第七章 二つの誘い
懇親会から数日後、田中からメッセージが来た。
〈最近残業ばっかやし、今度仕事終わりにビールでもどう? 二人でゆっくり愚痴りたい〉
美月は画面を見て、返事をせず机へ伏せた。
嫌ではなかった。むしろ田中となら楽だと思った。だからこそ迷った。
二人で、という言葉が以前より重く見えた。
翌日、今度は佐藤に声をかけられた。
「プロジェクトの次の段階、一度落ち着いて話したいんだけど。北浜に静かな店がある。今週どこか空いてる?」
仕事の話であることは分かる。それでも、夜の店を二人で、という形に美月は身構えた。
以前の彼女なら、相手の意図を勝手に推測し、その推測に合わせて返事をしただろう。好意があるなら期待させないように。好意がないなら自意識過剰に見えないように。
どちらにしても、判断の中心にいるのは相手だった。
その夜、美月は自宅で二つのメッセージを並べて見た。
自分はどうしたいのか。
田中とは話したい。でも二人きりで「デート」のようになるのはまだ避けたい。
佐藤とは仕事の相談をしたい。でも勤務時間外の一対一には抵抗がある。
答えは案外はっきりしていた。
田中には、〈いいね。鈴木さんと山田さんも誘おうよ〉と返した。
佐藤には、〈ありがとうございます。議題に関係するメンバーも一緒の方が情報共有しやすいと思います。三人か四人でいかがでしょうか〉と返した。
送信した瞬間、肩の力が抜けた。
断ったわけではない。受け入れたわけでもない。自分が安心できる形に変えただけだ。
田中からはすぐ、〈了解! じゃ声かけとく〉と返ってきた。
佐藤からも、〈その方がいいね。こちらで調整します〉と来た。
美月は画面を見て、拍子抜けした。
もっと揉めると思っていた。二人とも、本当に納得したのだろうか。胸のざわつきは、消えなかった。
それでも、その週末の同期飲みの帰り道、田中がぽつりと言った。
「二人やと嫌やった?」
「嫌っていうか……今は、ちょっと構える」
「俺に?」
「誰にでも」
田中は前を向いたまま、「そっか」と言った。
少し沈黙が続いた。
「ごめん。急がせたなら」
美月は横顔を見た。
「謝らなくていいよ。私が勝手に怖がってるところもあるし」
「じゃあ、怖がらんでいいようにする」
軽い調子だったが、その言葉は残った。
一方、佐藤とのチーム会食では、終盤に他のメンバーが先に帰り、結果として二人だけになりかけた。
佐藤は時計を見ると、「水野さんもここで帰ろう。続きは会社で」と立ち上がった。
美月は少し驚いた。
佐藤は笑った。
「変に誤解されたくないし、僕も立場は考えないといけない」
その率直さに、美月は初めて彼を「余裕のある先輩」ではなく、一人の人間として見た気がした。
佐藤にも迷いがある。立場がある。間違えないように考えている。
二人の男性から向けられる好意らしきものは、美月にとってまだ嬉しさより不安の方が大きかった。
ただ、彼女はもう、その不安に黙って従うだけではなかった。
選択肢は、受けるか断るかだけではない。
距離を決める。時間を決める。場所を決める。
その夜は、自分のためだけに卵を焼いた。少し焦げたが、ちゃんと味がした。




