第101話 真夜中の悪魔と真昼の女神
スタジアムを巡るウェーブのように円形広場をざわめきが周り始めた。なんだこれは? こちらからは見えないが冒険者ギルドを周って円形広場を周回するようにざわめきがぐるりとこちらに近付いて来る。
ざわめきの原因が見えた。馬車だ。漆黒に銀の華模様を纏わせた華麗で荘厳な造りだ。この国では金色の装飾は皇族にしか使えない。だが、この黒と銀はそれ以上に豪華絢爛ではないか。まるで夜を支配するが如き全てを飲み込む闇夜の黒だ。夜を彩る華麗な銀が表すものは……。
馬車は屋台の目の前の馬車道のど真ん中で停まる。行商人が散って馬車と屋台の間に目に見えない道が出来上がる。シルクハットを被り一分の隙も無く燕尾服を着こなす老紳士の御者が背筋を伸ばし御者台を降りるのに合わせ、そこら中から人が集まって来る。屋台と馬車を取り囲む大きな輪が形成されようとしていた。
主賓が霞むであろうほどの夜間の最高位正装を着こなす御者が扉の前に階段を設置する。俺は階段の下へ進み出て出迎えの準備をする。御者が恭しく馬車の扉を開けて固定する。中がまったく見えない闇に支配された箱馬車から現れたのは美しい小悪魔だ。黒に銀を散らした夜空のように美しいドレスの裾には、入ってはいけないところまでスリットが入っている。ゆっくりと階段を降りる度、その隙間からは日光の下になど晒されたことがないように思えるほど白い太腿が艶めかしく現れては消える。明るい薄い桃色の髪が陽光を跳ね返して光って見える。幼さの残る顔だが見る者が時々感じる妖艶さは何だ? その挑発的に見下すかのような眼差しか? この娘にならこんな目で見下されたい。それともツンと上げた顎と微かに吊り上がった口角か? この娘の口から咎められる罵詈雑言を浴びてみたい。この一見幼く見える彼女に背徳の感情を促されない男は男ではない。銀のカチューシャの黒髪の美少女が手を取って今、昼のスラムの地に悪魔が降り立った。その手を美しい銀色の狼が笑顔で引き継ぐ。
次の瞬間、広場が感嘆の溜息に包まれる。
純白のドレスを身に纏う女神だ。女神がこの地上に降臨したのだ。ドレスの上からもはっきりとわかる女性さえも見惚れる完璧なプロポーション。黒髪の美少女が伸ばす手に手を置き微笑んだ時、再びおぉ~という歓声とも溜息ともつかぬ声が広場を支配した。慈悲と慈愛に満ちた瞳と泣き黒子に庇護欲と征服欲を極限まで高められ、ドレスを押し上げる双丘の谷間に感じる欲情を恥じ、そこから引き絞られるウエストの細さに目を疑い、再び目を奪う腰回りに全ての男が平伏するのだ。
最高級娼館『一夜の夢』だ。
店は、ある。
すぐそこだ。
彼女たちは、いる。
見た者はいない。
誰も声に出さないが今、この瞬間、この場にいる全員がわかった。
彼女たちは娼婦だと。
奴隷紋がある。
なぜ今まで気付かなかったのか。
「シェリルさん、サリアさん、いったいどうしたんですか。外を出歩くなんて珍しいじゃないですか」
「ふふふ。だって、いつもあなただけ楽しそうなんですものぉ」
「あんたばっかりズルイじゃないってことよ。ふーん、これがあんたの屋台ね」
二人は周りの視線も喧噪も我関せずで楽しそうだ。サリアはそうでもないかもしれないが、シェリルはたぶん、スラムどころか街中を歩くこと自体が生まれて初めてなんじゃないのか? だって、男爵家の長女、ご令嬢だもの。
「カレンさん、私たちにひとつずつお願いできますか」
そう言って御者から小銅貨を受け取ってザルカゴに自らの手で支払うシェリル。緊張しながらも串肉を手渡すカレンさん。サリアとシェリルがお礼を言って自らの手で受け取ると二人でその場で齧りつく。見ている男ども全員の唾を飲む音が聞こえそうだった。
「んー。これは美味しいわぁ。焼き立てを食べに来た甲斐がありました」
「へー、これ、いいわね。ロック『一夜の夢』に持って来なさいよ。ウチの娘たちにも食べさせたいわ。従業員もいるし二、三十本でいいわ」
「多いな!」
そう言い返すとサリアが快活に笑った。
「あまり長居してもお邪魔みたいだからそろそろ行くわね。ロック、がんばってね」
「今日は早く帰りなさいよ。お風呂溜めて待っててアゲルわ」
最後にサリアがウィンクしながら周りの連中に向かって手を振りながら馬車に乗り込んだ。その姿が箱馬車に飲まれ見えなくなるとギャラリーから「あぁ」と声が漏れた。
御者の手によってドアが閉められ馬車が走り出して見えなくなるまで誰も動く者も話しをする者もいなかった。ただカレンが焼く串肉の焼ける匂いと音だけが辺りを支配していた。やがて行商人がフラフラと屋台に向かって歩いて来た。
「ライズ! 行商人を馬車道にはみ出さないように一列に並ばせろ! 間隔はじゅうぶん開けろよ。詰めて並ばせると喧嘩の元になる! 動け! 『銀狼の牙』! 仕事だ!」
これは、ヤバイ予感がする!
