第16話 碧い瞳の天才パイロット(その3)
「街の中はさすがにまずい。不時着するとすれば、海しかないわ」
ナーシャはパイロットスーツを着たまま、発揮できる魔力を最大限に振り絞ってファイティングファルコンの機体を臨海地区のある方向に傾けた。
機体を操る“何者”かの魔力は先ほどよりも薄れていたが、操縦桿をコントロールすることは依然としてできなかった。
「ケイトたちも追って来てるようね」
F-16の向かう先に海が見えて来た。
「これで何とか海面に不時着できそうだわ」
そう思ったのも束の間。
行く手に大型のタンカーが航行しているのが視認できた。
「オゴー! トウキョウの海は大渋滞ね」
タンカーだけでない。周りを見渡せば、漁船や商船、客船やヨットなど、大小さまざまな船舶が所狭しと航行している。
自分で舵を取れない以上、“彼女”たち魔法少女の力も借りてこの危機を乗り切るのが得策だ。
「頼むわよ、ケイト、あのタンカーにぶつからないよう、コントロールしてね」
ところが、である。
再び、戦闘機本体を捻じ曲げる魔力以外に、ナーシャ自身にかけてくる大きな魔力を感じずにはいられなかった。
「ああ、辞めてちょうだい、ケイト。
私をここで消したら、誰がこの機体をコントロールするというのよ」
案の定、ケイトと、もう一人が使う巨大な魔力を受けて、機体をコントロールしていたナーシャの力が、一気に抜けてしまった。
そのまま行けば、タンカーの上を難なく通過できたかもしれないが、ファイティングファルコンの機体は、タンカーとわずかに接触する位置にズレてしまった。
「うわー、神様!」
なんでこんな時に、特に信心深い訳でもないのに、自分は神に救いを求めてしまうのだろうと、ナーシャは比較的冷静に思っていた。
〈ガガァッ……〉
やはり機体の一部が船のどこかにぶつかってしまった。
高速で掠めたためか、衝撃は思ったほど少ない。
タンカーにぶつかった衝撃よりも、実は、そのあとに襲って来た衝撃の方が遥かに大きかった。
海面は、言うまでもなく水でできているから、柔らかいという印象をもってしまうが、高いところから物を落としたときの衝撃は尋常ではない。
その硬さは物体の落下スピードに比例するといわれ、時速100キロで物がぶつかったときの水面の硬さは、コンクリートに匹敵するといわれる。
ファイティングファルコンの機体は、水面に対して30度程度の傾斜角度は保っていたが、それでもその衝撃は、機体をバラバラにするには十分な力を持っていた。
さすがに魔法少女のナーシャといえど、その衝撃では無事には済まない。
「緊急脱出するしかないわ!」
ナーシャは、自ら瞬間移動を試みた。
あまりかけたことのない類の魔法だったが、ケイトたちの魔力を梃にして、チャレンジしてみることにした。
「えええい!」
魔力を自分自身に向けると、ふっと、頭の中に霞が掛ったようにぼんやりとした気分に襲われた。
(まずい、気を確かに持っていないと、どこに飛ばされるか、わからない)
気が付くと、ナーシャは、洋上ではなく、目の前に石油コンビナートの薄緑色のタンクのある敷地内の立っていた。
無意味に広いアスファルトの地面に、場内を行きかうトラックや電動リフトのために引かれた白いラインのある殺風景な雰囲気は、どこか空軍基地に似ていた。
我に返ったナーシャがふと傍らを見ると、電動リフトに乗った二人の作業員がリフトを止めたままの状態でその場に固まっていた。
突然現れたナーシャの姿に凍り付く作業員を尻目に、ナーシャはパイロットスーツ姿ですたすたと歩いて二人の方に近づいていった。
「ズドラーストヴィチェ(こんにちは)
出口は、どちらかしら」
ナーシャは微笑みを浮かべながら、作業員に尋ねた。
作業員は無言で出口の方向を指差した。
「そうねえ、せっかく教えて頂いたけど、私、日本は初めてなので、ここを出てもどこへ行っていいのやら……」
ナーシャは腕を組んでしばらく考えた。
「まあ、彼女たちの“魔力”を感じる方向へ行くしかないわね。
ハローシェヴァ(ごきげんよう)」
ナーシャは周りの目はお構いなしに、魔法を使って作業員の前から忽然と姿を消した。
「おい? 今、確かに金髪のお姉ちゃんがここにいたよな」
「ああ……」
「昨日、ちょっと飲み過ぎたのかもな、今日は残業しないで帰るとするか、なあ、相棒」
「ああ、そうだな」
手の止まっていた作業員の二人は、いつもよりも安全な速度でゆるゆると電動リフトを操りながら、その場を離れて行った。
*
大惨事は免れたが、タンカーとニアミスを起こして墜落したスペイン軍の戦闘機のニュースは日本国内に流された。
「それにしても、いったい犯人は一体誰なのかしら……」
テレビに流れるニュース映像を腕組みしながら見入っていたエミは、独り言のように呟いた。
