4 謁見終了後 –––– 王女視点
自室へ戻り、背後で扉が閉まったのを確認した途端、王女は手にしていた扇を長椅子へ叩きつけた。
「なんなの、あいつ!」
「姫様!」
慌てて侍女が扉を振り返った。幸い、厚い扉の向こうにまで声が届いた様子はない。
「もう少しお声をお控えください」
「これが黙っていられる? あいつ、私を断ったのよ!」
王女は腹立ち紛れに長椅子へ腰を下ろし、柔らかな座面へ沈み込んだ。先ほど投げた扇を拾い上げると、今度はそれをぱたぱたと乱暴に動かす。
「何様のつもりよ。平民のくせに!」
◇
思い出すだけで腹が立つ。
今朝の謁見に列席した諸侯は、普段よりずっと多かった。勇者一行が帰還したという話はすでに王都中で持ちきりで、皆ひと目見ようと集まったのだろう。
王女もそのひとりだった。
普段の謁見にはほとんど顔を出さず、まして今日は苦手な朝の開催だったというのに、謁見が始まる少し前には、王の後ろに用意された席についていた。
もちろん周囲には、国を救ってくださった方々へ感謝の意を伝えるためにも、ぜひ自分も列席したいのです、と伝えてある。嘘ではない。
それに、魔王を倒した勇者という男に興味があったのも本当だった。
艶のある黒髪は丁寧に結い上げ、宝石をあしらった髪飾りを挿していた。身につけたドレスも華美になりすぎず、それでいて王女の美しさを十分に引き立てるものを選ばせている。この国の花――そう呼ばれていることは知っているし、お世辞だけとも思っていない。今日も鏡の前で仕上がりを確認してきたが、人前に出る以上、王女として美しく装うのは当然のことだ。
実際、王女の婚姻については、すでに有力な公爵家との話が進んでいる。正式な発表こそしていないものの、相手はほぼ決まっていた。だから今日の装いは、勇者の帰還とは何の関係もない。
やがて大扉が開き、6人が姿を現した。先頭にいたのが勇者だった。どこの田舎とも知れぬ場所から連れてこられた男だと聞いていたから、王女はもっと野暮ったい男を想像していた。ところが実際に見てみれば背は高く、旅を終えたばかりとはいえ身なりもきちんと整えられており、身体つきも悪くない。顔も――まあ、悪くはない。魔王を討ったという肩書きまで加えれば、むしろ人目を引く部類だろう。少なくとも、自分の隣に立たれて恥ずかしい男ではない。
その後ろの5人にもひととおり目を向けた。
弓使いと斥候には、特に見るべきところもなかった。どちらもこれといって華がなく、人混みに紛れればすぐに見失ってしまいそうな男たちだ。斧使いは逆の意味で目についた。正装の上からでも分かるほど身体が大きく、腕など王女の脚ほどもありそうだ。あれだけ筋肉をつけて、重くないのかしら。なんとなく頭まで筋肉でできていそうな気がしたので、それ以上見るのはやめた。魔法使いだという娘は、ずいぶん幼く見えた。子どもを参加させたのかと思ったものの、成人していると知り、それならばと納得しただけで、やはりさほど興味は引かれなかった。
そして――聖女。
あれは気に入らなかった。ただ目が合っただけなのだが、なぜか気に入らない。向こうも同じだったらしく、ほんの一瞬、こちらを見る目が変わったような気がした。
何よ。あの女、今私を睨んだ?聖女などと呼ばれているから、さぞ慎ましく清らかな娘なのだろうと思っていたのに、とんだ話だ。だいたい聖女といったところで、神殿に認められただけではないか。こちらは生まれたときから王女なのだ。もっとも、その場で睨み返すような真似はしなかった。王女なのだから当然である。少しだけ顎を上げてやっただけだ。
それから父王が入場し、謁見が始まった。
