第12話 緊急事態(その2)
首都圏にある臨海地区。
歴史的には新しい土地で、いわゆる埋め立て地と呼ばれる地域だが、高層マンションが立ち並び、視界が遮られた地上の空間で暮らす人々は、そこが海のすぐ近くに面しているということを意識することはまずないだろう。
だが、地上から数十メール離れた上空から眺めれば、そこがとても海に近い場所だということがよくわかる。
ケイトの住むマンションも、そんな臨海地区に一角に位置している。
平時であれば、生活する上で特に危険なことは何もない。
だが、万が一、巨大地震に見舞われ、大津波が襲ったならば、海抜の低い臨海部の地上部はほとんどが水没してしまうことが予想されている。
また、臨海部から少し離れているとはいえ、石油コンビナートや化学工場、火力発電所などが林立しているのも、リスクの一つだ。
これらが火災に見舞われた場合、想定される危険はどれほどのものか、日常生活を営む上で考えている者は、ほとんどいないだろう。
数分前、都心の高層ビルに向かって低空飛行していた某国の戦闘機F-16ファイティングファルコンは、ケイトをはじめとする黒の魔法少女の活躍によって、高層ビルへの激突を免れた。
一方、F-16は、その進行方向が逸れた後も依然として飛行を続け、現在25万人以上が日々の暮らしを営む、この臨海地区へと向かっていた。
「冗談じゃないわ。
これ、私たちが住んでいる街の方角よ!」
遥か先を行く戦闘機の後ろ姿を追いながら、サキが叫んだ。
「どうしよう、街に墜落したら大変なことになる」
ケイトは、全く当たり前のことだが、声に出さずにはいられなかった。
「でも、なんだか、少しずつ右の方に逸れているみたいですよ」
三人目の黒の魔法少女アズサの言う通り、戦闘機の機体は、若干右に翼が傾いているようで、高度も徐々に下がっていた。
このままいけば、街への墜落は免れそうだが、臨海地区から右、地図上では、南西に位置する場所に落ちてしまう。
そこには、くすんだ薄緑色の石油貯蔵タンクがところ狭しと立ち並んでいる。
「あそこに突っ込んだら、どうなるの?」
ケイトが声を上げた。
「大爆発を起こすかも」
アズサが応えた。
「慌てないで、もう一度、魔法をかけて、戦闘機を海の方に向けるのよ!」
二人が上げた心配の声に覆いかぶせるように、エミが支持を出した。
三人の魔法少女たちは、戦闘機に追いつくだけでも精一杯というのに、さらにさきほどと同じ規模の魔法を飛びながらかけなければいけないらしい。
「む、無理です」
最初に音を上げたのはアズサだった。
「ちょっと止まって、三人とも、私の方に集まって!」
空中を飛び続けていた少女たちをエミが呼び集めた。
「みんな、私の袖に掴まりなさい。行くわよ!」
ケイト、サキ、アズサの三人が、それぞれエミの袖に掴まるなり、エミは“空間移動”の魔法をかけた。
その瞬間、ケイトは、立ち眩みで眩暈を起こしたときのような感覚に襲われた。
目を開けたときは、まだ頭がフラフラしていたが、周りの景色は一遍していた。
「さあ、あっちから来るわよ」
エミの声で顔を向けると、どうやら戦闘機よりも先回りしていたようで、工業地帯から少し離れた海上で相手を迎え撃つ形となっていた。
眼下に広がる巨大なプールのような海面を、おもちゃのような大型タンカーが、何隻もゆっくりと航行しているのが見えた。
「さっきと同じ。サキとアズサちゃんは、コンビナートに墜落しないように機体を曲げて、私とケイトちゃんで、機体を消すのよ」
エミの合図で、三人はそれぞれの魔法をかけることになった。
今度は逆から見て、左側に機体が傾いているF-16の進路を、サキとアズサは、地上に激突しないように、さらに左に曲げる。
そして、なんとか二人の魔法は成功した。
F-16ファイティングファルコンの機体は、まさに隼が旋回するように、空中で半径数キロ単位の大きな弧を描き、海上に向けて進んでいった。
「次、ケイトちゃん、行くわよ」
「はい!」
エミの掛け声で、マジック・ワンドを落ちてゆく戦闘機に向けて振った。
ところが……。
「え? 消えない!」
F-16の機体は何事もなかったかのように、風に乗って漂う紙飛行機のように、海面に向かって飛び続けていた。
だが、その飛び方は、海面に対して並行に近く、そのままいけば不時着できるかのように思われた。
「ちょっと、まずいわ」
戦闘機が進む方向に、大型のコンテナ船が航行していることをエミは危惧した。
