第38話 魔女たちの最后の楽園(その1)
そこは“ティル・ナ・ノーグ”と呼ばれる楽園だった。
ケルト神話によれば、神の一族であるダーナ神族は、アイルランドの祖であるミレー続との闘いに敗れ、楽園へと移り住んだという。
そこは妖精たちが住んでいたといわれ、最後の楽園と呼ばれて後世に語り継がれてきた。
そして現在、アイオンの下に、人類の救済のために集いし魔女たちは、自らの運命になぞらえ、自分たちのアジトをティル・ナ・ノーグと名付けた。
そして、この“楽園”は、その名にふさわしいだけの設備を整えてた場所だった。
かつてアイオン創設者のひとりだったウォーカー男爵は、ティル・ナ・ノーグがただの伝説ではなく、“水の底に沈む島”として東洋のどこかに存在するのではなかという情報をある筋から入手した。
「バカな。天空の島というのは聞いたことがあるが、存在したとしても、水底の島では、呼吸ができないではないか」
「それがそうとも言えません。アイルランドから逃れたダーナ神族は、陸地から坑道を設けて、湖の底に宮殿を設けたというウワサがありまして、つまり、地上と繋がっているので、呼吸は可能なんです」
「ほう……。で、それはどこにあるのだ」
「当時は遥か東洋の地と呼ばれた、現在の日本です」
「日本?」
「日本のサヤマコという湖、その下にティル・ナ・ノーグがあるかもしれないというウワサです。
数年前、サヤマコの近隣で道路の掘削作業をしていた土木作業員が、謎の堅穴を発見したらしいんですが、戦時中に掘った防空壕跡か何かだろうということで、そのまま放置していたそうです。
しかし、調査に当たった県の職員の一人が、防空壕にしては、その坑道がどこまでも伸びていて何かおかしいと報告書に記したのですが、上層部からは無視されたそうです。
その後、ゴシップ系の週刊誌がそれを記事として取り上げて終わったんですが……」
「よくある話だ」
その話を側近から聞いたばかりの時は『そんな話は眉唾だな』と聞き流していたウォーカーだったが、その後、どうにも気になり、ある日、側近に問いただした。
「おい、この間君が話していた、ティル・ナ・ノーグの件だが、あれは、実際のところ、どうなんだね」
「はい、実は我々の調査チームが調査を進めておりまして、もうじき、報告が上がってくるところでございます」
「そうか……。それは楽しみだ」
アイオンという人類に最後の審判を下さんとする組織の指導者として、伝説の最後の楽園が実際に存在していたかのしれないという話に、ウォーカーなら必ず食いついてくるだろうと予想していた側近は、そこで満面の笑みを浮かべた。
*
「私たちの最后の楽園、ティル・ナ・ノーグへようこそ、ミス・ケイト」
光の魔法陣の中を抜けて、再び視界が開けたとき、ケイトの目前に広がっていたのは、緑の絨毯が一面に広がる、まさに絵に描いたような楽園の景色だった。
見上げた先は、一見空のようだが、全体が波打ったようにぼやけている。よく見ると、その中に小さな魚が群れを成して泳いでいる。
水族館の巨大な丸い水槽のスケールを、遥かに大きくしたような感じで、その直径は数キロぐらいはありそうだ。
「うわあ、凄いなあ」
ケイトは、素直に感嘆の声をあげた。
「凄いでしょ、あなたに喜んでもらえて嬉しいわ」
目が慣れてくると、この緑の土地には、自然な形で幾つかの木が生えていることがわかった。不思議なことにそのどれもに、花や実が付いている。
「ここには、バナナやリンゴ、ミカン、ココナツなどの木が植わっていて、一年中実がなっているの。その他、向こうの草原には、米や麦、トウモロコシなどの植物もあって、食料に困ることはないわね。普通、これらの植物は、気候や土地の違いで同時に育つことはないんだけど、ここではそれも可能ね」
アリスの言葉にケイトが疑問を感じて口を開こうとすると、アリスは先に答えを述べた。
「もちろん、すべて魔法の力よ。ただし、食料は豊富といっても、食料となる“動物”はここにはいないわね。ここにいる魔法使いは、すべて肉食は行わない、菜食主義をお願いしているから」
