8 翌昼 –––– 情報屋バート視点
「なあ、この記事さ。王女殿下が勇者を断ったって内容に変えてくれ」
向かいに座っていた男が、書きかけていた紙面から顔を上げた。
「え、それ逆ですよね?」
「いいんだよ」
バートは卓上の新聞を引き寄せ、意味もなく端を揃えた。
ここは王都でもそれなりに名の通った新聞社だ。発行部数も多く、貴族の屋敷はもちろん、王宮にも届けられている。目の前の男とは長い付き合いだった。こちらから人の興味を引きそうな話を流すこともあれば、向こうから妙な噂を持ち込んでくることもある。記事の扱いを小さくさせることも、大きくさせることもあった。新聞社など、敵に回すより使ったほうがいい。
「そうだなあ。王女殿下と勇者の縁談が持ち上がった。しかし殿下は辞退された。それでいい」
「理由は?」
「魔王を倒した勇者を王家に縛りつけることをよしとされなかった。功績を称え、本人の自由を尊重された。そんなところでどうだ」
「王女殿下が本当にそうおっしゃったんですかあ?」
「お前、いつからそんなに真実を大事にするようになったんだ?」
「そりゃ新聞社ですからね」
男が笑い、バートも笑った。
実際には、国王が王女との縁談を口にするより先に、勇者が断ったらしい。だが、それがそのまま広まれば、王女殿下が勇者に袖にされたという話になる。
よろしくない。
ならば、少し向きを変えてやればいい。王女殿下は勇者に拒絶されたのではない。勇者の自由を尊重し、自ら縁談を辞退されたのだ。誰も困らない。
「それにしても、勇者ってどんなヤツなんですかね。爵位も領地も断ったって聞きましたけど」
バートは椅子の背にもたれた。
「田舎育ちで、王都の事情にも疎い。後ろ盾になる貴族もいない。爵位や領地を貰っても困るって分かってたんだろ」
「もったいないなあ」
「価値も知らないだろうな。学が、というか、下手すりゃ字が読めるかも分からんぞ?」
「ずいぶんな勇者評で」
男は笑いながら、何かを書き留めた。
「そういや、聖女はどうします? 勇者とずっと一緒に旅してたんでしょう。結構な美人で評判めちゃくちゃいいんですよ。知らないんですか?」
「ああ」
聖女セシリア。神殿から選ばれ、勇者とともに魔王討伐へ向かった6人のうちの1人だ。
「勇者と何かあるって話にしたら、読者も食いつきよさそうですけどね」
「好きにしろよ。王女殿下に傷がつかなければ、かえって好都合だ」
王女が勇者との縁談を辞退した。その勇者には、旅をともにした美しい聖女がいる。それなら、王女が振られたという印象も薄くなる。
「ただ、勇者には婚約者がいるらしいぞ」
「え? 誰ですか?」
「正体不明だ。昨夜、自分で言ったそうだ。まあ、今調べてるところだけどな」
男の目が輝いた。
「そっちのほうが面白そうじゃないですか」
「だからお前らは嫌いなんだよ」
勇者の婚約者については、妙なくらい何も出てこなかった。何か月も旅をした仲間たちでさえ、名前も、どこに住んでいるのかも知らないらしい。
だが、バートにはひとつだけ手掛かりがあった。
青い石のついたネックレスだ。直接見てはいないが、勇者がそんなものを大事にしていると複数から証言を得ている。たしか、特定の相手と対で持つ石というものがあったはずだ。以前、記事の題材として調べたことがあるが、あまりに高価で庶民には縁がないと分かり、結局取り上げなかった。万が一、王都で買ったものなら、扱っている店から辿れるかもしれない。購入した時期まで分かれば、その先へ繋がる可能性もある。名前も居場所も分からない婚約者を闇雲に探すより、よほど早そうだった。
「ま、それはこっちの仕事だ。……お、もう直したのか」
「婚約者の件、分かったらこっちにもお願いしますよ」
「おう、任せとけ」
バートは直された記事を受け取り、席を立った。
◇
その足で王女の元へ向かい、直された記事の草稿を渡すと、王女は黙って目を通し始めた。
やがて、口元がわずかに上がる。
「ふうん、悪くないわね。私が勇者を自由にしてあげたということね」
「だいたいそんなところです」
だが、読み進めるうちに、その眉間に深い皺が寄った。
