第十九話 史緒里の恩返し
〈目次〉
・第一節 注目の的
・第二節 神対応
・第三節 認識の違い
〜登場人物〜
・山崎結衣(19歳)
山崎弘・美佐子夫妻の長女。意義人の姉。白鳥大学文学部。美白な肌と綺麗な茶色のロングヘア、美脚、丸い小顔が特徴。普段は青いワンピースを着ている。少しだけ女優として活動している。弟とよく喧嘩をしてしまうが、大切に思っている。
・山崎意義人(17歳)
山崎弘・美佐子夫妻の長男で、結衣の弟。高校2年生。結衣と比較すると地味な顔立ちだが、似ている部分もある。姉とは仲良しだが、よく喧嘩もする。
・山崎弘(45歳)
山崎義郎・文枝夫妻の長男で、結衣と意義人の父。容姿は、眼鏡をかけた地味な丸顔で、髪は少し薄く、小太りである。愛娘の結衣を溺愛している。
・山崎美佐子(42歳)
田辺寛夫・優美子夫妻の長女で、結衣と意義人の母。顔は結衣と似ているが、結衣よりもほんの少し面長。髪型は、若干ウェーブがかかった茶髪。優しい性格。
・山田茜
白鳥大学文学部。結衣の高校時代からの親友。髪型は黒髪ショート。生意気な顔をしている。悪戯好きな性格。
・中島明日香
白鳥大学文学部。結衣の高校時代からの親友。髪型は金髪ポニーテール。純粋で優しい性格。
・小川史緒里
白鳥大学文学部。結衣の高校時代からの親友。髪型はくるくるした紫髪。眼鏡をかけたインテリ風な顔。計算高い人物。
第一節 注目の的
焼肉の煙と熱気、そして四人の賑やかな会話で満たされていた店内が、にわかにざわつき始めた。結衣が肉を焼くのに集中していると、どこからともなくヒソヒソとした声が聞こえてくる。
「あれ?ザッキーじゃね?」
「え、マジで?」
「生で見るの初めてだわ」
「顔ちっちゃ!」
「サイン貰えるかな?」
気づくと、四人のテーブルの周りには、いつの間にか中高生のグループが集まっていた。彼らの視線は、結衣に集中している。結衣は、一瞬何が起こったのか分からず、キョトンとした顔で周囲を見渡した。
高校三年の途中から、結衣は少しだけ女優活動をしていた。芸歴は浅いものの、生まれ持った美貌と、何事にも一生懸命に取り組む性格が演技にも表れ、多くの人を魅了していた。ここ最近は、学業に専念するため活動を控えていたが、それでも人気は急上昇中で、来年主演を務める話もあり、テレビや雑誌で見かける機会も増えていた。
まさか、こんな焼肉屋で自分だと気づかれるとは思っていなかった結衣は、少し慌てた様子を見せた。
茜「え、結衣、何?なになに?」
茜は、状況を理解できないまま、キョロキョロと周りを見回している。史緒里は、一瞬にして事態を把握し、冷静な表情で状況を見守っている。明日香は、少し戸惑った様子で、結衣の顔を見つめていた。
中高生たちは、徐々に興奮が高まり、結衣に近づこうとする。
「あの、ザッキーさんですか?サインください!」
「写真撮ってもらえませんか!?」
結衣は、困ったように眉を下げた。プライベートな空間で、しかも焼肉という状況で、こんな風に注目されるのは慣れていない。
結衣「あ、あの…すみません…。」
結衣は、どう対応していいか分からず、困惑した表情で小声で謝った。すると、史緒里がすかさず口を開いた。
史緒里「申し訳ございません。こちらはプライベートな食事中でございますので、ご遠慮いただけますでしょうか。」
史緒里は、いつになく低い声で、集まってきた中高生たちを牽制した。その毅然とした態度に、中高生たちは一瞬たじろいだ。しかし、一度火がついた興奮は、なかなか収まらない。
「えー、ちょっとだけー!」
「ザッキーに会いたかったんですー!」
そう言われ、結衣はさらに困ってしまった。どうにかしてこの場を収めなければ、と結衣は焦っていた。
第二節 神対応
結衣は、中高生たちの声に困惑しながらも、ふと茜の言葉を思い出した。茜は、今日の結衣のミニスカート姿を褒めてくれたばかりだった。その瞬間、結衣の頭に電流が走った。
