第112話 アレキサンドライト
禁断の金色の装飾が施された大扉が誰も触れていないのに音も無く開いていく。俺の前をシェリルが進む。広い。個人の部屋なのかこれ? 城のような娼館の裏にこんな巨大な建物があったっけ?
「ジーナ様、お客様をお連れしました」
シェリルが簡潔にそれだけ言うと少し右にズレながら俺の方を向く。シェリルの視線に促されるように正面を見る。
ハイヒール。上品なシルバー。
身体のラインがはっきりわかるほどフィットした銀色の柔らかそうなワンピースのようなドレス。
均整の取れたスラリとした体躯はシェリルともキュロスとも違うが、これ以上ないほど煽情的で健康的で女性らしく美しい。
細い糸のような肩ひもから大胆に覗く抜けるように白い肌。
光っていた。
恒星耀金。悠久の時を自ら輝き続ける星の黄金。
恒星耀金の髪色。それ自体が光っているのではないかと思えるほど美しい髪。
その瞳は見る度に、光が当たる度に、色が変わる。
まるで金緑石だ。
昼はエメラルド、夜はルビー。
鮮やかな青緑から怪しい赤紫へ。
アレキサンドライトの瞳。
美の結晶。
尖りのある耳。
エルフだ。
美の洗礼を超えて何かが俺の中へ入り込もうとしている。
不快だ。
控えろ!
「あら。まだずいぶんと幼く見えるけど。強いのね」
神秘の国から鳴り響く涼音のような落ち着いた優しい、少し楽し気な声。
「はじめまして。ロックといいます」
しばし無言の二人。
気まずくなりそうになる手前で美しい妖精が口を開く。
「ごめんなさいね。不躾だったわ。久しぶりのお客様に失礼しちゃったわね」
三人娘からふっと力が抜けた。
「私の名はジーナ。ここではね」
小首を傾げながら少し考える素振りを見せたあとひとつ付け加えた。
「でも本当の名前はフランシーヌ・プレアデスというの。フランって呼んでね」
三人娘は驚きのあまり呆然としている。真名かな。俺も昔の名前を名乗りたくなる衝動が起きたがすぐにそれも消えた。
「俺は、ロックです」
エルフが口元に微笑みを浮かべる。
「うん、そうね。そうなのね。あなたはそれでいいわ」
俺の中になにを見たんだろう。俺にはこの人のなにもわからない。ただ、少し寂しそうだ。
「そうだね。俺さ、こっちにはまだ友達が少なくてさ。シェリルたちと知り合えて本当に助けられたんだよね。それはでも、フランのお陰だったんだね。よかったらさ、フランも俺の友達になってよ」
三人娘が目を見開いて俺を見つめる。いや、だってこの女がフランって呼べって言ったんじゃんか。
「あら。うれしいわ。お友達が出来るなんていつぶりかしら」
そう言うといつの間にそこに来たのか俺の右腕に自分の左腕を絡めて引っ張って歩く。残った左手をオルカが繋いできた。舞うように歩くフランに連れられて大きなソファに案内されて座らされる。
「みんなも早くこっちにいらっしゃい」
呆然としていた三人が遠慮がちに向かいの席に座る。
「ロックは皆んなと仲が良いのよね?」
「そうだよ。三人ともとても良くしてくれたんだよ。だからここでは一番大事な女たちだよ」
「あら。お熱いのね。いいなぁ。私もそんなひとがほしいわぁ」
そう言っていたずらっぽい笑みを浮かべながら青緑色の瞳で上目遣いに見てくる。
「それー、本気で言ってるのかなぁ」
大きく口を開けて驚いた顔を作りながら小さく咳払いをする美エルフ。とても幼い女の子のようだ。赤紫色の瞳で俺を正面から見つめる。
「本気です。まずはお友達からお願いします」
そう言って頭を下げながら右手を差し出してきた。お前、果てしなく怪しいな! ここで「ごめんなさい」って言いたくなる衝動を抑えてその手を両手で包む。
「美しいエルフよ、私でよければいつ、いかなる時でも貴女のために馳せ参じると約束しましょう」