「ちょっと、何これ」
白い指が示したのは、魔王討伐の旅をともにした若き聖女と勇者の親密な関係、そこに王女がどう絡んでいくのかと、勝手な憶測が並んでいる部分だった。
「どうして私とこの女が、勇者を取り合ってるみたいになっているのよ」
なるほど。そう読めなくもない。
「そのほうが読者は喜ぶんでしょうね」
「下世話ね」
王女はフンと息を吐き、紙面を卓へ放った。
「それで? 勇者については何か分かった?」
椅子の背へ身を預け、整えられた自分の爪を確認しながら言う。
そう。こちらが本来頼まれていた仕事だ。
「今のところ、貴族との繋がりは確認できていません。騎士団や神殿とも関係なし。王都に確かな後ろ盾がある様子もありません」
「婚約者のことは?」
「何ひとつ分かりません。どうも、最初から意図して伏せていたようです」
「どうして? 変な男ね」
「そうですね。ただ手掛かりはありますので、もう少しお待ちいただければ」
「ふん。まあいいわ。急いでね」
バートは一礼し、部屋を出た。
◇
王女の部屋を辞し、王宮の西側へ向かう。次に向かう場所を考えれば、正面へ回るより、中庭沿いの回廊を抜けたほうが早い。普段から使っている道だった。昼を少し回った時刻だというのに、中庭には庭師の姿もなく、回廊の両端にも人影はない。
まずは青い石を扱いそうな店を洗う。あのルカという男は、たまたま王都を訪れていたときに、勇者として選ばれたという話だ。購入時期がその前後なら、かなり絞れるだろう。店が見つかれば、誰と来たのか、何を話したのか。そこから婚約者へ繋がるものが出るかもしれない。
考えながら歩いていると、不意に回廊の先から声をかけられた。
「バートさんですよね?」
若い男が立っていた。
白いシャツに濃紺の上着。昨日の祝宴ほど堅苦しくはないが、王宮にいても違和感のない装いだ。胸元には、例の青い石が下がっている。大勢の中ではどこにでもいそうな若者に見えたのに、1人で立っていると妙に目を引く。
勇者ルカだった。
「これは勇者殿。私の名前をご存じとは光栄です」
「王女殿下のところに出入りしてる人ですよね」
「ええ。ときどきお仕事をいただいております」
「今は僕のことを調べてますよね」
ずいぶんな真っ直ぐさに驚いた。これだから田舎者は。腹芸というものも知らないらしい。
「勇者殿ほど有名になれば、調べる人間の1人や2人はいるでしょう。私だけとは限りませんよ」
「それは別にいいんですが、僕の婚約者を探るのはやめてほしいんですよね」
なるほどそこか。
「危害を加えようというわけではありませんよ? お名前やお住まいを確認する程度です。勇者殿の婚約者ともなれば、皆が知りたいと考えるのも不思議ではないでしょう」
「なぜ、それを知る必要があるんですか?」
バートは一瞬答えに詰まった。
すぐこれだ。有名になると、人は権利だのなんだのと言い始める。世間が知りたがるものを探り、求められる相手へ渡す。それが自分の仕事なのだ。
「そうですね。まあ、皆さんが知りたいものを探って提供するのが、私の仕事ですから」
「なるほど」
勇者はあっさり頷いた。
「そうか。そうですよね。というかバートさん、昔は警備の仕事をされてたんですね」
唐突に話が変わった。
「……え? ええ」
「意外でした。てっきり、ずっと新聞関係のお仕事なのかと思ってました」
「ハハハ、私は新聞屋ではありませんよ」
「あ、でも警備で現場に出るというより、途中から広報のお仕事をされてたみたいだから。その名残なんですかね。人を調べたり、情報を集めたりするの」
なんのつもりだ、これは。
俺を調べたということを、わざわざ報告しているのか? 昔の所属くらいなら、調べれば分かる。
「だいぶ強引なこともされてたみたいですね。こう言ってはなんだけど、衝突も多かったとか」
「いや参ったな。人の考えというのは変わりやすくて困ります。大丈夫だというから入り込むと、それは違うと。いや、昔のことですが」
「同僚や仲間の方にも、言い分はあるのかもしれませんよ。お金の面で厳しい方も多くいらっしゃいますからね。何年経っても忘れられない方もいるかもしれない」