勇者は妙な男だった。父王を前にしてもろくに緊張している様子がなく、報奨金を提示されても大して喜ばない。それどころか、爵位と領地を与えると言われれば、あろうことか辞退した。
正直、少し面白かった。
さすがに王として、これほど大勢の諸侯が見守る前で褒賞を拒まれたことなどないのだろう。いつも堂々としている父王が明らかに言葉を失い、勇者を見て、それから宰相へ視線を移したものの、宰相もすぐには口を挟まない。怒ってよいのか、諭せばよいのか、それとも笑い飛ばしてしまえばよいのか。父王自身にも分からないらしい。
珍しいものを見た。
とはいえ、いつまでも戸惑う姿を諸侯の前に晒してほしくはないと思っていると、不意に父王と目が合った。王女は反射的に扇で口元を隠し、すぐにその視線の意味を察した。金でもない。爵位でもない。領地でもない。それならば、王家との縁はどうか。
おそらく父王は、そう考えたのだ。
魔王を討った勇者ならば、王女の夫として不足はない。平民の出という点は少々気になるが、これほどの功績があれば周囲も黙るだろうし、爵位などあとからどうとでもなる。
ただし、王女にはすでに婚約者として内定している者がいる。王家のひとり娘なのだから、婚姻は本人だけの問題ではない。筆頭公爵家との縁を結ぶために進められてきた話であり、あとは正式に発表するばかりとなっている。
それを反故にしてでも、勇者を王家へ取り込む価値がある。ほんのわずかな間に、父王の中でそんな計算が働いたのだろうか。父王がこちらへ手を差し出した。もう、仕方がないわね。王女は改めて勇者を見た。
まあ、悪くはない。
扇を閉じ、椅子から立ち上がろうとした。
「あ、いいです」
あまりにも緊張感のないそのひと言に、立ち上がりかけた王女の動きが止まり、同時に父王が差し出していた手も宙で止まった。
謁見の間に、再び沈黙が落ちる。王女は中腰のまま勇者を見た。勇者はこちらを見てすらおらず、片手を上げ、開いた手のひらを父王へ見せるようにしている。待ってくれ、とでも言うような仕草だった。
不敬にも王の言葉を止めたと分かっているのかしら。
「……まだ何も言っておらぬが」
「王女殿下との何らかのお話かと。こちら不調法者ゆえ、なにとぞご容赦ください」
何らかのお話。
王女はゆっくりと椅子へ座り直し、何事もなかったかのように背筋を伸ばした。あくまで優雅に扇を開いて口元を隠したところで、視界の端に白い衣装がわずかに揺れるのが見えた。
目を向けると、聖女が顔を俯かせている。その肩が、わずかに震えていた。
――笑った。
あの女。今、笑ったわね?
◇
「そうよ、絶対に笑ったの!」
王女は再び扇を長椅子へ叩きつけた。今度は勢いがつきすぎて、扇は柔らかな座面で一度跳ね、そのまま床へ落ちる。侍女が無言でそれを拾い上げた。
「勇者も勇者よ! 何なのよ、あの男! お父様がまだ何も言っていないのに断るなんて!」
「お察しになったのでしょう」
拾った扇を差し出しながら、侍女が答える。
「察しても普通は最後まで話を聞くものでしょう!?」
扇を受け取った王女は、まだ腹の虫が収まらないまま長椅子へ腰を下ろした。侍女は何も言わず、乱れたドレスの裾をそっと整えている。
「気に入らないわ」
王女は扇を閉じ、その柄を指先で何度か叩いた。金にも爵位にも領地にも興味を示さず、自分との縁談らしき話まで聞く前に断った。意味が分からない。
しばらく考えていた王女の手が止まった。
「そうだわ。バートを呼んでちょうだい」
侍女が顔を上げた。
王女がある種の頼み事をするとき、決まって呼びつける男だった。
「あの勇者について調べさせるわ」
「何をお知りになりたいのですか?」
「何でもよ」
王女はふっと笑った。
「あの男が困ることを、ひとつくらい見つけてやるの」