俺がそう言うと翠玉色の瞳を上げた。
「言ったわね。男に二言は無いわよ」
言質を取ったと嬉しそうだ。
「嘘は俺が生きていく上で最も忌避すべき事柄のひとつだからね。俺が約束と言ったら絶対に守るよ」
少女にも女性にも見える淑女が嬉しそうに呼び鈴を鳴らした。どこから入ったのか奴隷紋のある美しい女中が飲み物と菓子の載ったカートを押して給仕を始める。
俺は匂いで一発でわかった。なんてこった。
「どお? 珍しいでしょ?」
珈琲だ。この世界にもやっぱりあるのか。どこまで見られたのかわからないけれど、もういいや。たぶんこのひとには勝てない。勝てないけど敵じゃないならそれでいいよ。
「へー。コーヒーでいいのかなこれ?」
熱いコーヒーをひとくち啜る。苦味と香りを楽しむ。これを飲んだら自分が誰だかわからなくなるかもと思ったが大丈夫だった。俺はロックだった。
「うん。ありがとう。自分が誰だかわかるような味がしたよ」
「ロック。ようこそ私のお城へ」
金緑石の瞳はもう妖しくなく、ただ美しかった。
隣のオルカは御菓子と飲み物に夢中だ。女中さんが付きっきりでいろいろ教えてくれながら御相伴に預かっている。ずいぶん気に入られたな。三人娘はまだショック状態から抜け出せないようで飲み物は飲めるが食べ物は喉を通らない様子だ。
「フラン、今日は大事な用があって来たんだよ」
「そうね。とても大事なことだわ」
金緑石の瞳がくるくると色を変える。
「自分の不甲斐なさを恥じるばかりだけど。まずはキュロスとサリアを解放させてもらうよ」
三人共が息を飲む。
「金貨は何枚かしら」
エルフがジーナとして二人に向かって問いかけた。
掠れる声でキュロスが答える。
「千枚よ」
震える声でサリアが答える。
「五百枚だわ」
ジーナが俺に向き直る。
「ロック、あなた、ずいぶんと好かれたのね」
彼女たちの取り分の金貨が含まれていないからだが、そんなことは最初からわかっていたというような調子だった。
「だとしたらこれ以上光栄なことはないね」
ジーナの目の前のテーブルの上に金貨千枚と五百枚の山が現れる。ゲットーファミリーの本拠地でかき集めてギリギリふたりの分にはなんとか届いた金貨だ。またどこからともなく奴隷の女中が二名、それぞれがカートを押して現れる。テーブルまで来ると金貨の山を数えながらカートに載せていく。あっという間に千五百枚の金貨を載せ終わるとカートを押して消えて行った。金貨を数えてカートに載せる間、俺とジーナは見つめ合っていた。俺は七百五十枚の金貨が載ったカートの重さがどれほどのものかは考えないようにしていた。
女中が消えると美しいエルフは瑠璃色の瞳で弾ける笑顔を見せた。美しいエルフが二枚の約定書を手に持っていた。
「ロック、これはあなたのものよ。あなたとの再契約は必要かしら? なんて聞くまでもないわね」
それを受け取りソファーから立ち上りふたりの元へ。ふたりも立ち上がり俺のところへ。サリアが俺の右から腰に手を回ししがみつく。キュロスが左側から俺の右の肩に手を回す。ふたりの微かに潤む瞳を見つめてから奴隷契約書を掲げて手を離す。
微かな音と共に光るように燃え尽きた。
サリアがブルっと震えたのがわかった。俺は空いた右手をサリアの肩に回す。左手はキュロスの腰だ。サリアが胸に、キュロスが頭に顔を埋める。ふたりの美しい顔に奴隷紋は、ない。
「シェリルさん、もう少し待っていてください。そんなにはお待たせしないつもりです」
ジーナが興味深そうに微笑んだ。
「シェリルはちょっと大変よ。がんばってね」
他人ごとのような心底応援しているような。彼女の瞳と同じで本心のわからない言い方だった。
「うん。俺、約束したから。それは守るよ」
今度こそエルフは楽しそうに笑った。




