1 王都到着前夜 ―― 斧使いダリク視点
ルカは、今までずっと想像していた勇者とは、なんとなく違う。
とはいえ、俺自身、勇者パーティに入ったのは初めてだから比較もできないんだが。まあ、イメージだ、イメージ。
強さに文句はない。何しろ聖剣を扱える上に剣の腕も立ち、判断も的確で、誰かが危険に晒されれば考えるより先に身体が動く。
そして、なんというか異様に丈夫だ。そうとしか言いようがない。
魔王の城が近づくにつれ、空も大地も黒ずんでいった。木々は葉を落とし、岩肌には黒い靄のような瘴気がまとわりついている。吸い込むたびに喉の奥がざらつき、聖女のセシリアが浄化を続けてくれていても頭は痛むし、吐き気はする。身体は鉛でも詰め込まれたように重くなり、少し坂を上っただけで息が切れた。
最後の数日は、少し進んでは休むことの繰り返しだった。そんな中で、ルカだけは普通に歩いていた。俺たちが道端の岩に腰を下ろして息を整えている間に、いつの間にかずいぶん先まで行ってしまい、気づけばまたこちらへ戻ってくる。
「大丈夫?」
大丈夫じゃない。というか、お前が大丈夫なのがおかしい。そう言ったら、なぜか不思議そうな顔をされた。
そうだ、毒にも強かった。沼地で、気味の悪い巨大な魔物に襲われたことがある。そいつの毒を食らった俺とエリオは揃って3日間ぶっ倒れ、熱は出るわ、腹は痛いわ、水を飲んでも吐くわで散々だった。
同じ毒を受けたはずのルカは「ちょっと気持ち悪い」と言って木陰で水を飲んでいたが、翌朝には他の皆と普通に朝飯を食っていたらしい。
「昔から病気しないんだよね」
本人はそれで説明がついたと思っている。
つくか。
とはいえ、その頑強さには何度も助けられた。誰より先に敵へ飛び込み、それでも最後まで立っている。聖剣を手に魔王へ向かっていったときもそうだった。リナが魔物の群れを吹き飛ばし、エリオの矢がその隙間を抜ける。シドが進むべき道を見つけ、俺がそこへ向かうために斧を振るい、セシリアは瘴気を祓い続けた。
そうして俺たち5人でどうにか道を開けたものの、魔王のいる最奥部を前にして、瘴気はまるで壁のように立ち塞がった。息をするのも苦しく、足は動かず、セシリアの杖を握る手まで震えていた。
そこから先へ進めたのは、ルカだけだった。
聖剣を手にした背中が黒い靄の向こうへ遠ざかっていくのを見ながら、改めて思った。
なるほど。勇者ってのは、こういう奴なのか、と。
◇
「明日の昼には王都だな」
焚き火へ薪を放り込むと、ぱちりと火の粉が弾け、向かいに座っていたエリオが「ああ」と応じた。魔王の城を出て10日あまり。もう瘴気の気配はどこにもなく、頭上には星が見え、夜風には草と土の匂いが混じっている。日が暮れる前には農夫の荷車ともすれ違った。こちらが道を譲ると、日に焼けた男が軽く手を上げたので、俺たちも同じように返した。
少し先には町の灯りも見えている。明日の昼には王都へ着き、長かった旅もようやく終わる。
「王都に戻ったら何したい?」
セシリアが尋ねた。焚き火の上では小さな鍋がことことと音を立てているが、中身はいつもの薄いスープだ。
「とりあえず、思いっきり寝たいなあ」
エリオが即答すると、焚き火の明かりを頼りに何やらメモを取っていたシドも、顔を上げないまま同意するように頷いた。
「美味しいもの食べたい。ちゃんとした料理がいい。もう干し肉も豆も見たくない」
リナが鍋を覗き込みながら、心底うんざりした声を出す。
それなら俺は肉だな。薄っぺらい干し肉なんかじゃなく、炙った脂が落ちて火が上がるくらい分厚いやつ。絶対に酒も欲しい。できれば腹いっぱい肉を食ったあと、酔いつぶれるまで飲んで、そのまま朝まで寝たい。
「ルカは?」
セシリアに声をかけられ、少し離れたところに座っていたルカが顔を上げた。
「そうだね。美味しいもの食べたいね」
「なによ、その落ち着きようは」
リナが笑った。
「もっと喜びなさいよ。張り合いないわねえ。やっと帰ってきたのに」
「ハハ、だってまだ帰ってないしね」
何言ってるのよ、明日には――と言いかけたリナが、「ああ」と気づいたように妙な笑みを浮かべた。
ルカの首元に下がる、細い鎖に通された青い石が目に入ったんだろう。
