7 翌朝 –––– 魔法使いリナ視点
「そういやルカ。昨日の部屋な」
シドが何でもないことのように言った。
「うん」
「替えといて正解だったぞ」
「何かあったの?」
ルカより先にリナが聞いた。
「ガチャガチャとノブを動かしたり、外から声をかけたりする奴が複数」
「鍵は?」
「もちろんかけてあった。それなのに開けられた」
思わず手にしていたパンを置いた。
「どういうこと?」
「合鍵じゃないかな。3人。いないと分かると、また鍵をかけて出ていった。ご丁寧なことに」
シドは平然とカップへ口をつけた。
「そのうち鍵を壊された」
「は?」
今度はダリクまで食べる手を止めた。
「鍵を?」
「壊して」
「待てよ、王宮の客室の鍵を壊したのか?」
「ああ」
リナは言葉を失った。
シドによれば、鍵を壊して入ってきた者が扉をそのままにしていったため、その後はさらに5人ほどが自由に出入りしたらしい。女性ばかりだったのかと思えば、そうでもない。男もいたという。それ以外にも、扉を叩いたり、取っ手を何度も動かしたり、廊下を行ったり来たりしていた者までいたらしい。
なんだかぞっとする。
「……何しに来たの、その人たち」
「それぞれだろ。勇者と直接話したかった奴もいるだろうし、手紙を置いていった奴もいた。まあ、中に誰もいないと分かって帰った奴がほとんどだ」
「ほとんど?」
「勝手に中を見て回ろうとした奴は追い出した」
「怖っ。てか、なんでそこまで知ってるの?」
不思議そうにエリオが声を上げる。
そうだ。まるで見てきたように話している。
「隣に護衛用の控え部屋があってな。額縁の一部が覗き窓になってる」
「趣味悪いわね」
軽く舌を出し、セシリアが目をすがめる。
「警備上の確認も兼ねてな。入ってきた連中はあとで締め上げる」
昨夜、自分たちが別の客室へ案内されたときには、ずいぶん用心深いことをするものだと思っていた。リナの元の部屋にも何人か訪ねてきたらしいが、扉が開かなければ諦めたという。
どうやらルカの部屋だけ、事情が違ったらしい。
「なんで僕の部屋だけそんなに来たのかな」
当の本人は、首を傾げながらパンをちぎっている。
「お前が勇者だからだよ」
ダリクが呆れたように言った。
「……そんなものか」
当の本人があまりにも普段どおりなので、なんだかおかしくなって、リナは少しだけ笑った。
食事も半ばを過ぎたころ、昨日も見かけた王宮の役人が部屋へ入ってきた。
今日の予定を伝えに来たらしい。午前中は神殿へ赴き、正式な報告と祈りの儀式。その後は王宮へ戻って昼食を取り、午後には国外から到着する使節との面会が予定されているという。さらに、昨日国王から下賜された報奨金について、財務官から受け取り方法の説明もあるらしい。
そこまでは6人全員の予定だった。
「なお、勇者殿には、その合間にいくつか個別の面会希望が届いております」
ルカが手にしていたパンを皿へ戻す。
「僕にですか?」
「はい。騎士団長より、一度ゆっくりお話をしたいとの申し出がございます。また、陛下も改めて宰相閣下とともに勇者殿とお話しになる時間を設けたいとのことでございます」
「今日ですか?」
「すべて本日とは限りません。神殿関係者や諸侯の方々、王都の各ギルドや商会からも複数の面会希望が届いておりますので、明日以降も順次――」
「明日以降も?」
思わず口を挟んだリナに、役人はにこやかに頷いた。
「はい。勇者殿と個人的にお話ししたいというご要望は、多数いただいております。こちらで調整させていただいてはおりますが、それでもかなりの数かと」
思わずルカを見た。昨日あれだけ人に囲まれていたのに、まだ足りないらしい。
「また、本日の宴ですが」
「また?」
今度もリナの口から勝手に出た。
「昨日やりましたよね?」
「はい。本日は新たに到着される各国の特使の方々もご臨席されますので」
「明日は?」
今度はエリオだった。
「明日以降につきましても、式典や会食、騎士団や神殿での催しなどが予定されております」
「それって、いつまで続くんですか?」
役人の顔に、わずかに不思議そうな色が浮かんだ。
「もしや皆様、祝賀についてご存じではございませんか?」
6人が顔を見合わせる。
「祝賀?」
「はい。魔王討伐は我が国のみならず、周辺諸国にとっても大きな慶事でございます。慶びの大きさを示すため、祝賀の間は毎日宴が催されます。それだけ盛大に皆様をお迎えすることが、歓待のしるしでもございますので」
役人は顎に手を添え、記憶をたどるように少し首を傾げた。
「今回は前例のないことでございますから、現時点で何日とは申し上げられません。ただ、王女殿下ご生誕の折にも10日にわたって祝賀が続いたことを思いますと、やはりその程度にはなるかと。なにせ、魔王が倒れたという慶事ですから」