エミとケイト、サキ、アズサの四人は、臨海部での“闘い”のあと、エミは、自分が根城にしている都内某所の洋館へ、ケイト、サキ、アズサの三人を招いた。
この洋館は、かつて、とある財閥の屋敷だったものを、財閥家の末裔が税金対策として、広大な敷地とともに、記念館として残したものだった。
現在は、エミが管理人という名目で、記念館を運営する財団から借り受け、半ば自分の家のようにして、勝手気ままに暮らしていた。
庭の周囲にはかなり年季の入った常緑樹が森のように茂っており、屋敷の建物自体を通りから伺うことはできない。
都心にあって、まさに隠れ家的な存在だった。
「凄いお屋敷ですね」
開口一番、アズサが目を丸くして建物を見上げた。
「私の“物”じゃないけどね」
エミが先頭で屋敷の中を案内した。
形だけは記念館なので、エントランスの壁の横には、財閥家の歴史を綴った文章と古い写真の資料が、博物館などでよく見かけるガラスケースの中に展示されていた。
「ここでゆっくり、くつろいでちょうだい」
瀟洒なリビングに三人を招き入れると、エミは早速テレビを付けた。
バロック様式で統一された家具の中には不釣り合いな、大型の液晶テレビモニターに、ワイドショーのニュースが流れていた。
「犯人はやっぱり魔法使いなんですか?」
「うーん、何とも言えないわね」
傍らにいたサキから尋ねられたエミは、テレビ画面から目を離さずにそう答えた。
「私たちの姿は映っていませんね」
「そうね、戦闘機が落ちてから、マスコミのヘリが到着したのは、きっとしばらく経ってからだから、当然よね」
ケイトは自分でも馬鹿な質問をしたなと思ったけれど、エミはそれに対してきちんと答えてくれた。
「私たちの存在は、世間ではあまり認知されていないから、しかたないけど、政府の幾つかの公的機関には知れているのよ」
エミは、心配しなくてもいいという感じで念を押した。
でも、ケイトは、自分たちの存在が、世間に知られていないことを別に心配しているわけではなかった。
むしろ、あまり知られたくないとさえ思った。
最初は、魔法少女になれたことだけで嬉しいと感じていたのだが、この短期間のうちにその嬉しい気持ちがどんどん薄らいでいくのを感じていた。
自分が“白”ではなく、“黒”の魔法少女に選ばれたせいなのだろうか。
いや、そんなふうには思いたくないと、ケイトは自分の考えを頭の中で否定した。
黒の魔法少女は決して“悪”ではないと、エミさんもサキちゃんも言っているではないか。
「大丈夫? ケイトちゃん」
隣に立っていたアズサが、ケイトの顔色の優れない様子を見て心配そうに声をかけた。
「うん、大丈夫、ちょっと疲れただけだよ」
「あら、三人とも、そんなところに突っ立っていないで、ソファに座ってね」
エミが二人のやり取りに気づいて声をかけた。
その時だ。
リビングの片隅がフラッシュを炊いたようにパッと光り、やがて空気が密集するかのように歪んで、別の人影が現れた。
そこにいた全員に緊張が走った。
現れたのは、果たして、敵なのか、味方なのか?
それは、金髪を後ろで結んだ背の高い碧い目の美少女だった。
長身のサキよりももう少し背が高いように見える。
が、何よりも目を引いたのは、彼女がパイロットスーツを着ていることだった。
「まさか、あなたが、あの戦闘機のパイロットなの?」
察しの良いエミは、まだ流れているテレビニースの画面を指差しながら、現れた少女に尋ねた。
「オーチン プリヤートナ(初めまして)、皆さん。
オゴー、私の乗ってたFFがテレビに映ってますね。これではもう飛べません」
周りの目を気にすることなく、金髪の少女は、エミが見ていたテレビの傍まで寄ってきて、海上に浮かんだF-16の姿を見て、いかにも残念そうに眉を寄せた。
「あら?」
さらに辺りを眺めまわしていたナーシャは、リビングにいた四人の中にケイトの姿を見つけると、近寄ってその手を両手でがっちりと掴んで上下に振った。
「あなた、ケイトね、会いたかったわ」
ケイトは、すぐに思い出せなかったが、その碧い目の少女が、従妹のアオイちゃんと一緒に写真に映っていた少女だということに、やがて気づいた。
「ええと、もしかして、アオイちゃんの留学先のお友達だった……」
「私、あなたと同じ、魔法少女。
名前は、アナスタシア・ロマーノヴィッチ・メリニコヴァといいます。長いので、ナーシャと呼んでください。ロシア出身だけど、今はスペイン空軍の戦闘機に乗ってます」
アナスタシアと名乗った少女は、ケイトからすっと離れて軍隊式に背伸びするように気を付けの姿勢を取った。そして、右手でさっと敬礼してから、流暢な日本語で告げた。
「どうぞ、よろしく」
気を付けの姿勢を崩すと、ナーシャはニッコリと笑った。




