髪のあんたらより十歳近く歳下の女の子を連れて来て『人の見下し方』の見本を見せてやりたいよ。相手が喜ぶように見下すことが出来てこそ本物だぞ?
そんな風に思っていたら、俺の横に控えていたはずのオルカがアゴを上げながらずいっと前に出た。薄開きの口の口角は上がっているが、その唇の端からは牙のような犬歯がチラリと見えている。冷徹な瞳で不快でしかないゴミを見るが如く見下す。そこから受ける感情は怒りだ。右手の片刃の短剣を逆手から『ひゅん!』と風切り音を鳴らしながら順手に持ち替えると刃を肩に乗せてさらに一歩、ずいっと女達に踏み込む。五人の内の誰かの『ひぃっ』という小さい悲鳴が聞こえた。サリアよ、貴女のなんかよくわからんものがきちんと継承されているぞ。お前、いつもオルカになにを教えているのだ? オルカの忍耐が切れない内にこの憐れな馬鹿どもに判決を言い渡してやらなければ。
「ふむ。お前達がいかに矮小な人間であることかよぉくわかった。デミトリーとドストエルが死んだことは聞いているんだよな? 俺は殺した側の人間だぞ? お前達はお前達自身がどんな力を持っていると思ってそういう態度を取っているんだ? 俺にはそれがさっぱり理解出来なくてなぁ。あまりにも滑稽で笑わずにはおれないんだが。これは俺が無知なだけかもしれん。なぁ? この無知な俺に教えてくれないか。お前達の俺に対する無礼を俺が見逃す理由のことだ」
先程まで人を見下すことに何の疑いも持っていなかった馬鹿共が何も言い返せず口をパクパクしていた。それでも真ん中の女がなけなしの、もしくは生来の傲慢さを振り絞って胸中に宿る思いを言葉に替えた。
「私は貴族よ。尊き者に対してそのような無礼が許されるはずがありません」
俺は笑わずにはいられなかった。
「はっはっ! お前は生まれながらの馬鹿だな。じゃあなんで尊きデミトリー達は殺されたんだ? まぁ、殺したのは俺だがな。俺の隣にいるこの美しい少女が持つ刃がお前達に届かないと思える根拠はなんだ? 貴族は尊い? なぜだ。理由を言え」
無いものを出せと言われた愚かな娘がそこにいた。わがまま放題育てられて自重を知らない、他者を敬うことも知らない、身分だけが人との関係を作る物差しという傲慢貴族だ。愛人だというからてっきり平民の女中か街娘にでも手を出したのかと思っていたが、どこぞの貴族の娘だと言う。それにしてもこの娘は、なんともったいないことをしているのか。生まれながらにして特権階級というこの世の春を謡える立場であったのに、どうして愛人などという矮小な未来を選んでしまったのか。いや、それが最も手っ取り早く、より高い身分を得るために己の武器である美を使った当然な行いだったのだろうか。俺が暴力により自由を謳歌しようとするのと同じように。彼女たちがこんな人間になってしまったのは彼女たち自身の責任ではなく、身分差が全てを決めるこの環境や教育や社会のせいなのかもしれない。
じゃあ、貴族以外の世界はどうだ? 身分差が人の生きる物差しではないスラムでは? そこにある物差しは暴力だ。暴力が強い者が弱い者の上に立つのだ。
では前世現代社会は? そこでは経済力が強い者がそうとわからないように弱い者の上に立つのだ。
結局、その時代、その社会によって物差しが変わるだけだ。人の上に立つ者は下になる者の犠牲により成り立つのだ。
それが嫌なら社会から出て人と関わらず一人で生きて早めに一人で死ぬしかない。だが、それは人の生き方ではない。それは孤独な動物の生き方だ。人は孤独な獣ではない。
「俺の隣に立つ美しく強い娘を見ろ! お前たちを一瞬の内にただのバラバラの肉の塊に変えることの出来る技術と力を持っているがその力を行使せずに耐える精神の強さを知れ! 貴様達のような傲慢で役に立たない者に慈悲を与える彼女の優しさを知れ! 彼女を見ろ! 彼女こそが尊き精神を持つ者だ! お前達のような虚栄心に塗れた俗物共が尊いなどという世迷言を俺の前で口にすることは金輪際許さん!」
