第三章 招かれざる誘い
金曜日の夜、大学時代の友人・真帆からメッセージが届いた。
〈美月、生きてる? 来週土曜、人数足りなくて。飲み会来ない? ほんまにただの気分転換で〉
最後の一文に気遣いが滲んでいた。
美月は「行かない」と打ち、消した。「まだ無理」と打ち、また消した。
別れたことを真帆に話したのは二週間前だった。電話口で真帆は怒りも慰めもせず、ただ「そっか」と言ってくれた。その距離感に救われた。
〈行く。途中で帰ったらごめん〉
送信すると、すぐに猫が万歳しているスタンプが返ってきた。
翌週土曜、待ち合わせは難波だった。夕方まで降っていた雨が上がり、戎橋筋の路面には看板の光が何色にも反射していた。人波は週末らしい密度で、美月は何度も肩をぶつけられた。
店は雑居ビルの上階にあるダイニングバーだった。長いテーブルを囲み、男女四人ずつ。自己紹介が始まる。
「水野さん、商社なんや。海外とか行くん?」
「うちは国内が多いです」
「へえ、忙しそう」
「時期によりますね」
答えるたび、面接のようだと思った。
向かいに座った男性は悪い人ではなかった。話題を振り、グラスが空けば注文を聞いてくれる。旅行の話になれば、美月の好きな場所を尋ねた。
「京都かな」
口にした瞬間、航平と嵐山へ行った記憶が立ち上がった。
渡月橋。雨。傘を忘れた航平が、美月の傘へ無理やり入って肩を濡らしていた。
「水野さん?」
「あ、すみません」
美月は笑顔を作った。
その後も会話は続いた。誰かが面白いことを言えば笑った。料理も食べた。連絡先を交換しようと言われ、断る理由が思いつかず交換した。
それでも、二時間ずっと、自分だけ薄いガラスの向こう側にいるようだった。
帰り道、真帆が駅までついてきた。
「ごめんな。無理させた?」
「ううん。誘ってくれてありがとう」
「どうやった?」
美月は少し考えた。
「みんな普通にいい人やった。だから余計に、私がまだあかんねんなって分かった」
真帆は黙って頷いた。
「好きになる準備ができてへんのに、好きになれそうな人を探すの、変やな」
自分の口から出た言葉に、美月自身が納得した。
新しい恋をすれば忘れられる。失恋のあと、何度も目にした言葉だった。でも、忘れるために誰かを使うのは、その誰かにも、自分にも失礼な気がした。
御堂筋線のホームで真帆と別れ、一人で電車に乗った。
窓に映る自分の顔は疲れていた。けれど、惨めではなかった。
合コンに行って何も起きなかった。その「何も起きなかった」ことが、今の自分には必要だったのかもしれない。
家に着くと、さっき交換した男性からメッセージが来ていた。
〈今日はありがとう。またご飯行こう〉
美月は画面を見つめ、丁寧に返信した。
〈こちらこそありがとうございました。今日は楽しかったです。ただ、今は新しいお付き合いを考えられる状態ではなくて。期待させてしまったらすみません〉
送ったあと、胸が少し軽くなった。
「断ったら悪い」「せっかく誘ってくれたのに」。そう考えて曖昧に返す癖は、まだ抜けていない。
それでも今夜は、できないことをできないと書いて、送れた。
その夜、美月は久しぶりに湯船へ湯を張った。スマートフォンを脱衣所に置き、入浴剤を入れる。湯気の中で目を閉じると、店の喧騒も、航平の記憶も、少し遠くなった。
誰かを急いで探さなくていい、と思えただけで、週末の夜は少し広く感じられた。




