第15話 碧い瞳の天才パイロット(その2)
その日、日本の防衛庁航空自衛隊三沢基地では、音速を超える正体不明の航空機が、日本列島に向かって飛んでいることをレーダーで捕捉した。
「こちら、三沢基地管制塔、正体不明の航空機を発見。飛行経路から、民間機ではない模様」
ロシアや北朝鮮。中国など、隣国の戦闘機に関しては、日常的に警戒を強めているが、侵入経路を確認したところ、これらと異なる国籍不明の戦闘機の可能性が高いことを確認。
このままでは、領空侵犯の惧れがあるとして、三沢基地に配備されている自衛隊の戦闘機F-35Aに対して、緊急発進を要請した。
「三沢基地、管制塔、了解。
航空××部隊。これよりコンドウ1等空曹ほか、3機、緊急発進します」
だが、こうしたスクランブルは、相手の戦闘機が巡航速度を維持していれば、追いつくことができるが、音速を超えるスピードで来られては、機影を捕らえることは、まず不可能だ。
何せ、F-16の最高速度は、九州から東京まで、わずか20分足らずで到達できるほどの速さだ。
三沢基地で最初に捕らえた、東シナ海から本土へ向かう正体不明の戦闘機は、自衛隊機がスクランブル発進した頃、領空侵犯どころか、すでに九州を超え、すでに四国から本州へと到達していた。
*
「こんな形で“アオイ”の故国を拝むことになるとは、ね」
ナーシャは、ヘルメットを脱ぎ捨て、アンチグレア加工を施したレイバンのアビエーター・リバースを装着した。
基地内など、地上で勤務する際は、直射日光から瞳を守るために付けているサングラスだが、今は平常心を保つために、必要なアイテムだった。
さらに、ジェットペル(ヘルメット)に付随する酸素マスクも装着していなかった。
F-16機内におけるこの時のナーシャの恰好を、空軍基地の関係者が見たら、吃驚仰天するに違いない。
通常のパイロットであれば、文字通りの自殺行為だ。
戦闘機の酸素マスクは、急上昇や急降下などの操縦の際、急激に変化する気圧に対して、呼吸する際の酸素分圧を平衡に保つために必要だ。
また、戦闘機はその目的上、交戦した場合、機体に損傷を受ける可能性は大いにある。
被弾して風穴が開いたりしたら、コクピット内は急激な減圧が起こるため、酸素マスクをしていなければ、たいていのパイロットは気を失ってしまうだろう。
が、ナーシャの心肺機能は、魔法少女になったお陰で、高いところを飛ぶために鳥類が持っている気嚢並みか、それ以上の力を得ていた。
実のところ、ナーシャには、大気圏内であれば、高度2万メートルぐらいまでなら、酸素マスクは不要だった。
万が一急激な減圧が生じても、気圧が安定するまでしばらく呼吸を止めていれば何とか耐えることができる。
だから、戦闘機に乗る際に着ける酸素マスクは、ナーシャにとっては、いわば、コクピット内におけるアクセサリー替わりといえた。
高度1万メートルの機上から見下ろした富士の高嶺は、地上から見上げたときの悠然とした姿とは異なり、フレンチの晩餐で供される焼きたてのクレームブリュレのように、拳で叩けば、3秒で崩れ落ちるような儚げな小山のように見えた。
時速2000キロ。静岡から都心まで150キロ足らず。
このままいけば、5分後には、“東京”に到着する。
到着ならばいいが、そんな悠長な表現では事足りない気配が濃厚だ。
「これは“魔法”だ!」
ナーシャは、自分の機体が別の大きな“魔力”で動かされていることをすぐに感じ取った。
だが、ここで逆らうことは得策ではない。
自分だけの力ではどうにもならない程の圧倒的な魔力で機体がコントロールされていることがわかった。
ここで自分の力を使って抗ったとしても、譬えて言うなら、象とネズミが力比べをするようなものだと、ナーシャは直観的に悟った。
「正体不明のこの相手は、戦闘機の機体を動かすほどの巨大な魔力を使って、何をしようとしているのか?」
賢いナーシャは、無理に抗うことは避けた。
