第21話 マジック・フィンガー、マジック・ナイト(その2)
その夜、香坂美郷は奇妙な夢を見た。
自分が持っていたギターが喋るのだ。
『おい、ミサト、そこのフレーズなんだけど、もう少しビブラート効かせた方がいいぜ』
『うるさいな、××、ここはあんまりビブラート掛けない方がいいんだよ』
『そ、そうか、俺としては、その方がエモいと思ったんだが……』
『ここのフレーズはさらっと弾いて、次のリフに繋いだ方がハマるだろ』
『ん……、確かにな、やっぱりミサトは天才だわ』
ミサトは夢の中でギターと会話しているのだが、相手の名前がはっきりと掴めなかった。
「おかしな夢を見たな。こんな変な夢を見るなんて、魔法少女になったせいかな」
明け方、ぱっと目が覚めてミサトはまだ薄暗い自分の部屋の中を見回して思った。
夢で見た〈喋るギター〉は、自分が持っているテレキャスターとは違うタイプのギターだった。
「あれは確か、リッケンバッカーとかいうギターだ」
ミサトはこれまでリッケンバッカーなんて欲しいと思ったことは一度もなかった。
雑誌で若い頃のビートルズとか、ジャムというバンドのポール・ウエラーとかが使っているのを見たことはあるが、自分のギタースタイルには合わないタイプのギターだと知っていた。
アマチュアバンドを組んでいた父の影響で、六歳の頃からギターを弾き始めたミサトには、確かに才能があった。
観よう見真似でギターを覚え、1年もしないうちに、ミスタービッグの『ダディ・ブラザー・ラヴァー・リトルボーイ』まで弾けるようになっていた。
父「ねえ、ママ、見てごらん、うちのミサトは、天才だよ」
母「ええ、そうなの?
あら、ミサトちゃん、確かにパパよりもギターお上手ねえ」
父と母は多少の親バカであったかもしれないが、ミサトがギターを弾く姿を映した動画をネットに投稿したことで、ミサトは幼い天才ギタリストとしてすぐに注目を集めることになった。
……そして時は過ぎ、15歳になったミサトは、ごく普通のギターが上手い中学生の一人になっていた。
世の中には、ギターが上手い人間がごまんといるものだ。
小さいうちは天才と持て囃されても、ある程度年齢を重ねれば、注目度は一気に下がるのが世の常である。
「あら、あなた、ギターを弾くのね?」
「まあ、少しは……」
バンド練習を終えて、家路についていたミサトに声を掛けた魔法使いのエミは、彼女が背負っていたギターのギグバックを見て、そう尋ねた。
「なら、ますますいいわね」
「何がいいんですか?」
「申し遅れたけど、私は魔法使いのエミ、あなた、香坂美郷ちゃんよね?」
「……」
ミサトは警戒した。小学生の頃、天才と持て囃された自分は、スカウトと称して近づいてきた人間を何人も見ている。そうしたすべての人間が自分を騙そうとしていたわけではないが、旨い話には裏があることをこれまで経験から嫌というほど知らされてきたのだ。
このエミという自称魔法使いも、これまでに会ったスカウトマンに通じるような胡散臭さが十分に感じられた。
「あらあら、心配しなくてダイジョブよ、お姉さんは怖くないから」
自分のことをお姉さんと呼ぶ、このエミという人はますます怪しかった。
「論より証拠、お姉さんが魔法使いだということを今からお見せします」
そう言うなり、エミは、マジック・ワンドを取り出し、自分の使っている魔法のデモンストレーションを始めた。
ミサトは、エミが繰り出す魔法の数々を、遊園地のイベントで行っているマジックショーでも眺めるように、冷ややかに静観していた。
「リアクションがイマイチなようだけど、これでわかってくれたわよね?」
「確かに魔法使いのようですね。で、その魔法使いさんが、中学生の私に何の用ですか?」
「うーん、ミサトちゃん、反抗期かしら?
まあ、いいわ。端的に言いますね。
香坂美郷さん、あなたを魔法少女にスカウトします」
やっぱり、スカウトか、とミサトは思った。
「エミさん、と言いましたよね、それで、魔法少女になるには、“お幾ら”ぐらい必要なんですか?」
「いやあねえ、お金なんか要らないわよ。ああ、スカウトと言ったのがいけなかったのね。
大丈夫よ、私としては、魔法の素質を持っているあなたにぜひ、魔法少女になってほしいだけ」
そう言われても、ミサトとしては別に嬉しくもなんともなかった。
6歳からギターを弾き始めて、将来はギタリストになりたいと自然に思うようになっていたけれど、魔法少女になりたいと思ったことは一度もなかった。
「その、魔法少女って、いったい何なんですか?
なることで、何かメリットがあるんですか?」
それを聞いて、エミは待ってましたと言わんばかりの顔つきに変わった。
「もちろん、メリットはあるわよ。
あなたギターを弾くでしょ? それで、どれぐらい弾けるのかしら?」
エミは、腕組みをしてほくそ笑んだ。
ミサトは馬鹿にされたような気がして、額の辺りがかっと熱くなった。
「別に自慢するつもりじゃないけど、バンドだって組んでるし、それなりに弾けますけど」
ミサトは背中に背負った愛用のテレキャスターを刀のごとく、スパッと取り出して、正眼に構えてみせるような勢いで言った。
「じゃあさあ、これぐらい弾ける?」
空中にあるものをぱっと掴むような仕草で、エミが右手をさっと横に振ると、次の瞬間、彼女の手には、ギターが握られていた。
それは、雑誌でしか見たことのない、トラ目も鮮やかなギブソン・レスポールスタンダードだった。
ミサトが呆気に囚われていると、エミは目の前で、取り出したレスポールを肩に掛けて、“ある曲”を弾きだした。
(え、嘘でしょ?)
