5 密談 –––– 斥候シド視点
朝の謁見を終え、その後の昼食を済ませると、6人には夜の祝宴が始まるまで自由に過ごしてよいと伝えられた。
それぞれに用意された客室で休むのも、王宮内の立ち入りを許された場所を見て回るのも構わない。ただし夜は祝宴が開催され、正装が必要になるため、衣装を担当する者が訪ねてくる時間だけは部屋にいるようにと念を押されている。
それを聞いて真っ先に動いたのはリナだった。
王宮の書庫を見せてもらえないかと尋ね、許可が出ると、セシリアを誘ってさっさと出ていった。長旅の途中ではまともな本を読む機会などほとんどなかったから、魔法関係の書物が大量にあると聞いて朝から気になっていたらしい。セシリアのほうも神殿にない蔵書には興味があるようで、珍しくリナに急かされることもなく一緒についていった。
ダリクは、昨日から食って寝てばかりで身体が鈍ると言い出し、鍛錬のできる場所を借りられないかと衛兵に尋ねていた。なぜかその隣にはエリオもいて、本人は明らかに昼寝でもしたそうな顔をしていたのだが、ダリクに肩を組まれたまま連れていかれたので、おそらく今頃は練習相手にでもされているのだろう。
ルカはふらりと姿を消した。
少なくともシドは、昼食のあと姿を見ていない。
魔王を倒した勇者一行の帰還を祝う宴なのだから、今夜ばかりは王宮も相当な準備をしているらしく、廊下を行き交う使用人の数は朝よりも増えていた。自分たちの衣装についても、旅装を少し整えれば済むような話ではないらしい。
シドが自室で衣装合わせを終え、書庫にでも行こうかと思ったときだった。
「宰相閣下がお呼びです」
という使いの男がやってきた。宰相の執務室へ向かうのかと思っていたが、王宮の建物の外に出た。回廊を抜けた先にはよく手入れされた庭園が広がっており、秋の気配を含んだ風が木々の葉を揺らしている。
王宮で暮らす者たちが散策するための庭だ。石畳の道に沿って低い生垣が続き、その向こうには色とりどりの花が植えられ、ところどころに大きな木が涼しげな影を落としている。使いの男は奥へ進み、人目につきにくい場所に建てられた四阿の前で足を止めた。
「こちらです」
四阿には、すでに宰相が待っていた。国王に次ぐ権限を持つ男――というのが表向きの説明になるのだろうが、実際にはそれ以上だとシドは知っている。この国の仕組みを実際に動かしているのは、目の前の男だと言っても大きくは違わない。本人も、おそらくそう思っている。
シドも以前から、ときおりこの男の依頼を受けて各地へ赴き、表向きの報告だけでは分からない内情を調べる仕事をしていた。直属の部下というほど近い関係ではない。必要があれば呼ばれ、指定された場所へ行き、見聞きしたことを報告して報酬を受け取る。それだけの関係だ。
魔王討伐の旅へ出る際、斥候として勇者一行に加わるよう依頼したのも、この男だった。
道を探り、危険を見つけ、魔王討伐を完遂する手助けをすること。それが第一の仕事だった。そしてもうひとつ、旅の間に勇者とその仲間たちを見ておくことも求められていた。
だから旅を終えた今、こうして報告を求められるだろうとは思っていた。臆することもなく、宰相の向かいの椅子へ腰を下ろした。
宰相の前には、すでに何枚かの紙が広げられていた。端から覗く名前には見覚えがある。どうやら勇者一行について、王宮が持っている情報をまとめたものらしい。宰相はしばらくシドの顔を見たあと、そのうちの1枚を引き寄せた。
「勇者はいつもああなのか? 金に興味がない。爵位も領地もいらない。王宮へ仕える意思もなさそうだ」
「まあ、そうだろうなとは思ってました」
なんとなく笑いそうになる気持ちを抑えて答えると、宰相の指先が紙の上で止まった。
「望んでいるものは?」
「故郷に帰ることくらいですかね」
「どこだ」
「知りません」
宰相の眉間に、わずかに皺が寄った。どうやら期待した答えではなかったらしい。
「ああ、たぶん誰も知りませんよ」
「何か理由があるのか?」
「婚約者がいます」
今度は、紙の上を動いていた指が止まった。当然のように名を聞かれたが、それも知らない。どこのどういう娘なのか、家柄も住んでいる場所も、仲間の誰ひとり聞かされていなかった。
「……本当に何も知らないのだな」
「そうですね。婚約者がいることと、首に下げてる青い石が、その相手と交換したものだってことだけです」
「青い石?」
「離れた場所にいる相手の無事が分かるものらしいです」
宰相は少し考え、それから新しい紙へ何かを書きつけた。そこからは、家族の有無や、特定の貴族、騎士団、神殿とのつながりについて聞かれた。家族はいないらしい。誰かの後ろ盾があるようにも見えなかったし、旅の途中でそうした相手から手紙が届いたこともない。
「他には? 何でもいい。好むもの、嫌うもの、親しい人間、執着しているもの。長く一緒にいたのだろう」
改めて思い返してみても、ルカの好みについて驚くほど何も思い浮かばないことに気づく。
「食や嗜好に特別なものはないです。賭け事もしないし、金を使う趣味も特にない。全般にこだわりがない。聖剣だって必要だから使ってただけです」
「その婚約者以外には?」