「アーノルド! ちょっと来い!」
俺はアーノルドを呼びつけると銅貨を握らせる。
「今すぐ串肉用の屋台をもう一台借りてきてくれ」
アーノルドは青い顔をして商業ギルドへ走っていった。
こーれわヤバい。オーサーとサイラスまでで充分だったんだよね! サービスが過ぎた! 出来るだけゆっくりとカレンさんのところに行く。
「カレンさん、落ち着いていきましょう。出来る以上のことは出来ないのです。ですから出来ることだけをやりましょう。ルシアもお手伝いだからね。がんばりすぎなくていいからね。そうそう、焼いている間はやれることはありません。カレンさん、イスに座ってのんびり行きましょう。こちらが焦ると周りもアセってしまうので」
ふたりを落ち着かせる。こういう時は逆に落ち着いてオペレートした方が物事がスムーズにいくものだ。たぶん。知らんけど。
おっ、アーノルドが屋台を引いてきた! いいぞ! 屋台を隣に並べる。列を整理しているバルを呼んで火起こしをしてもらう。そしてその隙にアーノルドにもう一台借りに行かせる!
「カレンさん、注文はひとり一串です! 今日はそれで決まりです!」
「あ、なるほど! わかりました!」
もうオペレートの限界だ。二台目の屋台で肉の仕込みをする。オルカに氷の切り出しをお願いする。そうこうすると三台目の屋台が到着。バルにはそっちの火起こしを頼んで二台目は俺が引き継ぐ。するとカレンさんが俺を呼ぶ声が聞こえる。
「どうしましたか」
「ロックさん、エールの値段がまだ」
「あー、えーとですね、エールは串肉一本につき一杯だけ売ります。合わせて小銅貨四枚です! 高いって言ったらサヨウナラしてください!」
そう言って二台目の屋台に戻る。そろそろ焼き始められるか。すると背後に誰か立つ気配がする。
「なぁ、ちょっといいか」
誰だ! こっちは今忙しいんだよ!
「なんですか!」
振り返らず答える。
「あ、ああ。昨日は俺が悪かった。あれからいろいろ考えていたんだ。お前はちょっと、いや、だいぶ変わってはいるが筋は通ってる。言い分としては俺が間違ってた。だから、スマンかった」
ん? なんの話だ? 振り返ると、昨日文句を言いに来た足の悪い屋台の串肉売りだ。
「あぁ、わかってくれりゃ別に気にしちゃいないよ。ま、とは言ってもここは昨日以上に荒れるからな。嫌だったらとっとと逃げられるようにだけしておきなよ」
そう言うと、もう覚悟を決めていたのか元冒険者らしい不敵な笑顔を見せた。
「そうだな。やっぱりお前はそう言うと思ったんだ。まぁ、たまにはそういうことがあってもいいさ」
そう言って腰に手を当てた。片手剣を腰に差していた。
「なんだ? 死に場所が欲しいのか?」
そう言うと男はきょとんとしたあと笑いだした。
「はははは。そうか。そうかもしれんなぁ。でもまだ死にたくはないかな。はっはっは」
「ふーん。あんたさ、今日、店はどうしたんだ?」
そう問うと男はニヤリとした。
「今日は荒れそうだったからな。ここには遊びに来ただけだ。いろいろ面白いもんが見れてよかったぜ」
「よし、おもしろいもん見せてやった礼をしろ。あっちの屋台で人手が足りん」
そう言って男に向かって大量の串を突き出す。少しの間ぼうっとしていたが、やがて俺が何を言っているかわかって笑顔で串を取ろうと手を伸ばしてきた。
「あ、ちょっと待て! ルシア! 手が洗いたい!」
そう声を掛けるとルシアが木箱を持って走ってきた。
「ありがとう! ついでにこいつに手の洗い方を教えてやってくれ!」
俺は屋台に向き合って仕込みの続きだ! 塩を揉み込んで調味料を塗したら順次焼いていく。並べ終わったら最初の串をひっくり返す。俺の前に並ぼうとするやつは向こうの最後尾に並び直せと怒鳴りつける。
手洗いが終わったみたいなのでルシアにはカレンさんのところに戻ってもらって、男には焼き方講習だ。最初に表面を焼いて、肉汁を閉じ込める。火に当てるな。時間が掛かってもじっくり焼き上げろ。美味しくないものは売り物じゃない!