エミが弾き始めたのは、これまでコピーを試みたことはあるけれど、まだ完璧には弾けないクリス・インペリテリの「17th Century Chicken pickin'」だった。
途中まで弾いたエミは、もう十分という感じで、弾くのを辞めると、「どう?」という感じでニコッと笑った。
「凄い……」
思わずそんな言葉が口から洩れてしまった。
「でも、それって”魔法”でしょ?」
「そうよ、これが魔法の力よ」
エミは真剣な顔でそう答えた。
「そんなの、ズルじゃないの?」
「あら、そうかしら。例えば、100メートル走の世界チャンピオンは、優れた身体能力を備えているし、肉体的にも恵まれているわよね。
それって、持って生まれた“物”だけど、それって、ズルいとは言わないわよ。それと一緒で、魔法の力があれば、世界一のテクニックを身に着けることはできるわよ」
なんという“餌”を突き付けてくるのだろうか。
かつては天才と持て囃された自分をもう一度取り戻すことができるかもしれない。
そう考えると、魔法少女になるということは、とたんに抗いがたい誘惑となった。
「付け加えておくと、私が今弾いたのは、実は“当てぶり”で、実際に弾けるわけじゃないのよ。どんな魔法を使っても、最初から素質がなければ、それ以上の力は発揮できないの。だから、安心して」
まだ逡巡しているミサトにエミが言った。
「それと、言うまでもないけど、それでギタリストとして成功できるかどうかは、あなた次第だけどね」
その一言で、ミサトはその時、魔法少女となることを決心した。
*
おかしな夢を見た次の日は日曜日だった。
昨日はバンドの練習もみっちりしたし、そのあと、エミに会って魔法少女に選ばれたことも重なって、朝から疲れていた。
それにしても、なんでリッケンバッカーなんだろう。
ふと、ミサトは、家から一番近くにある楽器店にギターを見に行ってみることにした。
数年前に天才ギタリストとして話題になったとき、両親が奮発して買ってくれたテレキャスターは今も愛用の一本に変わりはなかった。
どちらかというと、テクニカル系のギタリストが好きなミサトとしては次に購入するとしたら、単音の速弾きに向いているストラト系のギターが欲しかった。
それを考えたとき、リッケンバッカーという選択肢は最初から頭になかった。
楽器店に向かうために駅へと足を運びながら、ミサトは昨日の夢に現れたリッケンバーの形や色を頭の中に思い描いてみた。
それは雑誌やネットに載っているカタログ写真の色とは異なる炎のように鮮やかな赤色だった。
形は、どうやら330というモデルのようだ。正面から見ると、ちょっとずんぐりむっくりしていて、ミサト好みのアイバニーズのRGとかストラトのようなスリムな形ではなく、はっきり言って好みのタイプではなかった。
「あ。いらっしゃい」
店を開けたばかりで、入り口付近に初心にお勧めのギターを順番に並べていた店員が、ミサトの姿を見て声をかけた。
ミサトは、店員の挨拶の声に無言でペコリと頭を下げて店内に置いてあるギターを順番に眺めて行った。
ガラスケースに収められているオールドギターに、それこそ高級車や下手をするとマンションでも買えそうな目玉が飛び出るような価格が付いている。
そうしたとても縁のないギターを横目に順々に眺めていったとき、あるギターを見た瞬間、ミサトは心臓が止まるかと思うほどに驚かされた。
(これって! 夢の中に出て来た“喋るギター”そのものだ!)
「お嬢さん、そのギターが気になりますか?」
「え、これってリッケンバッカーっていうんですよね」
「はい、そうです、リッケンの330」
ミサトはその値札を見て、不審に思った。
「3万5000円って、凄く安いですよね」
「ええ……、安いでしょ?」
店員は何か隠しているかのように、声が小さくなった。
「訳あり品ってやつですか?」
「いや、音は確かだし、色も珍しいんですよ、こんな鮮やかな赤は、カッコいいでしょ? ちょっと試奏してみます?」
やはり、何か隠そうとしている。厄介払いでもするかのように、このギターをしきりに勧めてくる。
昨夜の夢に出て来たものとそっくりの姿を目の前にして、どうしようかと、躊躇っていたその時だ。
『へえ、ギター女子か……。
見たところ、中学生か高校生ぐらいだし、初心者といったところかな』
「店員さん! 今、何か言わなかった?」
「はい?」
傍らにいた店員が不思議そうな顔でミサトの方を振り返った。
『? お嬢ちゃん、まさか、俺の“声”が聞こえたんじゃないだろうな……』
ミサトは、リッケンバッカーを凝視した。
確かに、今喋ったのは、“こいつ”だ。
「どうしますか? 試奏、します?」
「辞めときます」
ミサトが答えると、ギターから声が返って来た。
『おいおい、辞めるんかい!』