「10日?」
誰の声だったのか分からなかった。何人か重なったのかもしれない。
明らかに戸惑った声だったが、役人にとっては誉れなことなのか、嬉しそうに続けた。
「個人的には10日では足りないと思います。本当に。ですが、祝賀が終わらなければ凱旋パレードも開催されませんので、それはそれで待ち遠しいところではあります」
王都へ戻ったら、国王へ報告して、祝宴があって、凱旋の式典があって。それが終われば旅も本当に終わる。
リナはなんとなく、そんなふうに思っていた。でもどうやら王宮では、そんなに簡単ではなかったらしい。
「もちろん、すべての催しへのご出席をお願いするものではございません。皆様のご都合もございますので、今後の予定につきましては改めて調整を――」
「あ、はい。分かりました。ありがとうございます」
ルカが頭を下げると、役人も丁寧に一礼し、今日の集合時刻を告げて部屋を出ていった。
扉が閉まる。
誰からともなく、妙な沈黙が落ちた。
「……10日かあ」
ルカが困ったように息をつく。
「ねえ」
リナは思い切って声をかけた。
「もういいんじゃない?」
「何が?」
「ルカ、もう帰っちゃえば?」
口にした途端、胸の奥がきゅっと縮んだ。
誰もすぐには反応しなかった。
あれ。
なんだかみんな固まっちゃった。
「もちろん、もちろんすごく寂しいんだけどさ」
焦って言葉を足す。
「まだみんなでいたいし。せっかく旅が終わったんだから、こうやって一緒においしいもの食べたりするのも楽しいし。昨日だってすっごく楽しかったし。そうだけどさ……そうなんだけどさ」
言っているうちに、本当に寂しくなってきた。目の前の白いテーブルクロスの端を、意味もなく折っては戻す。
どうしよう。なんか変なこと言ったかな。
「大丈夫だよ。分かってるよ」
エリオの穏やかな声に、少しだけほっとした。
「なんか僕も、ルカはそろそろ帰ったほうがいいのかなって思ってた」
「エリオも?」
「うん。昨日の宴で僕にもさ、弓を教える気はないかとか、騎士団に来ないかとか、結構声をかけてくれる人がいてさ。ダリクもでしょ?」
「ああ。何人かいたな。騎士団とか、冒険者のパーティとか、個人的に家の護衛として来ないかってのもあった」
「リナだってあったでしょ?」
「うん」
王都に残るなら研究施設を紹介すると言ってくれた者もいたし、珍しい魔術書を見せてやると言われたときには、正直かなり心が動いた。
「もともと聖女のセシリアや、王宮の仕事もしてたシドにだって、きっといろいろあると思うんだ。でもさ」
エリオの視線につられるように、全員がルカを見る。
「ルカに来る人って、なんか熱量が違うんだよね。僕らは誘われてるって感じだけど、ルカは、どうしたら王都に残ってもらえるか考えられてる感じがする」
「それ!」
思わず卓を叩いた。腹に響いてちょっと気持ち悪い。でも今はそれどころじゃない。
「それ思ったの。爵位とか領地とか、王女様とか。昨日だってずっと誰かに囲まれてたし、さっきのも聞いたでしょ? 陛下に宰相様に騎士団長に、まだほかにもいるんだよ?夜だって危ないじゃん」
「まあ、俺たちだって似たようなもんだろ」
「違うよ。私たちは自分で決めればいいじゃん。誘われて、行きたかったら行けばいいし、嫌なら断ればいい。でもルカには待ってる人がいるんだよ」
返事はなかった。
「それにさ」
そこから先を口にするのは、少し迷った。
昨日会った人たちは、みんな親切だった。本当に感謝してくれているのだと思う。だから、こんなことを考えるのは失礼かもしれない。
「嫌な想像だけどさ。もし、どうしてもルカに王都に残ってほしいって思う人がいたら、王都から出られないようにしようって考える人だっているかもしれないじゃん」
「さすがにそこまでするか?」
「分かんないよ。しないかもしれないよ。私だって、みんないい人だと思うし」
手持ち無沙汰になって、目の前でほのかに湯気を立てているパンを手に取った。
「でも昨夜だって、勝手に部屋へ入ってくる人がそんなにいたんでしょ? 鍵まで壊して。それなら、ルカのことをもっと知りたいって思う人だっているんじゃないかな」
自分で言っていて、少し怖くなった。
「ルカが強いのも、もちろん分かってるよ。だからルカ本人をどうこうできるとは思ってない。でも、昨日みんなに婚約者のこと知られたんでしょ?その人のことを調べる人だっているかもしれないし。もちろん何かするって言ってるんじゃないよ? でも、ルカがその人を大事にしてるって分かったら……分かったらさあ……」
その先をうまく言葉にできなかった。なんだか自分が嫌なことばかり考える人間になったような気がして、パンを皿へ戻そうとしたら、ダリクが引き取ってくれた。
