第104話 高額報酬でいこう
三十路独身男のビートが思いつめた顔で声を掛けてきた。
「俺を雇ってはもらえないだろうか」
「え? 自分の店はどうするの?」
「いや、もう無理だ。俺はここでやれることは全てやろうと俺なりに考えて店をやってきた。それなりに自信もあった。だけどもう無理だ。ここでこれを売っているのにすぐ近くで今まで通りに店は開けない」
「いや、売る相手も商品も違うんだからお互い気にしなければいいだけじゃないか」
「客の立場ではそうかもしれないが、俺自身が納得できないんだ。一日銅貨二枚でどうだろうか」
「あー、日当な。カレンさん、これ今日の追加報酬です」
そう言って銅貨二枚を渡す。ルシア、メアリーにも二枚ずつ渡す。他の『銀狼の牙』のメンバーには銅貨一枚ずつだ。思いがけない報酬に対してみんな呆然としている。
「カレンさん、明日は店を何時に開けますか」
「え、はい。商業ギルドが開くのが鐘二つ(八時)です。朝はみなさんここでは食べないので、鐘三つ(十二時)の間に開ければいいかと思います。やはりお昼からしか売れないと思うので」
俺もそう思う。朝から食うには重いよね。鐘は壁の中で鳴ってるやつでここにいても小さいが聞こえる。朝四時にひとつ、そこから四時間置きにひとつずつ増えて最後が午後四時の鐘四つの一日四回鳴る。スラムでは、無いよりはマシな目安みたいなものだ。
「それでいいと思います。当面の間は鐘四つ(十六時)が鳴ったら終了にします。それ以降の営業は試験期間終了後に考えます。ただ、カレンさん、壁の中の冒険者がこれを知ると朝の出がけにこれを買ってから森に行くようになると思うんですよ。それと、昼メシ用に持って行けるようにしたらもっと売れると思うんですよね。そのあたりのリサーチもしていきましょう」
ちょうどこの場所って壁の中かから森へ行く通り道なんだよね。弁当作ったら馬鹿売れの予感しかない。客が行商人だけではないことを俺に指摘されたカレンさんが悔しそうだ。そして皮算用を始めて驚愕の表情になっている。こりゃえらいこっちゃで。
一番の串肉屋のビートが口を挟む。
「試験期間というのはなんだい?」
「今はこの串肉屋がここで商売として成立するかどうかをテストしているんですよ。全部で十日間のつもりです。今日が二日目ですね。今日は開店御祝儀でお客さんがたくさんいましたが、この値段でここで永続的に商売になるかはわからないので。最悪、残り八日間でこの店は無くなるかもしれませんが、それでも良ければ残り八日間は一日銅貨三枚で雇いましょう」
「頼む!」
即決即断だった。チャンスは逃さないタイプか。ひょっとして自分の力で客を呼び続けて試験期間以降も営業を続けさてやるぐらいは思ってそうだな。
「カレンさん、どうですか? 助手としてビートは使えそうですか。店長の意見を聞かせてください」
突然、店長になるカレンさん。
「え、はい。そうですね、仕事も丁寧だったので大丈夫だと思います。あとはお客さんに対する接客態度が明るくなればもっといいですね」
笑顔でズバっと切れ込んで来る。あの大忙しの大混乱の中、よく見ている。ビートは恐縮しきっている。
「と、いうようにカレンさんは非常に厳しい商売人の目を持っています。貴方は料理人としてだけではなく、商売人としても成長する気がありますか? 貴方が料理人として技術や向上心を持っているのは知っています。ただ、今私がやっているのは屋台です。お店の厨房に籠って働く料理人ではありません。いきなりメアリーさんほど優秀な店員になれと言うつもりはありませんが、それなりに成長して結果を出していただかなくてはこの新規店舗で働かせるのは私としても厳しいのです」
「よくわかりました。これは私にとっても飛躍するチャンスです。正直、ここまで自分を賭けられるものがこのスラムにあるとは思っていませんでした。ぜひ、お願いします」
