10 翌夜 ––––– 聖女セシリア視点
気づけば、ルカがいなかった。
夜会はまだ終わっていない。楽団は演奏を続けているし、広間ではあちらこちらで笑い声が上がっている。魔王を倒した勇者一行の帰還を祝う宴なのだから、今夜はまだまだ続くのだろう。
その主役がいなくなっていることに気づいたのは、たぶん私くらい。
嫌な予感がした。広間を出て、王宮の玄関へ続く廊下を急ぐ。
いた。
今日の主役だったはずの男が、通用口で旅用のブーツの紐を締め直している。夜会用の上着はもう脱いで、見慣れた旅装に着替えていた。荷物もまとめてある。準備は万端らしい。
こちらの気配に気づいたのか、ルカが振り返って笑った。
「帰るの?」
「うん」
やっぱり。驚くより先に、そう思った。
夕方、国王と宰相のところから戻ってきたルカは、「帰っていいって」と言っていた。それでも夜会には出ていたから、いつ帰るつもりなんだろうとは思っていたけれど。
「今から?」
「門が閉まる前に出たいから」
「みんなには?」
「シドには言ったかな。ちょうど話してたから」
ブーツの紐を結び終えると、ルカはすっくと立ち上がった。
迷いがない。憎らしい。
「どうやって帰るの?」
「馬。シドが手配してくれてさ」
ルカの胸元には、今日も青い石が下がっている。旅の途中、何度あれを見ただろう。皆から少し離れたところで、ルカが胸元から取り出して眺めていた青い石。
最初に見たとき、一瞬だけ、私の瞳と同じ色だ、なんて思った。私の瞳は緑なのに。笑っちゃう。
婚約者がいることは、かなり早い段階から知った。それでもどこかで思っていたのだ。長い旅で、毎日一緒にいて、命懸けで戦っていたら、そのうち私のほうを見てくれるかもしれない。というより、そうなると思っていた。でも、そうはならなかった。
今なら分かる。私が近づこうとすると、誰かを呼ぶ。2人きりになりそうになると、いつの間にかダリクやエリオがいる。夜番を一緒にしようとすれば、なぜかシドと交代している。
気づいてたのかしら。私が狙ってるって。
……ムカつく。
「何か怒ってる?」
「別に」
「そっか」
こんな人のどこがよかったんだろう。真面目なだけで面白みはないし、変なところで頑固だし、なんだかわけの分からない人。私には合わない。絶対に合わない。
――ああ。そっか。
私、この人のこと、ちゃんと好きだったんだ。なんか悔しい。好きになってもらえなかったことが。私じゃなくて、ずっと遠くにいる誰かのところへ、こんなに嬉しそうに帰ろうとしていることが。
なんてね。
私は聖女セシリアだ。魔王の瘴気を祓いながら、あんなところまで行って帰ってきたのだ。男1人に振られたくらいで、うつむいてたまるものか。
「じゃあ、行くね。元気で」
ルカが言った。そして、この旅で見た中でも一番なんじゃないかと思うほど、いい笑顔をした。
腹が立った。本当に、心から腹が立った。
だから私は顎を上げた。精一杯偉そうに、上から見下ろすようにルカを睨む。
「じゃあね」
絶対に後悔させてやる。私を選ばなかったことを。もっと綺麗になって、今度会ったときには驚かせてやる。見る目のなさを嘆くがいい。
「セシリア」
「何よ」
「ありがとう。君がいてくれて、本当によかった」
一瞬だけ、言葉に詰まった。最後にそれを言うのは、ずるい。
「……当たり前でしょ。誰があんたの瘴気を祓い続けたと思ってるのよ」
「うん」
ルカが笑うから、仕方なく笑ってあげた。
「早く行きなさいよ。待ってるんでしょ」
「うん」
その返事だけは、本当に早い。ルカは軽く手を上げ、そのまま通用口の向こうへ消えていった。たぶん、シドが用意した馬のところへ向かったのだろう。
その背中が見えなくなるまで見送ってから、私は大きく息を吐いた。
なんだか、終わったんだって改めて思った。
魔王との戦いも。長かった旅も。私の、ちょっとした恋も。
さて。
夜会はまだ終わっていない。王都中から、これでもかというほど人が集まっている。
勇者には見る目がなかったけれど、世の中の男が全員そうとは限らない。
「さあ、いい相手でも探しに行こうかな」