「……ずいぶん調べましたね」
勇者の口元が、わずかに緩んだ。
「バートさんにそう言われると、なんだか嬉しいですね」
冗談を言っているようには見えなかった。バートはその顔を見たまま、ゆっくりと笑みを作った。
「……脅しですか?」
「え?」
勇者が瞬いた。意外だとでも言うように。
「逆に、僕は脅されてますか?」
「なぜ?」
「僕がやめてほしいと言っても、彼女を調べるんですよね」
「先ほど申し上げたでしょう。そういう仕事なんです」
「はい。だから僕も調べただけです」
何でもないことのように言う。風が抜け、回廊の向こうで木々の葉がかすかに鳴った。勇者は変わらず、こちらを見ている。バートは小さく息を吐いた。
「昔の所属なんて、少し調べれば分かることです。本業を脅そうなんて、やめたほうがいいですよ」
「じゃあ、ご家族の話にします?」
バートの笑みが止まった。
「……何です?」
「残念でしたよね。一緒に暮らせなくなって」
「何の話です」
「仕方なかったんでしょう。あなたは恨まれてた。そばにいたら危ないと判断したんでしょう? 籍を入れるのも、やめたんですよね?」
勇者の声のトーンは変わらない。
「奥様になるはずだった方は同じ職場で、いつも喧嘩ばかりしていた相手だった。だから当時の同僚にも気づかれなかったし、言わなかった。なんだか僕と似たようなものですよね。守りたかったんでしょう?」
「何を……」
「別れようと言われて、あなたもそれを受け入れた。でもそのときは知らなかった。あなたの子どもがもうできていたことも」
「おいっ」
「離れてから分かったんですよね。それでも結局、お互いに離れられなかった。一緒には暮らせないけど、あなたは今もお金を渡して生活を支えてる。こっそり会ってる」
「っ……」
「そりゃ仕事は必要ですね。4人分の生活を支えるんですものね」
「っ! やめろ!」
バートが胸ぐらを掴んだ、が頭のどこかで警鐘が鳴った。相手は勇者だ。
だが、それより早く、別の違和感が頭をもたげた。
「……待て」
今、なんと言った。
「4人……だと?」
「調べました」
一拍置いて、なんでもないことのように言われた。
「おめでとうございます」
何を言われたのか分からなかった。
4人。
自分と、彼女と、娘。それで3人だ。なら、あと1人は――。
「……はぁ?」
胸ぐらを掴んでいた手から、力が抜けた。
「待て。お前、何を言ってる」
自分で思ったよりうろたえた声が出た。
「なんでお前が……! な、んで……」
こいつが勇者だろうが知ったことではなかった。
「適当だったら許さんぞ! ま、間違いじゃないんだろうな」
「僕が調べてもらった限りでは、間違いないと思います」
「ふざけるなよ……」
吐き捨てたところで、膝から力が抜けた。そのまま座り込みそうになった身体を、よりにもよって支えられた。
「触るな!」
振り払ってから、壁に手をつく。腹が立つ。嬉しくないわけがない。だが、なんでこいつから聞かされなければならない。彼女は今どうしている。娘は知っているのか。身体は大丈夫なのか。いつ分かった。自分にはいつ言うつもりだった。次々と浮かんできて、何ひとつ考えがまとまらない。そして、そのどれより腹立たしいことに、目の前の男はそこまで調べたのだ。自分が守るために隠してきたものを。
「……まだ続けますか?」
その一言で、バートは顔を上げた。
目の前の青年は怒っていない。声を荒らげてもいない。ただ、こちらが婚約者について調べるのと同じように、自分について調べた。それだけだと言わんばかりだ。
「あなたは、僕たちのことを調べるのが仕事だと仰いました。あなたにとってそれが大切なら仕方ないです」
妙に素直な言い方だった。
「でも彼女を守るのは、僕の使命です」
そこで初めて、ルカの表情から笑みが消えた。
「どちらが強いか、比べますか?」
目の前にいるのは、勇者とはいえ、まだ若い田舎出の男だ。何も分かっていない、御しやすい相手。
つい数時間前まで、本気でそう考えていたのに。
「……分かりました」
