第125話 権力と暴力
野戦司令部では天幕が無くなり、近衛兵は頭を潰され、高位貴族が腕を斬り飛ばされ、周りを火球が取り囲んでいた。
再出撃に備え整列を始めていた第一、第二部隊の兵士は再び始まった火球の攻撃に恐怖して崩れた壁から敷地外へと逃げ出していた。天幕があった場所では数人の魔法使いが小声で詠唱や印を結んで魔力を練り始めていた。
俺から見てデミトリーの左隣とその奥にひとり。それと俺の右後ろでも魔力を練っている奴がいる。頭頂に岩石を落とそうと思った時にはオルカが消えるような速度で襲い掛かっていた。
オルカは俺の目から見ても消えていた。オルカのスキル『縮地』だ。次にオルカの姿が現れた時、オルカはデミトリーの左横の空中で逆さになって右手の片刃の短剣で魔術師の首を斬り裂いていた。そのまま空中を駒のように回転しながらさらにもうひとりの首を左手の短剣で一突きして集団の向こうに着地するとそのまましばらく走り続けた後、停止した。『縮地』の移動速度が速すぎて移動が終わった時にうまく停止することが出来なかったのだ。身体強化の練度も己の肉体もまだスキルに負けているのでこうなってしまう。空中に放り出されるだけなら着地でなんとかできる。オルカは身体強化による移動速度も速いのだが、スキルの『縮地』による移動は正に瞬間移動並みの速度だ。異空間を通り抜けるテレポーテーションではない、純粋な移動速度アップなので制御が難しい。まだ一方通行の攻撃にしか使えない状態だが、今後の成長と使い方次第ではとても恐ろしいスキルになりそうで楽しみだ。
オルカが着地したタイミングでキュロスが俺の右後ろで詠唱を唱えていた魔術師の横を走り抜けていた。そのまま俺の右横に立った時、彼女が左腰に差した長剣は鞘に収まったままだったが、そこからは刀を収めた時の『キーン』という美しい納刀音がまだ鳴り響いていた。ずっと聞いていたくなるような綺麗な音色だ。この音が鳴っている間は呼吸さえ許されないような厳粛な雰囲気がある。俺は思わず目を閉じて聞き入ってしまった。そして、キュロスが居合で首を斬ったであろう瞬間も俺にはよく見えなかった。
オルカが首を斬り付け、刺した二人の魔術師の斬り口から噴水のように血が吹き出す。鮮血を浴びる取り巻きの貴族達がそのあまりの血の熱さに驚いて悲鳴を上げて逃げ出す。俺の近くにいる有象無象共も俺たちから離れようと一歩、二歩と後ずさる。そいつらのひとりがキュロスが斬って詠唱を止めた魔術師に触れると、そいつの首がぐらりと揺れて地面に落ちた。それでも倒れなかった首なし死体からも熱い血が迸るといよいよ取り巻きがパニックになってバラバラに走り出して逃げようとする。炎の壁に阻まれ逃げる場所など無いのに。そして、サリアの唱える鈴が転がるように軽やかな詠唱が聞こえた。
「チェインライトニング」
ビッシャァァァァァアッ!