ハンバーガーやフライドチキンが大好きなケイトは、その答えには、正直ちょっとがっかりだ。だが、ここに住むからには、みんな菜食主義にならなければいけないのだ。
そうしたことを考えていたとき、「自分が住むわけではないのに」と、ケイトは、はっとした。
「肉食が恋しくなる人もいるみたいだけど、大豆を使ったソイ・ミートもあるから、ハンバーグもあるから心配ないわよ」
ケイトの心の内を知ってか知らずか、そう言ってアリスがウインクした。
「アリスさん、ほかの魔法使いの皆さんは、どこにいるんですか?」
辺りを見回していたケイトは、ふと気づいて尋ねた。
「ほかの魔法使いは、普段はここに来ないわ。
来るのは食料を調達に来るときだけ。一週間に一回、必要な野菜や果物を収穫に来るぐらいかな。あとは、息抜きに散歩するときもあるわね」
「それじゃ、皆さんは?」
「この下よ」とアリスは地面を指差して言った。
「これから案内するわね」
そう言いながら、アリスは先頭に立って歩き始めた。
「この楽園の緑地帯は、私たちが住むようになってから築き上げたものなの。以前、アイオンがアジトとして使っていた居住スペースは、この下、つまり湖の下の、さらに地下にあるのよ」
アイオンの調査団は、狭山湖の湖底のさらに下に、古代の地下宮殿があることを突き止めた。
その事実を伝えられたウォーカー男爵は、部下に命じて、地下宮殿の探索を続行し、アイオンのアジトとして再利用することにした。
古代の地下宮は、まさに迷宮といった様相を呈しており、地下に伸びる城のような形で、重層構造を成して築かれていた。
この場所は、核シェルターとしても、そのまま利用できる構造を成しており、アイオンの最終計画にもうってつけといえた。
「ここが入り口よ」
緑地の外れに人の背の高さほどのドームがあり、木製の潜り戸があった。
「これは昔からここにあったんだけど、たぶん、地下でばかり生活していると、太陽光が不足するので、時折、この地に出て、陽を浴びていたんでしょうね」
「この大きな空間は、古代からあったんですか?」
「いいえ、もっと小さなカプセル型の空間だったけど、それはそれで驚いたわ。古代の技術で、現代の水族館にあるような丸いドームが設けられていたわけだから。それは透明の球体で、材質はガラスと同じ素材、クリスタルでできていた。今は“記念品”として地下に保管してあるわ。
今ここにある“大気”は私たちの魔力で湖底に固定しているの」
“湖底に固定” 狙って言ったわけではないが、偶然洒落になっていたので、アリスは「ハッと」してケイトを見返したが、特に気づいた様子もないので、スルーすることにした。
潜り戸を抜け、地下へと延びる階段を二人は下りていく。天井は低かったが、屈むほどではなく、外に比べて暗かったが、歩いていくと、自動的に明かりが灯る仕組みになっていた。
石でできた階段をしばらく降りていくと、急に視界が開けた。
人工的に彫られたのか、元からあったのかよくわからないが、巨大な鍾乳洞のような場所に出た。
中央の丸い広場のようなスペースから、さらに奥へと繋がる通路が設けられていて、何をしているのかよくわからないが、立ち働くかのように、幾人かの人が行き交っていた。
アリスとケイトの姿を目にすると、そこにいた人々は、一斉に動きを停めた。
「ハンナはいるかしら?」
アリスは、周りにいた連中に呼びかけた。
「ここにいます」
白髪に近い金髪を後ろで束ね、黒いロングドレスを身に着けた一人の女性が、人々の間から少々疲れた表情でアリスの前に進み出た。
「こちらは、ゲストのケイトちゃん。
この子が、あなたの“弟子”のアオイという子に会いたがっているの。今から案内してくれるかしら」
アリスにそう言われて、ハンナと呼ばれた女性は驚いたように口を開いた。
「あなたが、ケイト?」
ケイトは、このハンナという女性が、どうやらアオイちゃんの師匠らしいということを察したが、どういう状況にあるのか、よく掴めなかった。
ハンナさんとアオイちゃんは、アイオンに捕まっていたのではないのか。
「あの、ハンナさん……」
ケイトが呼びかけると、ハンナは、「ごめんなさい、赦してちょうだい!」と泣き崩れるように小さく叫んで膝を付いた。