焼き上がる度に「二人!」とか「ひとり!」とか隣のカレンさんの屋台に向かって客を呼ぶ。こっちが持って行くより早い。
するとさっき帰ったはずの『黄金の獅子醸造所』の荷馬車がまた来た。ネスターが女性を連れて駆け寄って来る。それを見ていたアーノルドが俺の隣に来て「姉さん」と呟いた。ネスターが俺に向かって女性を紹介する。
「ロックさん、アーノルド、俺たちさっき結婚することになったんだ!」
「アーノルドの姉のメアリーです。ちょっと、なにがなんだかまだわからないんですけど。ネスターが挨拶に行かなきゃダメだって大騒ぎで」
「ロックさん! エールの追加持って来たんですよ! ジョッキもまだでしょ? 積んできました!」
テンパったネスターが暴挙に走ってる! だが俺には好都合だ! 使えるものはなんでも使うぞ!
「よくやった! ふたりとも隣の屋台でエールを売りまくってくれ! ちゃんと『黄金の獅子』のエールだって言って売るんだぞ! 急げ! 暴動が起きる!」
とんでもない行列がやっと視界に入ったのか荷馬車に走るネスターと訳も分からないうちに手伝わされるメアリー。よっしゃ! 酒場の看板娘が来た! いける!
「アーノルド、メアリーさんにフォロー入れてくれ! 今は酒場の天使の力が必要だ!」
アーノルドがメアリーの元に走った。俺の方を指さしてどうやらそのまま伝えたっぽい。メアリーにスイッチが入った。隣の屋台からは元気な女の子の声で「いらっしゃーい! 『黄金の獅子』のエールはいかがー!」と聞こえて来た。ネスターはエールを運んで設置に忙しい。エールが次々に注がれ、返却されるジョッキを洗っていた!
『銀狼の牙』のメンバーは行列の整理と『一人一串、エール付きで小銅貨四枚!』と言って回っている。もうエール付きのセット販売は決定事項らしい。三台目の屋台の様子を見に行くと男の知り合いというのが来ていた。こいつも同業だが同じように今日は屋台を出していないらしい。お前さん、よく見ると一番の屋台のやつじゃないか。
「あんたらさ、今日の報酬は銅貨三枚でいいかい? うちはそれでやってるんだよ」
「え? 焼いてるだけだぜ?」
「それが大変だから雇いたいんだが? ただし、中途半端な仕事をする奴はいらん。うちの串肉は高級品だからな。やる気は?」
一番の串肉屋の男が「やらせろ」と言って来たので二台目の屋台まで連れて来る。
「ルシア! もうひとり頼む!」
ルシアを呼んで手洗い講習からだ。いきなり手洗いをさせられて出鼻を挫かれていたが、高級品の石鹸だと知ると目の色が変わった。
「手洗い終わったか? よし、じゃあ頼む。焼き方はさっき覚えたんだよな?」
「うん、覚えた。最初に表面を焼き固めるんだな。おもしろい。やらせてくれ」
こいつに焼きを任せて俺は肉の仕込みだ。切り分け、塩、調味料だ。そして屋台は職人が二人入ったことで完全に回り始めた。
ライズに様子を聞くと、列が進み始めたことで今のところ不満は出ていないみたいだ。食べた連中の感想を聞くと大好評のようだ。壁の中の冒険者も並び始めたらしい。最後尾は二回目というヤツもいるっぽい。俺は円卓を借りてそこで肉の仕込みを始めた。後方で密かに無限肉の串打ちだ。最年少のキリエを使って仕込んだ肉を屋台に運ばせている。大盛況だった。いつもは大人しいひそひそ話がメインの商業ギルド前の円卓が今日ばかりはあちこちで宴会場だ。美味いメシと酒が入って楽しい商談にもなっているっぽい。なんなら商業ギルドからわざわざ出てきてここで話し合いをしている商人もいる。余裕が出てきたので商業ギルド内への出前とまとめ買いの許可も出した。あと俺には関係ないが街の娼館に行列が出来てそっちもとんでもないことになっているらしい。
これで何回目のザルカゴ交換だと思っていたところでオルカが黙って俺の横に立った。




