第二十話 肉の香り
〈目次〉
・第一節 親友
・第二節 焼肉臭
・第三節 男を見る目
〜登場人物〜
・山崎結衣(19歳)
山崎弘・美佐子夫妻の長女。意義人の姉。白鳥大学文学部。美白な肌と綺麗な茶色のロングヘア、美脚、丸い小顔が特徴。普段は青いワンピースを着ている。少しだけ女優として活動している。弟とよく喧嘩をしてしまうが、大切に思っている。
・山崎意義人(17歳)
山崎弘・美佐子夫妻の長男で、結衣の弟。高校2年生。結衣と比較すると地味な顔立ちだが、似ている部分もある。姉とは仲良しだが、よく喧嘩もする。
・山崎弘(45歳)
山崎義郎・文枝夫妻の長男で、結衣と意義人の父。容姿は、眼鏡をかけた地味な丸顔で、髪は少し薄く、小太りである。愛娘の結衣を溺愛している。
・山崎美佐子(42歳)
田辺寛夫・優美子夫妻の長女で、結衣と意義人の母。顔は結衣と似ているが、結衣よりもほんの少し面長。髪型は、若干ウェーブがかかった茶髪。優しい性格。
・山田茜
白鳥大学文学部。結衣の高校時代からの親友。髪型は黒髪ショート。生意気な顔をしている。悪戯好きな性格。
・中島明日香
白鳥大学文学部。結衣の高校時代からの親友。髪型は金髪ポニーテール。純粋で優しい性格。
・小川史緒里
白鳥大学文学部。結衣の高校時代からの親友。髪型はくるくるした紫髪。眼鏡をかけたインテリ風な顔。計算高い人物。
第一節 親友
焼肉屋を出て、夜風に吹かれながら四人で家路を歩く。賑やかだった店内とは打って変わって、道のりは静かだった。史緒里はスマホをいじりながら歩き、茜と明日香は今日の焼肉の感想を言い合っている。そんな友人たちの後ろ姿を見ながら、結衣はふと足を止めた。
結衣(もう…本当にこの子達ったら…。)
揶揄われたり、困らされたりすることはしょっちゅうだけど、それでもこの三人は結衣にとってかけがえのない親友だ。自分のことを大切に思ってくれているのは、ひしひしと伝わってくる。そう思うと、結衣の心は温かくなる。だけど、同時に、ふと脳裏をよぎる影があった。
結衣(意義人にも、親友と呼べる友達がいるけれど…。)
弟の意義人には、幼馴染が三人いる。豊島楽理、児玉呂偉、宇都宮隆史。三人とも個性的で、意義人とは昔から一緒に遊んでいた。結衣も、三人とは面識がある。でも、彼らは…結衣にとっては、少し複雑な存在だった。
楽理…。結衣がこの世で一番嫌いなゴキブリのリアルな玩具を、服に入れられたことがあった。その時の恐怖と鳥肌は今でも忘れられない。しかも、楽理は、結衣に対して平気でデリカシーのない発言をしてくる。
呂偉…。意義人の大切にしていた人形を、バラバラにしたことがあった。結衣が注意すると、逆上して結衣を殴った。あの時の呂偉の目は、今思い出してもゾッとする。
そして、宇都宮。意義人の初めての親友で、意義人とも気が合い、結衣も宇都宮のことを信頼していた、はずだった。でも、ある日、宇都宮にトイレに閉じ込められ、犯されそうになったことがあった。未遂で済んだが、結衣は、あの時の恐怖を、今でも抱え込んでいる。普段の優しい宇都宮からは想像もできない、冷たく歪んだ瞳を思い出すたびに、結衣は全身が震える。
結衣は、目の前を歩く三人の親友を見て、安堵の息をついた。茜も、明日香も、史緒里も、確かに困らせることはあるけれど、自分を傷つけるようなことは絶対にしない。心から信頼できる友達だ。
でも、意義人の親友たちはどうだろう。意義人は、彼らのことを本当に親友だと心から思えているのだろうか。結衣は、意義人のことが心配になった。そして、彼らのような存在から、意義人を守ってあげなければ、という思いが募る。
結衣は、胸の奥に押し込めていた、彼らへの複雑な感情と、意義人を心配する気持ちを抱えながら、再び歩き出した。夜の闇が、結衣の心の中に広がる感情を、そっと包み込んでいくようだった。
結衣が一人、複雑な感情に沈んでいると、少し先を歩いていた三人から声がかかった。
明日香「結衣ちゃん、遅いよー」
茜「おっぱいちゃん、早く早く」
史緒里「ザッキーさん、ちゃんとついてきてくださいね。」
それぞれの言葉に、結衣はハッと我に返る。優しい明日香の声。相変わらずの茜のからかい。そして、どこか小馬鹿にしたような史緒里の呼びかけ。いつもの日常が、そこにあった。