ようやくそう言うと、ルカの表情が緩んだ。
「ありがとうございます」
明らかに、こちらが期待していた意味とは違う礼だった。
「ああ。もうひとついいですか?」
終わっていなかった。
「……何ですか?」
「この国以外にも、情報を扱う人たちと繋がりがありますよね。だから王女殿下にも重宝されてる」
何となく分かってきた。こいつは言葉も、その使い方も知っている。この笑顔もだ。
「それが何か?」
その笑顔で俺を褒めだしたのだから、絶対にいい話ではない。それでも、もう聞くしかないのだろう。 なのに、こいつはすぐには話し始めず回廊の向こうへ目を向けた。昼の日差しの中、風に揺れた木の葉が石畳の上に影を散らしていた。なんということもない風景だ。
「僕はこれから、王都の情報なんてほとんど入ってこない生活に戻ります。新聞もそう読まないし、誰が僕について何を言っているかも、たぶん知らないままでいる」
「それで?」
続きを促すと、視線がこちらへ戻った。
「僕についての噂なら、好きにしてもらって構いません。王女殿下に振られたことになっても、聖女と何かあったことになっても」
「でも、僕が隠していることに妙に近い情報が出たら、バートさんを疑います」
一瞬、言われた意味を考え、理解した途端、さすがに黙っていられなくなった。
「ちょっと待ってください。これからどれだけの人間があなたを調べると思ってるんです? 王都の貴族だけじゃない。他国も、商人も、新聞社もいる。その全部を私のせいにするつもりですか?」
「全部じゃありません。僕が意図して伏せていることだけです」
さらりと返されて、思わず眉間に皺が寄った。こいつは自分がどれだけ無茶なことを言っているのか分かっているのか。それとも、分かった上で言っているのか。後者としか思えない。
「横暴だ! 私はあなたのことなんか、ほぼ何も知らないんですよ!」
「それでいいです。何も知らないままで」
なんだ、その穏やかな声と余裕のある笑顔は。まるで、俺のほうが聞き分けのないことを言っているみたいじゃないか。
「これ以上、何も調べない。仮に何か知ったとしても、外に出さないでほしい。それだけです」
「……簡単に言いますね。情報というものは、知ってしまえば扱わなければならないこともあるんです」
「なら、別の情報を被せればいい」
「……は?」
「本当のことが霞むくらいに、別の話を流すのはどうでしょう? あなたならできるでしょう?」
どこまで本気なのかと見れば、相変わらず穏やかに笑っている。どうやら冗談ではないらしい。
「あなたは私に、自分の婚約者についての情報を隠蔽しろと言ってるんですか?」
「怖い受け取り方ですね。そうなってしまうんですか?」
悪びれる様子もない。思わず額に手をやった。
「ずいぶん勝手な話だ」
「でも、僕が王女殿下を断った話は逆にするんですよね?」
額に当てていた手が止まった。今度こそ完全に言葉を失った。なぜ、それを知っている。まだ記事にはなっていない。王女の部屋へ草稿を持っていったのも、つい先ほどだ。
「あなた、情報に疎いんじゃなかったんですか?」
「疎いですよ。字が読めるかも怪しいらしいですしね」
「……!」
その笑顔が得意げに見えたのは、きっと気のせいではないのだろう。
「僕は、そういうことを気にしなくていい生活に戻りたいんです」
ルカはそう言って、バートを見た。
「だから、彼女のことは放っておいてください」
「……分かりました」
ようやく答えると、ルカは頭を下げた。
「ありがとうございます」
それだけ言って、歩いていった。
バートはその背中をしばらく見送った。
青い石。あれなら、おそらく辿れる。扱っている店を探し、購入した時期を調べ、その前後の勇者の動きを洗えば、婚約者へ近づける可能性は高い。
ついさっきまで、そのつもりだった。
だが、やめておこう。万が一、別のところから婚約者について何か入ってきたら、そのときは――。
「…………」
止めよう。考えるのも馬鹿らしい。
それよりも、だ。今は、あいつが言ってた「4」が本当なのか、確かめに行かなければならない。




