2 王都到着 ―― 弓使いエリオ視点
門の手前から、アレ? とは思った。
もちろん王都なのだから人が多いのは当たり前だ。それでも街道の両側にあまりにも人が増え、すれ違った者が振り返り、こちらを指さす者まで現れれば、さすがに何かが違うと気づく。
先頭を行くルカも珍しく何度も僕らを振り返った。
「なんか見られてない?」
「見られてるな」
ダリクが答える。6人とも馬に乗っているとはいえ、それだけなら珍しくもない。だが、1年近く旅をともにした武器や装備は、いくら手入れをしても使い込まれた跡までは隠せない。おまけに聖女セシリアまで一緒となれば、普通の旅人には見えないのかもしれない。
それでも、まさか自分たちだと分かっているわけではないだろう。
城門をくぐるまでは、そう思っていた。
「帰ってきたぞ! 勇者だ!」
どこからか声が上がった。
「よくやったな!」
「おかえりなさい!」
ひとつだった声があっという間に増えていく。大通りの両側から人が集まり、店先から飛び出してくる者や、建物の窓から身を乗り出す者まで現れた。どこで聞きつけたのか、勇者一行が帰ってきた、魔王が倒された、と口々に叫んでいる。
エリオは手綱を握ったまま呆気に取られていた。魔王を倒した。もちろん知っている。自分もそこにいたのだから。それでも魔王城を離れてからの10日間は、ただ帰るための旅だった。朝になれば起きて馬に乗り、途中で休み、夜になれば眠る。街道ですれ違う人々の表情が明るくなっていることには気づいていたが、自分たちが何を成し遂げたのかを改めて考える余裕など、あまりなかった。
それが城門をひとつくぐっただけで、突然、自分たちは英雄になったような錯覚に陥る。
沿道にいた子どもが、こちらへ向かって両手を振っていた。目が合った気がして片手を上げて振り返すと、途端にその子が飛び跳ね、周囲からまで歓声が上がった。逆にびっくりして、慌てて手を戻した。
「何照れてんのよ」
後ろからリナのからかうような笑い声がした。
「じゃあ、お前もやってみろよ」
「絶対イヤよ、恥ずかしい」
軽口を叩いている間にも、人は増えていく。
ダリクはどうしていいのか分からないらしく、時折ぎこちなく片手を上げては、すぐに下ろしている。気持ちは分かる。なんとなく調子に乗っているような気がしてしまうのだ。セシリアはさすがというべきか、馬上でも姿勢を崩さず、沿道へ笑顔を向けながら自然に手を振っていた。シドはと見れば、いつもの無表情のまま手も上げず、まるで何も起きていないように前だけを見て馬を進めている。これだけの歓声を浴びて、よく平然としていられるものだと思う。
ルカも最初こそ驚いた様子だったが、求められれば手を上げる程度で、浮かれているようには見えなかった。途中からはむしろ、集まりすぎた人を避けながら馬を進めることのほうに気を取られているようで、戸惑っている馬の首筋を軽く叩き、落ち着かせながら進んでいる。
エリオにとって、ここ王都は生まれ育った町だ。この大通りだって何度通ったか分からない。少し先の道を曲がれば昔から知っている店があり、さらに進めば、自分の家であるパン屋がある。
なのに今日は、まるで別の、見知らぬ場所のようだった。
1年前、自分は弓使いとしてここを出た。多少は家業を手伝っていたとはいえ、弓にばかり夢中な困った息子だったと思う。勇者一行に加わって王都を出るのだと話しても、家族はなかなか信用してくれなかった。もしかしたら、この人混みの中に家族もいるのだろうか。探してみたものの、あまりの人数に誰が誰だか分からない。自分自身も舞い上がっていて、ひとりひとりの顔などまともに見られなかった。
それでも、この歓声のおかげでようやく、本当に帰ってきたのだと実感できた気がした。
しばらく進むと騎士団と思われる一団が現れ、自分たちを取り囲むようについてくれた。どうやら人が集まりすぎたらしい。彼らに先導されるまま大通りを進み、ようやく王宮へ到着して馬を降りる。すると今度は、すぐに従者が手綱を受け取った。荷物もこちらで運ぶと言われ、少しオロオロしながら渡す。何もしなくていいと言われることが、こんなに落ち着かないとは思わなかった。周りを見る限り、どうやら皆も似たようなものらしい。
案内されたのは、エリオの家の1階が丸ごと入りそうな部屋だった。床には足が沈みそうなほど厚い絨毯が敷かれ、壁には大きな絵が掛かっている。窓辺には彫刻の施された長椅子が置かれ、その向こうには王宮の庭園まで見渡せた。
そこで長旅の疲れを落としてほしいと湯浴みを勧められ、男性と女性に分かれて浴室へ案内されたのだが、そこも旅の途中で使ってきた宿とは比べようがなかった。石張りの広い室内には湯気が満ち、たっぷりと湯を張った浴槽がいくつも並んでいる。身体を洗うための湯まで別に用意され、香りのついた石鹸や真新しい布が当然のように置かれていた。しかも、着ていた衣服は預かって洗ってくれるという。