まずは落ち着いて、相手が何を意図して、この魔法を使っているのか、それを見極めるべきだと、考えた。
しかし、常に冷静沈着なナーシャでも、この状況で眼下に広がる日本の国土を悠長に眺めている心の余裕はない。
モンブランの山頂よりも柔らかそうな砂糖をまぶした富士は遥か後方に流れ、スパイクのように立ち並ぶTOKIOシティの高層ビル群が間近に迫りつつある。
(おや? あれがこの機体を操っている張本人か……)
ナーシャは、巨大な魔力を放つ発信源を突き止めた。
常人ではもちろん、この距離からその姿を肉眼で捕らえることは不可能だが、巨大な魔力の波動を感じ取ったナーシャは、その出所を即座に辿って、視力12・0を超えるその紺碧の瞳でその姿を捕らえた。
高層ビルの屋上で両目を瞑り、万歳の姿勢で両手を挙げて、マジック・ワンドを空に向けている。
「この魔女は、どうやらリズ(ナーシャの師匠)と同じぐらいの魔力を持っているようね」
その力に吸い寄せられるように、F-16の機体は、鉛筆のように並んだビルディングの一つに向かって突き進んでいく。
「く! 衝突だけは避けなくては!」
もはや物理的に機体をコントロールすることは不可能だ。
ナーシャは、建物に衝突する前に、できる限りの魔力を使って、機体を捻じ曲げることに決めた。
「あれは?」
高層ビルに向かいつつあるナーシャの眼前に、数人の人影が現れた。
宙に浮いているところを見ると、どうやら魔法少女の“お仲間”らしい。
「Oro! ニッポンのマジカル・ギャルズね」
予期せぬ出迎えに、感動している場合ではない。
彼女たちが、自分に向かって攻撃を加えようとしているのではないかと、ナーシャは直感した。
自分が同じ立場で、戦闘機が高層ビルに体当たりを加えようとしているのなら、どうにかして阻止しようとするのは、当然だ。
それもこちらに一切の危害を加えることなく、丁寧に扱ってくれるとは考えにくい。
ビルへの衝突を回避するとしたら、右か、左のどちらかに曲げるはずだ。
ここは、相手の魔力を利用して、同じ方向に機体を曲げることが得策だ。
だが、右と左、どちらだろう?
そこまではわからない。
相手の力に抗っては、せっかく衝突を回避しようとしてくれているのに、邪魔をして、逆に衝突を招く可能性もある。
衝突までは、もう数秒しかない。
高層ビルまでの距離が残り数百メートルになった時点で、ナーシャは決断した。
「上だ!」
これならば、左であろうが右であろうが、関係ない。
〈ゴウウーン!〉
瞬間、F-16の機体に強烈な横Gが加わった。
巨大な鐘が打ち鳴らされるように、胴体辺りからグンと真横に引っ張られるような衝撃だ。
戦闘機は、眼前のガラス張りでギラギラと光る壁面を避け、右へと機首を振った。
通常の尾翼による旋回ではないため、機体全体に只ならぬ衝撃がある。
ナーシャは自分の魔力を上方向に向けていたが、機体は右へ急上昇するという不自然な動き方をしてしまった。
最初の突入は避けることができたが、このままでは旋回して再び街中に墜落してしまうかもしれない。
さらに、もう一つの巨大な魔力が機内に流れるのを感じた。
「何、これ! 私を消そうというわけ?」
この機体を操っているパイロットが諸悪の根源と思われているのかもしれない。
ナーシャは、相手の魔力に対して、反射的にアンチ・マジックで対抗した。
「ここで消されるわけにはいかない……。
こ、このままコクピットを離れることは、できない」
戦闘機の強烈なGなら、いくらでも耐えられるナーシャだが、で全身を鷲掴みにされるようなこの魔力の感覚はかなり苦しかった。
胃の辺りの内臓が切れ味の悪い錆びた鈍器で搔き回されているような、嫌な気分だ。
「あの魔法少女は、どこかで、見たような……」
ナーシャは、高層ビルを背にして宙に立った魔法少女たちの中で、自分に魔法をかけた一人の姿を視界の片隅で捉えた。
そして、大きく機体を旋回させながら、自らの記憶を辿って想い出した。
「あの娘は、アオイの従妹のケイトだわ!」