「仲間のことは大事にしてますよ」
宰相はしばらく黙っていたが、やがて手元の紙へ視線を落とした。
「聖女とは?」
「仲間です」
それだけは考えるまでもなかった。即答すると、宰相は何も言わずに紙へ視線を落とした。
金でもない。爵位でも領地でもない。王宮での地位にも興味を示さず、特定の組織とのつながりもない。
目の前の男が何を求めているのかは分かっていた。勇者を王都へつなぎ止めたいのだ。
「では、他の仲間についてだ」
話題が変わった。
ダリクは金なら喜ぶだろうが、爵位や政治には興味がない。リナなら珍しい魔法書や研究に使えるもののほうが喜ぶだろうし、ダリクと仲がいい。エリオには王都に家族とパン屋があり、本人もそこへ戻るつもりでいる。セシリアは神殿とのつながりがあり、侯爵家とも多少の付き合いがあるらしい。
宰相はときおり質問を挟みながら、それぞれについて何かを書き留めていった。その後も、6人の関係や戦い方、旅の途中で揉めたことがあるかなど、いくつか質問を受けた。シドは答えられる範囲で答えた。
嘘をつくつもりはない。この男から依頼された仕事で旅に加わったことも、それが国にとって必要な仕事だったことも、今さら否定する気はなかった。ただ、何もかも話すつもりもなかった。
任務として見てきたことと、同じ飯を食い、同じ場所で眠り、何度も互いの背中を預けているうちに知ったことは、シドの中ではいつの間にか別のものになっていた。
「分かった。もういい」
やがて宰相がそう言い、紙を揃えた。
「今夜の宴には、お前も出るのだろう」
「その予定です」
「引き続き勇者を見ておけ。何か気づいたことがあれば報告しろ」
シドは少しだけ間を置いた。
「分かりました」
それが何を意味するのかについては、互いに確認しなかった。
宰相は先に四阿を出ると、庭園の中央へ続く石畳を歩いていった。少し離れた場所で待っていた従者がすぐにその後ろにつき、2人の姿はやがて木々の向こうへ見えなくなる。シドはすぐには動かず、四阿に残ったまましばらく庭を眺めていた。風が吹くたびに生垣の葉が擦れ、午後の日差しを受けた木々の影が石畳の上で揺れている。
宰相が戻ってくる気配も、ほかの誰かがこちらへ近づいてくる様子もないことを確かめてから、シドはようやく四阿を出た。王宮へ戻る道とは反対へ数歩進み、つと足を止める。
「あれくらいならいいだろ?」
誰もいないはずの植え込みへ向かって声をかけると、しばらくして葉の向こうから人影が現れた。
「うん。いいんじゃない?」
何食わぬ顔で出てきたルカを見て、シドは小さく笑った。
「僕のこと、ずいぶん知りたがってたね」
「お前が何なら欲しがるのか知りたいんだろ」
「なんで?」
「王都に残したいからじゃないか?」
ルカは何度か頷いた。それで納得したらしい。特に腹を立てた様子もない。
「婚約者のこと、あれこれ聞かれるだろうけど」
「だろうね。まあ、嘘をつく気もないし」
2人で王宮へ戻り始めると、夜の宴の準備なのか、使用人たちが忙しそうに行き交っていた。今夜は魔王を倒して帰ってきた6人を祝うための宴だ。
「言っておくが、俺はあの人に嘘をつくつもりはないからな。聞かれたことには答えるし、国に知らせたほうがいいと思ったことも話す」
「うん。それでいいんじゃないかな」
「でも、何でもかんでも話す気もない」
ルカは何も言わずにシドを見ていた。
旅に出た頃なら、こんなことをわざわざ本人に伝えようとは思わなかっただろう。命じられたことをしているだけだったし、それが必要な仕事だとも思っていた。今も、その考え自体は変わっていない。ただ、どこまでを仕事として渡し、どこから先を渡さないのか。その線を引くのは、自分でいいと思うようになった。
「それだけ」
「分かった」
ルカはいつもの調子で答えた。その答えに、シドは小さく息を吐いた。
こういうところだ。こちらに任せると決めたら、あとは丸ごと委ねてくる。計算なのか、何も考えていないのか。まあ、だからこそ放っておけないのだが。
「そうそう、今日、寝室は変更するからな」
「寝室を?」
「お前だけじゃない。全員だ。祝宴のあと、元の部屋には戻るな。宴の最中に新しい部屋を知らせるから、そっちへ行け。まあ、念のためだ」
「分かった」
まただ。理由を聞きもしない。こうして全部こちらに委ねるような態度を取られると、自分にできる範囲のことくらいはしてやりたくなってしまう。まんまと乗せられているような気がしないでもない。
「あと、飲み物には特に気をつけろ。予防薬、飲んどくか?」
「そうする」
差し出した丸薬を、ルカはためらいもなく口へ放り込んだ。万が一にも、これが毒かもしれないとは疑わないらしい。――いや、さすがに俺が渡したものだからだと思いたい。そんなことを考えながらも、信用されていることを少し嬉しく思っている自分もどうかと思う。
「注意してもしすぎることはないからな。分かってるとは思うが」
「そうだね。ありがとう」
そのまま少し歩いたところで、ルカが急にくるっとこちらを向いた。
「そんなシドに頼みがあってさ」
「へえ、珍しい。言ってみろ」
「調べてほしいことがあるんだ」