それが婚約者と交換したものだと知ったのは、旅に出てしばらくしてからだった。ルカが暇さえあれば胸元から石を取り出して眺めているので、何なのかと誰かが聞いたのがきっかけだったと思う。
婚約者がいるのかと皆で驚いたが、本人は平然としていた。どんな娘なのかは教えてくれない。名前も、どこに住んでいるのかも、何もかもだ。そのくせ、好きなのかと聞かれれば「大好き」と照れもなく答える。
詳しい仕組みは知らないが、青い石は離れた場所にいる相手の無事が分かるものらしい。それってめちゃくちゃ高価なやつだよな、と言ったら、今回の旅を引き受けたときにもらった支度金をほとんどつぎ込んだと笑っていた。そうか。ルカにとって帰るってのは、王都じゃなくて、婚約者の待つ場所に帰るってことなんだな。
「会いたい?」
セシリアが鍋を見たまま、何気ない調子で尋ねた。
ルカは胸元の石へ目を落とし、指先でそっと触れた。
「そうだね」
あっさりした答えだった。ことさら熱を込めるわけでもない。ただ当然のことを聞かれたように答えただけなのに、なぜかそれ以上からかう気にはならなかった。
「そっか。楽しみだね」
まだ妙な笑みを浮かべたまま、リナが言う。
「まあ、すぐには解放されないだろうけど」
メモから顔を上げたシドが、焚き火を見ながら呟いた。
「そうだよね。祝賀会とかパレードとかあるよね、きっと。なんたって私たち、魔王を倒したんだから」
芝居がかったように両手を広げ、歌うように言うリナに、セシリアが鍋を混ぜながら応える。
「それはあるでしょうけど、謁見もあるでしょうし、それこそ報告や聴取やら、手続きもたくさんあるんじゃないかしら」
確かに国を救った勇者一行が帰ってくるのだ。明日、王都へ入れば大騒ぎになるだろうし、国王から直々に褒美を賜ることになるかもしれない。俺たちがこれまで見たこともないような金をもらうかもしれないし、爵位だってあり得る。
ルカに至っては聖剣を手に魔王を討った本人なのだから、俺たちとは比べものにならない褒賞が用意されていたって不思議ではない。
そう考える俺ですら、高揚する一方で面倒にも感じる。婚約者のところへ帰りたいルカにとっては、なおさらかもしれない。
「全部終わるまで、どれくらいかかるのかな」
「さあ。2、3日じゃないの?」
「もっとかかるかもしれないわよ。各国から使者が来るかもしれないし、神殿だって何かするでしょうし」
セシリアが指を折りながら数え始めるのを見て、ルカがまた胸元の青い石へ目を落とした。
「じゃあ、さっさと全部終わるといいな」
俺が言うと、リナがむくれた。
「ちょっと待ってよ。終わるってことは、私たちももう離れるってことなのよ? そりゃ大変だったけどさ、みんなと一緒だったから魔王も倒せたしさ、それに……」
あーあ。声が詰まった。
こういう流れになる気はしてたんだけど、情に厚いのもこいつのいいところだから仕方ないか。
見ればエリオもセシリアも、シドまで微笑んで、泣き始めたリナを見ている。ルカに至っては、うつむいたリナの頭に手を置いて撫で始めた。
「リナ、ありがとう。君がいてくれてよかったよ」
泣いていたリナが、がばっと顔を上げてルカを見る。
いや、お前、真っ赤だぞ。焚き火のせいだけじゃないだろ。なんかイラつくわ。いいけどさ。
そう思ったところでルカと目が合った。するとこいつ、俺の顔を見るなり少し笑って、さっと横へずれて場所を空けやがった。
お前もか。
仕方なく、本当に仕方なく、リナの隣へ座って頭をぽんぽんと撫でてやった。誰かが吹き出し、それにつられて笑いが広がった。
焚き火がぱちぱちと音を立て、鍋から立ち上る湯気が夜風に流れていく。その向こうで、ルカは何事もなかったようにスープの入った器へ手を伸ばした。
明日から、きっと国中の誰もがこいつを知ることになる。魔王を倒した勇者ルカとして王都中の人間から称えられ、金も名誉も、望めばこれまでとは比べものにならないほど多くのものを手にするのだろう。
俺には想像もつかない人生が、これから始まる。
当の本人はそんなことを考えてもいないようで、今は薄いスープを飲みながら、エリオが王都で最初に何を食べるかという話に口を挟んでいる。
やっぱり、俺が想像していた勇者とは違う。
「何?」
いつの間にか見つめていたらしい。気づいたルカが、こちらを見る。
「いや、なんでもない」
俺は肩をすくめ、新しい薪を焚き火へ放り込んだ。