こいつの言動もちょっとおかしいな。スラムじゃないなこれ。こいつも流れ者か。俺は右手を差し出す。
「では、明日からよろしくお願いします。それと、余裕があったら今は試験販売中だって客にも言っていきましょう。それで、試験期間以降も店がある場合は値段が小銅貨四枚になるだろうって言っておいてください。エール付きは五枚ですね」
まずは明日も一台の屋台でスタートする。売れ行き次第でもう一台追加で借りるのもアリの方針でいくことになった。妻子持ちのガーニーがビートの背中を叩いて喜んでいる。
『黄金の獅子醸造所』は開店前に酒樽を卸しに来て、昼時にもう一度来て追加が必要そうならそこで追加、閉店時に酒樽の回収という段取りを決めてメアリーを実家の酒場に送りに帰った。
『銀狼の牙』は試験期間中はひとり銅貨一枚で店の警護から雑用まで何でも屋としての雇用が決まったところで今日は解散となった。俺はライズたちに話があったのでアーノルドたちに銅貨を渡して今日の戦利品を『夕暮れの泉亭』に運んでもらうバイトを頼んだ。
カレンさんと円卓に座って話だ。三人は少し離れていてもらう。
「カレンさん、個人的なことに踏み込んで質問する失礼をお許しください。カレンさん、今、借金はありますか」
カレンさんが息を飲んだ。泣きそうな顔だ。ライズたちに顔が見えないよう座り位置を考えておいてよかった。
「あります。とても大きな額です」
「そうですか。なんとなくそう思っていました。お力になれるかわからないのですが、お聞かせ願いますか」
息子が信頼する女の子にしか見えない男の子。貴族ではない。昨日からの付き合いしかない。けど、何か感じるものはあるはずだ。普通ではないと。少しでも信じてもらえたら、いや、言ったところで別に不都合も無いなら言ってもいいだろうとでも思ってくれればいい。
カレンはポツポツと話し始めた。またしても五年前の戦争だった。夫が戦死した。自分の知らない取り引きの損失が出たと言って店の権利を奪われ、借金を背負わされ、奴隷になりかけた。戦争の匂いを嗅ぎつけていた夫婦は念のために財産を分けてあった。その隠し財産のお陰で家族三人の奴隷落ちだけは回避できた。でも、借金全額返済にはとても足りなかった。
そういう話だ。どこにでもある話だ。どこにでもある許せない腐った話だ。債権はスラムのゲットーファミリーが持っているそうだ。なんでだよ。壁の中の借金をなんでゲットーが持ってんだ。この世界が狂ってるのか? 本当にそうか? 狂ってるのは許せない悪党だな。俺に関わった人間がこういう理不尽な目に苦しむのはダメだろう。
全てを話したカレンはうなだれた。誰にも言えずにいたことを話して気が抜けたのかもしれない。ライズもルシアも知らないことかもしれない。円卓の上で握りしめられ震える両手を俺の小さな手で包む。
「カレンさん、お話しいただきありがとうございます。よくわかりました。五年ですか。よくがんばりましたね。それでは今からそいつらに話をつけにいきましょう。あー、カレンさんはご心配なさらず。今日はやつらのところに借金返済に向かうつもりだったんですよね? 今日は私も付いて行きます。少し離れて行きますので、先を歩いて場所だけ教えてください。何があっても私と知り合いだとは名乗らないで知らんふりをしてください」
カレンも見ないフリはしていたが今日、広場で何が起きたかはわかっている。ここにいる全員が知っている。今もよく見ればそこには血だまりがある。俺が孤児に小銭を握らせて死体を処理したのも知っている。もちろん、こっそりとザイツェフだけは俺が持っているがそれは誰も知らない。その俺が今からゲットーファミリーに行くと言ったのだ。期待と不安と恐怖と憎い奴らを血祭に上げられるかもしれないという昏い欲望に火がつくのを恐れていたかもしれない。
しかし、最後にはやはりカレンも期待を込めて「はい」と頷くしかないのだ。