「……考えすぎかな」
「いや」
それまで黙って聞いていたシドが、カップを卓へ戻した。
「ルカは魔王を倒した勇者だ。王都に置いておきたいと思う人間がいるのは当然だろ。だからといって婚約者に何かするとは限らないが、名前や居場所を知りたがる奴がいても不思議じゃない」
ルカの手が首元へ伸びた。服の下にある青い石を確かめているのだろう。
「あ。でも、よかったこともあるよ」
ふと思いついて、両手を合わせた。小さく乾いた音が鳴る。
「私たち、その人のこと何にも知らないじゃん」
「……うん?」
「名前も知らないし、どこに住んでるのかも知らない。ルカ、最初から言わなかったでしょ」
「……うん」
「分かってるよ。別に私たちが信用されてないなんて思ってないから」
それは本当だ。半年以上も一緒に旅をして、命を預けたことも、預けられたこともある。今さらそんなことでルカを疑ったりはしない。
「最初から、ちょっと伏せておこうって思ってたんでしょ?」
「まあ、うん」
ルカが少し気まずそうに頷いた。
「じゃあ、その勘が当たってたってことじゃん」
そう考えると、むしろ知らされていなかったことがありがたく思えてきた。
「だったら、このままでいいよ。その人の名前も、住んでるところも、言わなくていい」
今度はルカのほうが少し驚いたようだった。
「内緒にしてって言われたら、もちろん内緒にするよ。でも、絶対に何があっても一言も漏らさないって言い切れるかって聞かれたら、ちょっと怖いもん。何気なく話したことから分かっちゃうことだってあるかもしれないし」
「確かに。知らないんだから、知らないって言えるしね」
エリオが頷いた。
「俺もそれでいい」
「いい考えだ」
ダリクとシドまであっさり賛成した。ルカからすぐには返事がなかった。
「だから、言わなくていいよ。知らないままにしといて。……でも」
「うん?」
「寂しいから、たまには遊びに来て。こっそりでいいから。できたらだけどね」
「分かった」
「絶対じゃないからね。遠かったり忙しかったりしたら、無理しなくていいんだからね」
「うん」
「……でも、できれば来て」
「どっちなんだよ」
ダリクがおかしそうに口元を緩めた。
「うるさいなあ! 寂しいんだから仕方ないでしょ!」
「分かった分かった。まあ、俺は誰に声かけられたって、どこに紐つけされたって、自由にやらせてもらうし」
「お前はもう紐付きだろ」
「は?」
「え?」
ダリクとリナの声が重なった。
当のシドは何事もなかったようにパンをちぎっている。
「誰にだよ」
「誰とよ!」
また重なった。
エリオが吹き出す。
「なんだよ!」
「何がおかしいのよ!」
「いや、ごめん。2人とも同じこと言うから」
「言ってねえ!」
「言ってない!」
また重なった。
今度はセシリアまで笑い始めた。なんなのよ。顔が熱い。隣のダリクも同じようにこちらを気にしたらしく、目が合ってしまった。なんか焦って反対側を向いた。
最初に変なことを言ったくせに、シドは平然と朝食を続けている。
「それで、どうするの?」
ひとしきり笑ったところで、セシリアが話を戻した。
「まあ、今日の予定は決まってるから、それには出る」
「そのあとよ」
「10日はさすがにな。でも、途中で帰るのも気が引けるし」
セシリアが身を乗り出してルカの顔を覗き込み、何やら悪いことを思いついたように口元を上げた。
「あ、分かった。本当はパレードに出たかったのね?」
「え?」
「聖剣を掲げて、沿道のみんなにこう、手を振りたいんでしょう?」
セシリアは聖剣を掲げる真似をして、わざとらしく手を振ってみせる。
「いや、別に」
「大丈夫よ。恥ずかしがらなくても」
「恥ずかしがってないよ」
「晴れ舞台ですもの。楽しみにしてたのね」
「違う」
「じゃあ帰れば?」
からかっていたのが嘘のように、セシリアはあっさり切り替えた。
「魔王は倒した。陛下にも報告した。祝宴にも出た。今日だって、もう決まっている予定には出るんでしょう? なら十分じゃない?」
ルカはゆっくりと、卓を囲む5人それぞれへ視線を巡らせた。
やっぱり、寂しいなあ。
リナは明日も6人で朝食を食べたかった。くだらない話をして、明後日だってこうして笑っていたい。旅の間は早く魔王を倒して帰りたいと思っていたはずなのに、いざ終わってみれば、終わってしまうことがこんなに寂しい。
でも、ルカにも帰る場所がある。帰るのを待っている人がいる。
「……そっか」
ほんの少しだけ、ルカの表情が緩んだ。
「じゃあ、今夜帰ろうかな」
「それがいいよ」
胸の奥が、また少し痛くなった。
いよいよ終わるのだ。
でも悪いことじゃない。
明日からは、それぞれの場所へ戻っていくだけだ。