結衣(そっか、いつものワンピースじゃないから、みんな気づいたのね…。)
結衣は普段、大学では青いワンピースを着ていることが多かった。確かに、今日は黒いパーカーに茶色のミニスカートという、普段の大学での服装とは少し違った、カジュアルで少しだけ攻めた格好をしていた。女優活動をしていた時の結衣を連想させる服装だったのかもしれない。
結衣は、焦りの表情を隠し、努めて落ち着いた笑顔を浮かべた。
結衣「皆さん、こんにちは。」
結衣の挨拶に、中高生たちはさらに興奮した。
結衣「プライベートな時間なので、本当は…なんですけど、せっかく会いに来てくれたんですものね。ありがとうございます。」
結衣は、少しだけ女優の顔になり、優しく微笑んだ。そして、スマートフォンのカメラを構えている中高生たちに向けて、少しだけ身を乗り出した。
結衣「でも、今日はサインではなくて、私と一緒に写真を撮りませんか?皆さんで一緒に一枚だけ、どうかしら?」
結衣は、そう提案した。サインは一人一人に時間がかかり、収拾がつかなくなる可能性が高い。しかし、集合写真なら一枚で済む。史緒里の厳しい表情が少し緩んだのが、結衣には分かった。
「えー!いいんですか!?」
「やったー!」
「ザッキー優しいー!」
中高生たちは、歓声を上げて喜んだ。結衣は、一番後ろにいた生徒のスマートフォンを受け取ると、画面を自分たちの方に向けた。
結衣「皆さん、笑ってくださーい!はい、チーズ!」
カシャッ、とシャッター音が響いた。中高生たちは、満面の笑みで結衣と一緒に写真に収まった。写真を確認した結衣は、スマートフォンを生徒に返した。
結衣「はい、どうぞ。お待たせしてごめんなさいね。また、どこかで会えると嬉しいです。」
結衣は、再び笑顔でそう言った。中高生たちは、大満足といった様子で、結衣に感謝の言葉を述べながら、徐々に去っていった。
茜「結衣、すごい!あっという間に収めたね!」
茜は、目を丸くして結衣を見ていた。明日香も、ホッとしたような表情を浮かべている。
史緒里「さすがですわ、結衣さん。対応も完璧です。」
史緒里も、感心したように結衣に言った。結衣は、再び肉を焼きながら、フッと小さく笑った。
結衣「全く、焦ったわ。まさか、こんなところでバレるなんてね。やっぱり、私って有名人なのかしら。」
結衣は、冗談めかしてそう言った。しかし、その顔には、どこか誇らしげな色が浮かんでいた。
中高生騒動が収まり、再び落ち着きを取り戻した焼肉テーブル。茜は、結衣の見事な対応に感心しきりだった。
茜「結衣、こんなすごいことできるなら、授業中のお腹の音も止めればいいのに!」
茜は、ゲラゲラと笑いながら、結衣をからかった。結衣は、そんな茜の言葉に、一瞬ピタリと箸を止めた。そして、茜を睨みつける。
結衣「あんたねぇ!それは、また別の話でしょ!お腹が鳴るのは生理現象なの!止められるわけないでしょ!」
結衣は、顔を赤らめながら反論した。あの日の屈辱が蘇る。しかし、茜は全く悪びれる様子もなく、さらに煽るような視線を結衣に送る。
茜「えー、でもさー、あんなに上手に対応できるんだから、お腹の音くらい、どうにかできるんじゃないのー?」
明日香は、またしても茜の無神経さに困ったように結衣の顔を見た。史緒里は、そんな二人のやり取りを面白そうに眺めている。
結衣「もう!しつこいわね!あんた、本当に…!」
結衣は、怒りと恥ずかしさで、言い返す言葉も見つからなかった。焼肉の煙が、さらに結衣の顔を熱くする。
結衣「それに、あれは私が普段から努力しているからできることなの!あんたとは違うのよ!」
結衣は、ムキになってそう言い放った。茜は、その言葉に少しだけ目を丸くしたが、すぐにまたニヤニヤと笑い始めた。
茜「はいはい、分かったよ、努力家の結衣さん。でも、努力しても止められないお腹の音って、なんか可愛いよねー。」
茜は、さらに結衣をからかう。結衣は、もう諦めたように大きくため息をついた。