至れり尽くせりだった。旅の途中でも川や井戸で身体は洗ったし、運よく湯のある宿に泊まれたこともある。それでも明日のことを何ひとつ考えず、好きなだけ温かい湯に浸かるなど、いつ以来だったか思い出せない。
魔王を倒したことより、この瞬間のほうが旅の終わりを実感できる気さえした。
湯から上がれば、今度は新しい衣服まで用意されていた。明日の謁見で着る正装とは別に、今夜くつろぐためのものだという。
ここまで来ると、もう何に驚けばいいのか分からない。
そして夕食が運ばれてくると、とうとう笑うしかなくなった。長い卓上には肉も魚も、色とりどりの野菜も並び、名前すら分からない料理が次々と運ばれてくる。白く柔らかなパンをちぎればまだ温かく、肉にナイフを入れれば驚くほど簡単に切れた。明日の食料を気にせず、魔物の気配を警戒する必要もなく、雨や風の心配もせず、明かりのついた暖かな部屋で6人揃って食卓を囲んでいる。
それが、とてつもなく不思議で、とてつもなく嬉しかった。
旅の途中で食べたひどい料理の話をしては笑い、リナがもう食べられないと言いながら新しく運ばれてきた皿に手を伸ばせば、ダリクが呆れた顔をする。
ルカも笑っていた。シドもセシリアも。
エリオも久しぶりに、時間を気にせず食事を楽しんだ。
食事がひと段落したころ、役人らしき男がやってきた。
「本日は長旅のお疲れもございましょうから、このままごゆっくりお休みください。国王陛下への謁見は、明朝を予定しております」
その言葉に、ルカが顔を上げた。
「今からではないんですか?」
ああ、すぐに済ませるつもりだったんだな、と何となく思った。たぶん皆も同じことを思ったのだろうが、役人には違う意味に聞こえたらしい。若者の勇み足をなだめるように、鷹揚に微笑んだ。
「はい。皆様お疲れでしょうから、今日はゆっくりとお休みいただくようにとの、陛下のお計らいでございます」
ルカはわずかにうつむき、軽く頷いただけで何も言わなかった。
「明朝の謁見では、正式な帰還報告と褒賞の授与が行われます。夜には皆様のご帰還を祝した宴が催される予定となっております。王侯貴族の皆様はもちろん、各国からも使節がお見えになる予定でございます」
リナがダリクと顔を見合わせた。驚いてはいるが、どことなく嬉しそうでもある。無理もない、と思う。自分だって同じだ。魔王を倒して帰ってきたのだ。これほどの騒ぎになるなど考えたこともなかったが、王都へ入ったときの歓声を思い出せば、少しくらい浮かれても罰は当たらない気がする。
「祝賀の宴が終了した翌日、王都大通りにて凱旋の式典を執り行います。その翌日には神殿にて魔王討伐への感謝を捧げる式典がございます。また、現在各国より寄せられております祝辞につきましても、皆様に直接お受けいただく機会を設ける予定です」
どうやら、明日の謁見だけで終わりというわけにはいかないらしい。役人はそのほかにも細かな説明をいくつか残し、最後に深々と頭を下げて部屋を出ていった。
扉が閉まると、リナが大きく息を吐いた。
「思ってたよりすごいことになりそうね」
「今日のあれを見たらな」
ダリクが答えた。おそらく城門から王宮まで続いていた人の波を思い出したのだろう。
「宴だって。王宮の宴よ。どんな料理が出るんだろ」
「お前、今食ったばっかりだろ」
「明日の話でしょ!」
リナが言い返す横で、ルカはさっき役人が出ていった扉をしばらく眺めていた。
「ルカ?」
「うん?」
「思ってたより長くなりそうだな」
ダリクに言われ、ルカは少し考えてから頷いた。
「そうだね。明日には報告も終わると思ってた」
「やっぱり」
「でも、こんなに歓迎してくれてるんだしね。ありがたいね」
そう言って、卓上に残っていた焼き菓子をひとつ取る。
それだけだった。
王都へ着いたら報告を済ませ、そのまま帰るつもりだったのだろう。それが数日延びると分かっても、ルカは不満を口にするでもなく、すでに焼き菓子のほうへ興味を移している。
「ルカ、お前も飲むか?」
ダリクが大きな酒瓶を持ち上げた。
「飲む」
「エリオは?」
「もらう」
空きかけていた杯が、また満たされていく。
エリオにとっては懐かしい王都で、これから始まる宴も凱旋の式典も、正直かなり楽しみだった。たぶん、ほかの皆も同じだろう。
ルカにとって王都は帰る場所ではない。それでも今は楽しそうに、こうして同じ卓を囲んでいる。向かいでは、リナが取ろうとした最後の焼き菓子をルカが先にさらい、抗議の声が上がっていた。
いつもの6人だった。
ならば今は楽しめばいい。
魔王を倒した旅は、もう終わったのだから。




