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第十五章 鉄の匂い

次の日。千影は何だか目覚めが悪く、ぼんやりとした気分で自室のカーテンを開けた。

…外はまだ薄暗く、ひんやりとしていた。

今日は土曜日。せっかくの休日なので、眠気を吹き飛ばすために体でも動かそうと千影は外を走ることにした。

そっと布団を抜け出して気変え、窓を開けて外側の壁に蜥蜴の手を出して張り付く。そのまま手慣れた様子で一回転すると、器用に外から窓を閉め、音を立てずに2階の自室から地面へと飛び降りた。

「行ってきます」


朝の風は気持ちがいい。家々を抜けて、当てもなく千影は風を切る。そうだ、せっかくだから昨日の帰り道にでも行くか。初めて通った道を覚えておきたいし、裕貴の部屋があるマンションの前を通り、鳳蝶前を通ってそのまま家に戻るのもありだと、千影は体の向きを変えた。


しばらく走って、裕貴の家近くまでやってきた時、千影は異変を感じた。

つんと鼻を刺激する鉄臭い錆びた匂い。不気味な静けさに千影は身震いする。

「血の匂いだ」

もしや何かがあったのでは無いかと、千影は舌を出して匂いの粒子を感知し、匂いが強くなる方へと歩き出した。


匂いを辿った先にあったモノを見て、千影は思わず顔を顰め手で目を覆った。


そこには、背に3本の切り傷が走り、顔が殴られ腫れて現状をとどめなられなくなった変死体があった。

その死体に千影も見覚えがある。

赤黒く染まったグレーの隊員服。深い夜と夕焼けの間の空のような髪は血に濡れ、所々不自然に固まっている。

「副隊長…?」

鵺野裕貴の無惨な死体が、そこには転がっていた。


「落ち着け、落ち着け…!そうだ、まだ助かるかも、電話かけなきゃ…」

千影はパニックになっていた。スマホを持つ手が震えてうまくボタンを押せない。どうにか心を沈めようとしても、今の千影は到底冷静になれる状況ではなかった。

あたりは日が出始め少しずつ紫色に染まっていく。人通りがなく千影がどうにかするしか無い。千影が何とか電話をかけようとしたその時。

「大丈夫?…その状態じゃ助けも呼べないでしょ」

そう言って()は背後からスマホの上部分を掴んで取り上げてしまった。

いつのまに後ろに回っていたのか。気が動転したせいもあるだろうが、気配がなく全く気が付かなかった。千影は抵抗するのも忘れてふらふらと脱力し、腑抜けた声を出した。

「あ、スマホ…」

チャラチャラとした服装ではあるものの、オレンジのグラデーションの入った紫の髪を靡かせて、耳に開いた金のピアスが輝き揺れる様は神秘的な雰囲気すら感じる。そんな美青年は、訳もわからず千影が呆然と立ち尽くしている間にさっさと警察に連絡していたらしく、現場を見始めた。

「警察が来たって清掃業くらいしかしてくれはしないけど。事件発生の報告義務があるんだよね、非道い話。」と青年は肩をすくめる。「誰か呼んでおきますか」と彼の部下が尋ねると、「隊長は直に来ると思うよ、あと家にいる文清も呼んでおいたから大丈夫」と軽く言い放った。

集団の腕にはVと書かれた腕章が付いている。

…鳳蝶四番隊。

荒くれ者で、好戦的な奴らの集まる隊だ。


そしてその四番隊を引き連れる彼は、現場の写真をスマホのカメラで撮影した後じっと死体を見つめて言った。「死亡推定時刻は昨日夜9時頃かな。裕貴は確か8時頃まで鳳蝶の任務に当たってたはずだね」

「そっ、そう。裕貴は8時まで医務室で寝てて、その後俺とルイがここまで送った」

なるほど、と彼は手を当てて考える。

「じゃあ裕貴が殺されたのはその後かな。」

そう言って現場にしゃがみ込んで観察を始める。

「…ここに血で書かれた線が何個か残ってるな。等間隔な同じ長さの二本の線の組が不規則に散らばっているようにも見える。これは何かしらの道具によってついた後と考えていいかな。…犯人は少ししてからこの跡に気がついた、つまり跡が付いても直ぐにはわからなかったのか。となると…」

青年の独り言を素早くメモするのは、彼よりもずっとガタイのいい輩達だ。どう見ても他人の言葉をメモするような人物には見えない。見かけによらず真面目なのか、それとも相当青年の立場が上なのか。


青年は長い睫毛を伏せて、裕貴の背にある傷を指差し、空中でなぞった。

「この傷、()()()()の仕業だね」


千影は思考が止まる。


「…愚裏厨離?」

「そう。この引っ掻き後みたいな三本線は、奴等の手口。この前も一般人が同様の手口で殺されていてね。七番隊の子に頼まれて調べたら辿り着いたよ」


なんで、裕貴が。

「そんなの…そんなの…卑怯じゃねぇか!」

千影は顔を歪めて怒鳴った。血を上らせたって事実は覆らない。分かっていてもなお、千影は冷静になることなんてできなかった。

そんな千影を横目で覗き、「卑怯だね」と涼しい顔をした。

「…それが仲間が死んだ時の態度かよ」

やるせのない怒りをぶつけるかの様に、千影が青年を睨みつける。

周りにいた大男たちの表情が険しいものになる。このようにされるのも日常茶飯事なのだろうか。

目を瞑って淡々と、青年は遺体を見つめる。

「…慣れちゃったのかな」

「慣れるってなんだよ!」

ついに頭に血が上った千影が勢い余って青年につかみかかると、青年は一瞬にして千影を赤子の手を捻るように、左手一本でひょいと捩じ伏せた。

「ぐっ…」

この青年、強い。裕貴やルイとは比べ物にならないくらい強い。千影はそう感じた。もしかすると、隊長レベルなのでは無いだろうか。


「…思い出した。

お前、四番隊の幹部会にいた…」

千影がそう言うと、「そうだ、名乗るのを忘れてたね」と青年は妖しげに笑った。

「俺は四番隊副隊長の雷電董真(らいでんとうま)

…よろしくね、一番隊の切尾千影くん」

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