結衣「もう、いい!あんたなんか知らない!私、もう食べるから!」
結衣は、そう言って、再び目の前の肉に集中し始めた。しかし、その耳は、茜たちの楽しそうな笑い声を聞き逃してはいなかった。焼肉の煙と、友達の笑い声に包まれて、結衣は、自分の恥ずかしい部分をさらけ出すのも悪くないな、と、ほんの少しだけ思っていた。
第三節 認識の違い
肉も野菜もすべて平らげ、お腹いっぱいになった結衣は、満足そうにため息をついた。他の三人を見ても、皆同じようにお腹を抱えている。食後の余韻に浸っていると、店員がお会計伝票を持ってやってきた。
店員「お会計、皆様ご一緒でよろしかったでしょうか?」
その言葉に、史緒里がすかさず反応した。
史緒里「あ、いえ、別々でお願いします。私の分と、結衣さんの分は私が払いますので。」
史緒里は、伝票を受け取ると、自分と結衣の分だけを指差してそう言った。その言葉に、茜と明日香は顔を見合わせる。
茜「え、史緒里、何言ってんの?奢ってくれるって言ったじゃん!」
明日香「そうだよ!史緒里ちゃん、私たちもご馳走してくれるって…。」
二人の言葉に、史緒里はキョトンとした顔をした。
史緒里「え?私は、結衣さんに課題を教えてもらったお礼に、結衣さんの好きな焼肉を奢る、と言っただけですけれど?別に、お二人まで奢るとは言っていませんわ。」
史緒里は、涼しい顔でそう言い放った。その言葉に、茜と明日香は口をあんぐり開けて固まっている。結衣は、そんな三人のやり取りを、どこか冷めた目で見つめていた。史緒里がそういうことを言い出すのは、想定内だった。
結衣「史緒里…あんたねぇ…。」
結衣は、呆れたような声で史緒里の名前を呼んだ。しかし、史緒里は全く悪びれる様子がない。
史緒里「だって、約束は約束ですもの。私は、きちんと結衣さんにお礼がしたかっただけですわ。」
史緒里は、そう言って、自分の財布からスマートにカードを取り出した。茜は、その史緒里の態度に怒り心頭といった様子だ。
茜「はぁ!?何それ!?あんた、そういうとこマジでサイテーなんですけど!」
明日香「史緒里ちゃん…ちょっとひどいよ…。」
明日香も、史緒里の言葉に傷ついたような表情を見せる。史緒里は、そんな二人の反応をどこ吹く風とばかりに、店員にカードを渡した。
史緒里「これでお願いします。」
店員がカードを処理する間、茜は結衣に助けを求めるような視線を送った。しかし、結衣はただ静かに、その光景を見守っているだけだ。
結衣(まさか、本当に奢ってもらえるとでも思っていたのかしら…この二人は。史緒里がそんなに甘いわけないじゃない。)
結衣は、心の中でそう呟いた。しかし、友人が困っているのを目の当たりにして、全く何もしないわけにもいかない。結衣は、小さくため息をつくと、自分の財布に手を伸ばした。
結衣「はぁ…もう、仕方ないわね。茜と明日香の分は、私が払うわ。どうせ、あんたたち、ろくにバイトもしてないんだから、お金もないんでしょ?」
結衣は、そう言って、茜と明日香の分の金額を確認した。茜と明日香は、予想外の結衣の言葉に、驚きと同時に安堵の表情を浮かべた。
茜「結衣ー!やっぱり結衣は最高の友達だよー!」
明日香「結衣ちゃん、ありがとう!」
二人は、結衣に抱きつく勢いで感謝の言葉を述べた。史緒里は、会計を済ませると、満足げな笑みを浮かべていた。
史緒里「あら、結衣さん。相変わらずお人よしですわね。まあ、でも、これで貸し借りはなし、ということになりますかしら。」
史緒里は、そう言って、結衣の肩をポンと叩いた。結衣は、そんな史緒里の言葉に、呆れたような、しかしどこか諦めたような表情で、自分のカードを店員に差し出した。
結衣「全く…本当にあんたたちには敵わないわ。」
そう言いながらも、結衣の顔には、どこか優しい笑みが浮かんでいた。結局、いつもこうなる。史緒里の計算高さと、茜と明日香のお人よしぶりに、結衣が巻き込まれる形で幕を閉じるのだった。
『山崎結衣の憂鬱』第二十話につづく