結衣は、小さく息を吐いた。意義人の親友たちのことを考えると、胸の奥がチクリと痛むけれど、今は目の前の友達との時間を大切にしよう。
結衣「もう、あんたたち!待ってよ!」
結衣は、急ぎ足で三人に追いついた。茜が、結衣の腕を掴んで引っ張る。
茜「おっぱいちゃん、トロトロしてたら置いていくよー!」
結衣「誰がおっぱいちゃんよ!茜、いい加減にしなさい!」
結衣は、茜の腕を軽く叩いた。明日香は、そんな二人を見てくすくす笑っている。史緒里は、一歩引いたところで、冷めた視線を送りながらも、どこか楽しそうにしていた。
友人たちとの、なんてことないやり取り。でも、この時間が、結衣にとってはかけがえのないものだ。意義人のことで胸をよぎった暗い影も、今は少しだけ薄らいだような気がした。
結衣(私も、意義人みたいに、もっと周りのこと気にせず、無邪気に笑えたらいいのに…。)
そんなことを考えながらも、結衣は、友達との会話に身を委ね、夜道を歩き続けた。焼肉の香ばしい匂いが、まだ彼女たちの周りを漂っていた。
第二節 焼肉臭
友人たちと別れ、結衣は一人、夜の住宅街を抜けた。自分の家に到着すると、鍵を開けて玄関のドアを開く。
弘「結衣、おかえり!遅かったな、大丈夫だったか?何かあったんじゃないだろうな!?」
リビングから、父親である弘の心配性な声が聞こえてくる。結衣は苦笑しながら靴を脱ぎ、リビングへ向かった。
結衣「ただいま。大丈夫だってば、パパ。友達と焼肉行ってただけよ。」
美佐子「まったく、心配させるんじゃないの。連絡くらいしなさい。」
ソファに座っていた母親の美佐子が、少し呆れたような顔で結衣を見た。結衣は二人に軽く会釈すると、リビングの隅でテレビゲームに夢中になっている弟の意義人に目をやった。
結衣「ただいま、意義人。」
ゲームのコントローラーを握りしめ、画面に集中していた意義人は、結衣の声に振り返ると、フン、と鼻を鳴らした。
意義人「姉ちゃん、臭っ!」
意義人は、心底嫌そうな顔をして、露骨に顔をしかめた。その言葉に、結衣はピクリと眉をひそめる。
結衣「ちょっと!何よその言い方!焼肉食べてきたんだから当たり前でしょ!」
結衣は、焼肉の匂いが服や髪についているのは分かっていたが、それでも弟の直接的な言い方にカチンと来た。
意義人「だって、本当に焼肉臭いんだもん。モワッとする。」
意義人は、コントローラーを置くと、わざとらしく鼻をつまんで見せた。弘が、そんな二人のやり取りを見て苦笑している。美佐子は、ため息をつきながら立ち上がった。
美佐子「はいはい、二人とも喧嘩しないの。結衣は早くお風呂に入ってきなさい。意義人も、ゲームばっかりしてないで、宿題は終わったの?」
美佐子の一言で、二人はピタリと動きを止めた。結衣は、意義人を睨みつけながらも、渋々といった表情で自分の部屋へ向かう。意義人は、バツが悪そうに視線を泳がせ、再びゲーム画面に目を戻した。
結衣は、自室のドアをバタンと閉めた。焼肉の匂いを嗅ぎつけられて、ちょっと恥ずかしかった。意義人のあの態度…本当に腹が立つ。でも、あの無邪気さが、少し羨ましくもある。
結衣は、深く息を吐き出すと、パーカーを脱ぎ、バスルームへ向かった。シャワーを浴びて、さっぱりしてしまおう。そうすれば、焼肉の匂いも、意義人の言葉も、洗い流せる気がした。
第三節 男を見る目
翌朝、朝日がカーテンの隙間から差し込み、結衣の顔を優しく照らす。目覚めると、昨日の焼肉の香ばしい匂いと、友人たちとの楽しい会話がふわりと蘇ってきた。笑い転げた茜の顔、明日香の優しい笑顔、そして史緒里のクールな表情。心地よい余韻に浸りながら、結衣は大きく伸びをした。
しかし、どんなに楽しい思い出に浸っていても、お腹は正直だ。ぐぅ、と可愛らしい音を立てて、空腹を訴える。
結衣(あー、お腹空いたなぁ。朝ごはん、何かな?)
と、その時、枕元に置いてあったスマートフォンがブルブルと震えた。画面を見ると、そこには「拓海」の文字。結衣の心臓が、トクン、と小さく跳ねた。
メッセージを開くと、そこには「今度、結衣の家に行きたい」という拓海からの誘いが。
結衣(え…家…?)