戦闘機がコンテナ船よりも早く海上を滑ってくれればいいが、まるで狙いすましたミサイルのように、F-16の機体は、船目掛けて突き進んでいく。
「きゃあ!」
ケイトは、両手で顔を覆って小さく悲鳴を上げた。
〈バシッ!!〉
大きな石が猛スピードでコンクリートの壁にぶち当たったかのような、乾いた音が響いた。
船体への激突は免れたものの、機体の一部がタンカーのブリッジの一部を掠めていた。
F-16の勢いはそのまま止まらず、船を掠めて、海上へと激突した。
それはケイトたちが頭に描いていたような不時着ではなく、主翼の片側が、青い海面をナイフで削いだように白い波を立てながら進んだ。
さらに、小さな子供が癇癪を起して放り投げた玩具のように、海上をゴロゴロと転がってから止まった。
一方、戦闘機が当たって破壊されたタンカーのブリッジからは、黒い煙が立ち上っていた。
「あなたたち、なんてことをしてくれたの!」
魔法が効かなかったショックとともに、事故を起こした戦闘機とタンカーの様子を茫然と見送るしかなかったケイトの耳に、何者かが自分たちのことを非難する声がした。
「あら、“ご旅行”の方は、もうお済なのかしら?」
エミが声をかけた方を見ると、エミと同じぐらいの年恰好の白いコスチュームに身を包んだ女性が現れていた。
その後ろには、先ほど高層ビルの現場に現れた白い二人の魔法少女も来ていた。
「お陰さまで、思いも寄らぬ“アルプス見学”を楽しむ羽目になったわ。
それより、これはどういうこと?」
どうやら、白いコスチュームの女性はエミの知り合いらしい。
それにしても突然現れた女性が自分たちを非難しているらしいことに、ケイトは焦りを覚えた。
転んだ子供を助け起こそうとして、逆にいじめて泣かせていると、子供の母親から誤解を受けてしまった、そんな気分だ。
「違うんです、私たちは、あの飛行機がビルに体当たりしそうになったんで、それを食い止めようとして、それで、ああなったんです」
ケイトは自分がこの状況をうまく説明できないことに苛立った。
「あなた、浅吹ケイトさんよね。
とても、残念だわ……」
白いコスチュームの女性は、自分のことを非難するというより、むしろ憐れむような目で見ていたので、ケイトは驚いた。
「あなたは、悪くない。
悪いのは、その女、黒い魔女の方よ」
白い女性は、エミを指差して言った。
「シズカさん、遅くなりました」
その時、白の魔法少女アカリがやってきて、白い女性に声をかけた。
彼女の名前はシズカというのか、とケイトは思った。
「アカリ、ちょうどいいところに来たわ。
あなたの魔法で、あのタンカーの火を食い止めてちょうだい」
「わかりました」
アカリは、シズカからの指示を受けると、すぐさまタンカー目掛けて飛んで行った。
いったいどうするつもりかと、見ていると、アカリはマジック・ワンドを取り出し、黒煙を上げるブリッジに魔法をかけた。
「えい!」
アカリのワンドの一振りと掛け声で、狼煙のように上がっていた黒い煙は、立ちどころに止まった。
いったい、何が起きたのか、よくわからない。
単に火を消し去る魔法を放ったのか、燃えているところに“水”でもかけたのか、ケイトにはわからないが、タンカーの火災を食い止めたことだけは確かなようだ。
「あなたたちは、あの戦闘機をなんとかして」
シズカは、残りの白い魔法少女、マリとコトネの二人にも指示を送った。
「はい」
二人は声を合わせて返事をすると、壊れたプラモデルのように、海面にバラバラに散っている戦闘機に向かって飛んで行った。
彼女たちが魔法をかけると、散っていた破片が集まってある程度、一つの形に組み上がった。
バラバラになった戦闘機は“ある程度”まで元の形に戻っていた。
「すごい魔法だ!」
彼女たち、白い魔法少女が次々に放った魔法の力に、ケイトは思わず、感嘆の声をあげていた。
マリとコトネは、形が元に戻り、今や船のように浮かんでいる戦闘機に近づき、操縦席の中を覗き込んだ。
そして、慌てたようにシズカの元に引き返してきた。
「シズカさん、大変です」
「どうしたの?」
「操縦席に、誰も乗っていません」
「え? どういうこと」
そう言いながら、シズカは、その理由をエミに確かめるかのように振り向いた。
「なるほど、そういうことか」
エミが呟くように言った。
「ケイトちゃん、私たちの魔法は、別に失敗したわけじゃないようよ。
私たちが魔法で消したのは、どうやら戦闘機じゃなくて、パイロットの方だったみたいね」
エミは周りにいた全員に説明するように、そう言った。