青白い稲妻が縦横無尽に走って逃げ出した貴族達を襲った。右往左往していた貴族達を稲妻が奔り抜けると全員その場で動きを止めた。彼らの髪はチリチリに焼けこげ、鎧の隙間から白い煙を吐き出していた。そしてパタパタと倒れた。
自ら作り出した炎の道を歩き終えた小柄で人形のように可愛らしい若き天才魔法使いが黄色い宝玉が煌めく魔杖を掲げながら口角を上げて声を出さずに嗤っていた。
さっきまで取り巻きに囲まれ尊大な態度を崩そうともしなかった初老の男が今はひとり、大量の返り血を浴びてポツンと立っていた。
「おい、お前。なにか言い残すことはあるか? ないな、じゃあ死ね」
口を開きかけた尊大な態度の年配の男の腹の正面から五キログラムの岩石を自由落下時の終端速度である時速三百キロでゼロ距離『排出』。当たった瞬間に岩石を『収納』したが、身体はそのままくの字に折れ曲がりながら後方へぶっ飛ぶ。全ての内臓が破裂して即死だった。俺はお茶の載ったお盆を持ったまま周りの生き残った連中に声を掛ける。
「お前ら。今すぐ全員殺してもいいがどうする。嫌ならここに一列に並んで座れ」
何人かの騎士と兵士が腰の剣に手を伸ばした。剣を抜こうと『カチャッ』と音が鳴った奴からオルカが全身重装甲の隙間に短剣を突き刺し、軽装甲の兵は首を斬り裂いた。森に行こうともしないような街の兵士じゃあ覚醒した冒険者に敵うわけもない。
俺の後ろでは長剣を抜いた用心棒として雇われたであろう冒険者にキュロスも長剣を抜いて大上段に構えて正対していた。あの時の紙一重の対峙を彷彿とさせる光景だった。
「おぅらっ!」
冒険者が裂帛の気合で袈裟懸けに斬り掛かると、後から動き始めたように見えるキュロスの振り下ろした長剣が革鎧に身を包んだ冒険者を頭頂から股間まで真っ二つに斬り裂いた。つい最近当事者だった俺からしたらゾっとする結末になったのだが。え? 人間ってそんなことできるんだっけ? ちょっと俺にも意味がわからないことが起きた。キュロスがとんでもない速さで長剣を振って刀身の血を飛ばすとそのまま剣を鞘に納めた。その瞬間、全員の耳に『カキィィィィィィィン』という美しい納刀音が聞こえた。あの時にこれをやられていたら俺の方が二つにされていたよね。やっぱりキュロスが精神世界で戦って抵抗してくれていたんだってことがよくわかったよ。
いつの間にか俺の右隣に立っているサリアの魔杖の黄色い宝玉の周りではパチパチと雷が放電を繰り返していた。
長い長い納刀音の余韻が終わると生き残った首脳陣の騎士や兵士たちが抵抗を諦めて膝を付いた。腕に自信のある壁の中の冒険者たちがまだ立ったままだ。彼らにはもう契約紋も誓約紋も無い。俺は指揮卓まで行ってお盆を置いてカップに温かいお茶を注いでひとくち飲んだ。うん。やっぱり紅茶はわからない。
サリアが対峙する十人弱の冒険者たちを低い背で下から見下しながら嬉しそうに嗤っている。俺はサリアの横にソーサーとカップを持ったまま立つと冒険者たちの顔を見た。
「お前たちの事情は知らんが今回は相手が悪かったな。お前たちを殺す前にひとつ提案をしようと思うが聞く気があるか」
片手剣と片手盾を持つ剣士が代表するように答える。
「まさかデミトリーがこんなに簡単に殺されるとはな。しかもこんな子供に」
まあ、そうだろうな。スキルや魔法のある理不尽なこの世界は油断大敵だよね。
「今度俺の立ち上げるクランに誓約奴隷として所属するなら今ここで命を獲らなくて済む。やるかやらないか。好きな方を選べ」
ソーサーとカップを持った俺の左にはオルカ、右にキュロス、後ろにはサリアがいる。向こうはさっきひとりが真っ二つになったから二パーティーからひとり引いて残り九人だ。ジリジリとする時間が過ぎようとしたその時、オルカがふいっと敵に背を向けてスタスタと指揮卓まで歩いて行って短剣を置くと、自分が運んで来たお盆に載ったパンとベーコンを食べ始めた。そうだね。お腹が空いたんだね。こんなタイミングで俺の側を離れるなんて、今までに無いオルカの行動だ。過保護じゃなくなって俺自身の戦闘力を信頼できるようになったのは人として良い傾向だ。俺は俺の教育の正しさを感じながら気分良く座っている正規兵たちに向かって声を掛けた。
「おい、お前らもやる気があるならあいつらと一緒になって向かって来てもいいぞ。やる気があるやつは武器を持って立て」
とうとうサリアが声を出して笑い始めた。そして俺に向かって「わたしにもお茶を淹れなさいよ」と宣ったので「かしこまりました。お嬢様」と言って恭しくお辞儀をしたら愉悦の表情で「良いわぁ」と手を叩いて大層お喜びになった。俺が三人分のお茶を淹れている間、その場で立っていたのはキュロスとサリアの二人だけだ。淹れたお茶を皆に渡して冒険者に向き直る。俺のお茶はすっかり冷めてしまっていたので一気に飲み干してカップをソーサーに置いた。