結衣の頭の中に、瞬時に家族の顔が浮かんだ。
母は、私がイケメンのボーイフレンドを連れてきたら、きっと大喜びするだろう。恋愛経験豊富な母は、私の恋を応援してくれるはずだ。
でも、父は…?娘を溺愛する父は、私が男を連れてきたら、何を言い出すか、何を仕出かすか、想像もつかない。拓海を不審者扱いして、警察を呼ぶことだってあり得る。
そして、意義人。普段は口喧嘩ばかりしているけれど、たった一人の姉である私を、誰にも渡したくないと思っている節がある。拓海が家に来たら、きっと嫌がらせの一つや二つはするだろう。
結衣は、スマートフォンを握りしめ、眉間にシワを寄せた。拓海を家に呼ぶなんて、いくらなんでもハードルが高すぎる。
しかし、次の瞬間、結衣の頭に、ある情報が閃いた。
結衣(そういえば、来週、お父さんは社員旅行でしょ?そして、意義人は修学旅行…。)
弘の社員旅行と意義人の修学旅行の日程は、ほぼ重なっているはずだ。それはつまり…家には美佐子しかいない、ということ。美佐子なら、拓海の来訪をきっと喜んでくれる。
結衣の表情が、一瞬にして明るくなった。これなら、いけるかもしれない。いや、これしかない!
結衣は、すぐさまスマートフォンを操作し、拓海に返信を送った。
結衣「来週なら、ちょうどパパと弟が留守にする日があるから、その日なら大丈夫だよ!また後で詳しい日程連絡するね!」
送信ボタンを押した後、結衣はベッドの上で、小さくガッツポーズをした。
結衣(よし!これで、拓海を家に呼べる!でも、パパと意義人には、絶対バレないようにしないと…!)
結衣の心は、拓海が家に来ることへの期待と、家族にバレないようにするための密かな計画でいっぱいになった。焼肉の思い出も、空腹も、今はすっかり頭の隅に追いやられていた。
リビングへ行くと、ダイニングテーブルには、美佐子が淹れてくれた温かい紅茶と、結衣が焼いたトーストが並んでいた。弘と意義人はそれぞれ休日出勤と模擬試験があり、今日は母娘水入らずの朝食だ。結衣は、意を決して美佐子に切り出した。
結衣「あのね、ママ。来週、拓海君が家に来るんだけど…。」
結衣がそう言い終わるか終わらないかのうちに、美佐子の顔がパッと輝いた。
美佐子「あら、そうなの!?拓海君が!まぁ、ついにね!いつ来るの?何時に?何か準備しないと!」
美佐子は、結衣と同じ…いや、それ以上に興奮しているようだ。目をキラキラさせて、身を乗り出してきた。結衣は、そんな美佐子に少し圧倒されながらも、嬉しそうに答えた。
結衣「来週の土曜日の午後かな。パパと意義人が留守の日だから、ママだけになっちゃうけど…。」
美佐子「あら、ちょうどいいじゃない!お父さんも意義人もいない方が、ゆっくり話せるでしょう?大丈夫よ、お母さんがしっかりおもてなしするから!」
美佐子は、そう言って、まるで自分の彼氏が来るかのように張り切っている。結衣は、そんな母親の姿を見て、少しだけ照れくさくなった。
結衣「でも、ママ、別に拓海君とそういう関係ってわけじゃないからね。まだ、ただの友達…。」
美佐子「はいはい。お母さんは知ってるわよ。結衣が拓海君のこと、気になってるんでしょう?お母さんにはお見通しよ。」
美佐子は、ニヤニヤとしながら結衣をからかう。結衣は、顔を赤らめてそっぽを向いた。すると、美佐子がふと、昔を懐かしむような眼差しで話し始めた。
美佐子「でもね、結衣。お母さん、ちょっと心配なのよね。」
結衣「え?何が?」
美佐子「結衣って、本当に男を見る目がないのよ。高校生の時の彼氏もそうだったじゃない?あの時はお母さん、ハラハラしちゃったわ。」
美佐子の言葉に、結衣はギクリとした。高校時代の元カレは、遊び人で有名な男の子だった。当時、結衣は彼に夢中だったが、最終的には彼に裏切られ、ひどく傷ついた経験がある。あの時、美佐子は何も言わなかったが、ずっと心配していたのだ。
それは、先日、伯父である修司が結衣に言ったことと似ていた。修司もまた、姪の男運を心配し、「拓海君が良い子であることを願う」と言っていた。
結衣「そんなことないよ…!拓海君は、ちゃんとした人だもん!」
結衣は、慌てて否定した。しかし、美佐子は首を傾げたまま、結衣の顔をじっと見つめている。
美佐子「そうかしら?まあ、お母さんは結衣の味方だけどね。でも、何かあったら、いつでもお母さんに相談しなさいよ?お母さんは、結衣には幸せになってほしいんだから。」
美佐子は、そう言って結衣の頭を優しく撫でた。結衣は、美佐子の温かい手に、思わず目を閉じた。母親の愛情を感じながらも、心の中には、拓海への複雑な思いが渦巻いていた。
結衣(私、本当に男を見る目、ないのかな…。)
不安が、胸の奥で小さく膨らんでいくのを感じながら、結衣はトーストをかじった。拓海が家に来る日までに、もう少し色々と考えておかなければならないことがありそうだ。
『山崎結衣の憂鬱』第二十一話につづく