奴隷の女中で立っていられる者は誰もいなかった。愚かな自分の主人がこの部屋の支配者の怒りを買ったことを知り、己の命運の尽きたことを自覚し、もはやこの先、生きていけるなどという甘い考えは諦めるしかないのだ。自らはこの世界の社会的階層の最下層であるはずだったのに、そこにさらに階層を求めたことは、この愚かな貴族の娘のやっていることとまったく同じことだった。
こいつらを再教育する必要性は感じない。俺は聖職者じゃない。俺は暴力の世界を生きる支配者なだけだ。身分制度を許さない、原始社会の異端の支配者だ。俺は前世世界から不要だと捨てられたことをまだ忘れられないでいる。いや、捨てた相手を恨んでいる。戻れない平和で便利だった社会を望み続けているのだ。だからこの遅れた文明社会が大嫌いだ。嫌いなものは壊してやりたい。より良い社会制度? 嫌なこった。こんな世にしたのもこの世界の超常なる者だろう。お前らの理想を叶えるための駒になる気は無い。言ったろ? 壊してやりたいだけだと。それを嫌というほど思い出した。だから傲慢な権力者には会いたくなかったんだ。
こんな馬鹿共の相手をする時間はこれ以上持ち合わせていない。こいつらは俺の精神にとって有害ではあるが、躓く可能性のある石以下の障害だ。要するに無視していい存在だ。こいつらが最初から頭を下げ、自らの身分より下の者たちの助命を懇願でもされていたら面倒な仕事が増えるところだった。そうされたら支配者としての度量を見せねばならなかったからだ。俺の仕事が減ったことで俺は気楽になった。そう思うとさっきまでの不快感は晴れ、俺のために怒りを表す銀色の美しい狼が可愛く思えた。
俺は俺の相棒に近付くと久しぶりに正面から軽く抱擁しながら優しく頭を撫でた。
「オルカ、俺のために怒ってくれてありがとう。オルカの優しさのお陰で俺は今、とても気分が良いよ。俺の気分をここまで良くしてくれたんだからこいつらもそれなりに役に立ったのかもしれないね」
あまりにもひねくれた俺の言いようにオルカはそれを理解出来なかったかもしれないが、俺の気分が自分のお陰で良くなったということがわかって嬉しくなった。それはその屈託の無い笑顔を見れば何も言わなくてもわかる。俺はその笑顔を見て更に気分が良くなった。二人で見つめ合えば幸福感が無限回転して歯止めが効かなくなりそうになる。この無限回転の処理の仕方は愛し合うことだけなので無理矢理視線を切って部屋を出ることにする。
この部屋はこのままでいい。不愉快な出来事を思い出しそうな物は持っていても仕方が無い。オルカの右手の片刃の短剣を『収納』するとオルカが両刀の短剣を納刀する。左手を差し出すとオルカが右手で握ってきた。俺は幸福感を胸に部屋を出た。その後、手を繋いで各部屋を回り必要になりそうなものは全て回収した。大量の服と貴金属と、カトラリー、趣味のよろしくない派手な調度品などだ。
屋敷から出る外扉に手を掛けて押し開こうとしたら向こう側から開けられた。眩しい朝日が目に入り二人でしばらく目を瞬いてその場に立ち尽くした。明るさに慣れて、それでも手のひらで目の上に庇を作って周りを見ると、扉を開けてくれた歩哨の二人が伏し目がちに胸に手を当てて賓客を迎えるが如き礼をしていた。
「おはようございます。オーサー邸の情報は何か聞いていますか?」
そう声を掛けると、俺からの声掛けが意外だったのか、二人が驚いていた。
「お、おはようございます。オーサー様のお屋敷の戦況ですが、はい、えー、オーサー様もご家族様も全員ご無事であると聞き及んでおります。襲撃者は撃退、あるいは捕縛し、あちらも事後処理に入っているとの報告でしたが、詳しいことは我々は分かりかねます」
うん。第三部隊は優秀な部隊だ。ちゃんと仕事したんだな。
「昨夜から徹夜になってしまいましたね。混乱が収まるまではもう少し掛かると思いますが体調に気を付けて頑張ってください。第三部隊は優秀な兵士が揃っているようですね。中の人達に頼んで何か温かいものでも持って来てもらいましょう」
そう言って別れの挨拶をして屋敷に戻った。オルカが別れ際に「ゴクロウサマデス」と笑顔を振り撒いたらビシーっと返礼されていた。なんか俺とは違う尊敬というか畏怖というか、とにかく違いを感じながら、食堂にいる彼らがまだそこにいてくれることを祈って手を繋いだまま歩き続けた。




