焼けたアスファルト
蝉の声が、朝からうるさかった。
玄関を出た瞬間、むっとするような熱気が顔にまとわりつく。
空は馬鹿みたいに青かった。
雲ひとつない空を見上げていると、今年の夏は去年より暑いんじゃないかと思う。
たぶん、気のせいだ。
けれど俺は、そういうことを考えるくらいには、この夏を意識していた。
「悠真ー」
家の前の道路から声がした。
振り向くと、陽菜がいた。
白いワンピースに、麦わら帽子。
肩よりずっと下まで伸びた髪が、風に揺れている。
「遅い」
「まだ約束の時間じゃないだろ」
「でも私、十分前に来たもん」
「それは陽菜が早すぎるんだよ」
「じゃあ悠真も早くなればいいじゃん」
「無茶言うなよ」
陽菜は笑った。
昔から変わらない笑い方だった。
目を細めて、少しだけ首を傾ける。
俺はその顔を見ると、いつも少し安心した。
「今日はどこ行く?」
「決めてない」
「えー」
「暑いから、近いところ」
「じゃあアイス」
「朝から?」
「夏だから」
「理由になってないだろ」
「なるよ」
そう言って、陽菜は歩き出した。
俺もその隣に並ぶ。
照りつける太陽。
焼けついたアスファルト。
遠くから聞こえる車の音。
どこにでもある、夏の日だった。
なのに俺は、その日を妙に大切に覚えている。
近所の公園に着く頃には、陽菜は少し息を切らしていた。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「ほんとに?」
「ほんと」
陽菜は笑ってみせた。
けれど、ベンチに座るとすぐに俯いた。
麦わら帽子の影が、顔を隠す。
「……暑いね」
「暑いな」
「今年の夏、長いかな」
「知らないよ」
「そっか」
陽菜は空を見上げた。
その横顔が、少しだけ寂しそうだった。
俺は何となく、その顔を見るのが嫌だった。
「陽菜」
「ん?」
「そんな顔すんなよ」
「どんな顔?」
「……悲しそうな顔」
陽菜は少し驚いたように俺を見る。
それから、困ったように笑った。
「してた?」
「してた」
「そっか」
陽菜は自分の頬に手を当てた。
「じゃあ、気をつける」
「そうして」
「悠真って、昔からそういうところだけ妙に鋭いよね」
「だけって何だよ」
「他は鈍い」
「悪かったな」
また陽菜が笑う。
今度はちゃんと笑っていた。
俺も笑った。
その日の帰り道。
コンビニで買ったアイスを食べながら、二人で歩いた。
陽菜のアイスは少しずつ溶けて、手に垂れていた。
「陽菜、垂れてる」
「え?」
「手」
「うわ」
慌てて舐めようとして、俺が笑う。
「子どもかよ」
「うるさいなぁ」
陽菜も笑う。
そんなくだらないことで笑えることが、俺は好きだった。
家へ向かう途中、陽菜が急に立ち止まった。
「ねえ、悠真」
「ん?」
「私さ」
陽菜は、少しだけ黙った。
「……ううん。何でもない」
「何だよ」
「何でもないって」
「気になるだろ」
「あーあ、悠真が太陽だったらよかったのに~」
「なんだよいきなり」
「へへへ」
話をはぐらかそうと考えたのか
トンチンカンな内容を呟き
陽菜は先に歩いていく。
長い髪が、背中で揺れていた。
俺はその後ろ姿を追いかけた。
「待てよ」
「早く来なよ」
「置いてくなって」
「じゃあ走って」
「暑いんだよ」
「夏だから」
「またそれかよ」
笑い声が、蝉の声に混ざっていった。
その日、俺は知らなかった。
陽菜が何を言おうとしていたのか。
あの夏が、俺たちにとってどんな意味を持つのか。
ただ、いつまでもこんな日が続くと思っていた。
明日も会える。
来週も会える。
来年も、その先も。
そう思っていた。
だから、あの日。
陽菜がぽつりと言った言葉を、俺は最初、冗談だと思った。
「悠真」
「ん?」
「もし私がいなくなったらさ」
陽菜は笑っていた。
でも、その目だけは笑っていなかった。
「……ちゃんと、迎えに来てね」




