第五章 上からの眼差し
六月下旬、美月は新規設備案件のプロジェクトチームに加わった。リーダーは佐藤達也。入社十年目、三十二歳。営業と技術の間を調整するのがうまく、社内では「佐藤に渡せば荒れない」と言われていた。
初回会議で、美月はその評判の理由を知った。
佐藤は声を荒らげない。誰かの説明が曖昧でも、すぐ否定せず、「つまり、ここが未確定という理解で合っていますか」と整理する。会議の終わりには、誰が、何を、いつまでにするかが決まっている。
美月はその進め方を盗みたいと思った。
一週間後、彼女は市場調査の資料を任された。夜まで残り、三十枚近いスライドを作った。自信があったわけではない。ただ、今の自分にできる限りは詰め込んだ。
翌朝、佐藤からチャットが来た。
〈十五分だけ話せる?〉
失敗した箇所を探しながら小会議室へ向かった。
佐藤は資料を印刷し、何枚かに付箋を貼っていた。
「結論から言うと、よくできてる」
「本当ですか」
「特にこの比較表。営業が客先へ説明するとき、そのまま使える」
美月は肩の力が抜けた。
「ただし」
佐藤が一枚めくる。
「ここは数字が多すぎる。水野さん自身は、どれが一番重要だと思う?」
問われ、美月は考えた。
「導入コストより、停止時間の短縮効果です」
「なら、それを一番大きく見せる。資料は調べた量を見せるものじゃない。相手に何を持って帰ってほしいかを決めるものだから」
その言葉は、美月の中に残った。
仕事だけの話ではない気がした。
自分はこの二か月、失ったものばかりを数えてきた。何があったか。何が消えたか。何ができなかったか。でも、これから何を持って帰りたいのかは考えていなかった。
もちろん佐藤はそんな意味で言ったわけではない。
だからこそ、美月はその言葉を自分だけのものとして受け取れた。
翌週、客先との会議で、美月は改訂した資料を説明した。途中、担当者から想定外の質問を受けた。答えが出ない。
隣に座る佐藤を見そうになって、やめた。
「確認して、本日中に回答します」
そう言った。
会議後、佐藤はエレベーターホールで言った。
「今の対応、よかったよ」
「答えられなかったのに?」
「分からないものを分からないと言えるのも仕事だから。適当に答えるよりずっといい」
美月は頷いた。
佐藤の評価は、田中の励ましとは違う形で彼女を支えた。田中は同じ地面に立って笑ってくれる。佐藤は少し先から、足場の置き方を教えてくれる。
どちらが心地よいかと考えたことはなかった。
ただ、美月は少しずつ、人から向けられる好意をすべて警戒しなくてもいいのかもしれないと思い始めていた。




