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第十八章 記憶の嚥下

ピンポーン。

壊れかけの機械が流す不気味な余韻が不協和音を作る。はっと琥珀が息をのんだ。ルイは瑪瑙をギュッと抱きしめたあと、「ねぇねと一緒に部屋に隠れな」と言った。

すぐに瑪瑙は自室へと入り鍵をかけた。ルイは琥珀の方を見て「お前も早く行きな」と顎で部屋を指した。

「でも…」

琥珀が戸惑ったその時。

ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン

「ひっ!」

琥珀の顔がどんどん青くなっていく。

「行ってやれ。瑪瑙もきっと怖がってる」

さっきまであれほど気が強かった琥珀が嘘の様に縮こまり、「ごめん、おにいちゃん」驚くほど小さな声で零した。

「裕貴…お前も、」

「ねぇ、ルイ。

皆の言うアイツは、この家に必要?」

気味が悪いほど静まり返った部屋の中で、玄関の鍵の開く音だけがなった。


「…は、それどういう…」

「要らないよね。だって正しくない」

ルイは心の奥底にしまっていた感情が疼き出すのを確かに感じていた。

あの男を殺すことができたのなら。

恐怖に漬け込まれすぎたルイにはもはや反逆心さえなかった。でも、裕貴なら…。

駄目だ、駄目に決まっている!裕貴はこの問題とは無関係な他人だ。こんなことに巻き込ませる訳にはいかない。

良心と渇望のせめぎ合いの中で、ルイは自分の意識が遠のいていく様な感覚がした。

「いいよ、…もういい」

絞り出した様なルイの言葉を聞いて、裕貴は「良かった」と笑った。

意識が朦朧とするルイを抱えながら、裕貴は真っ直ぐ玄関の方を見つめた。


「おい、ドア開けんの遅せぇぞ!!チャイム鳴った瞬間に開けろっつっただろうが!」

ドアをドンと蹴り父親が中に入ってくる。背格好は165cm前後くらいだろうか。175cmある裕貴より小さく、裕貴からしてみればただ吠えているだけで威圧感など微塵も感じないが、150cmほどしかないルイやその母親、妹達にとっては十分に恐怖の対象であろう。

「ん…なんだオマエ」

粗雑な言葉使い。整えられていない髭や伸び切り尖った爪。

()()()だけで、傷つくに決まっている。

ぎりりと裕貴は唇を噛んだ。

「ルイ、今楽にしてあげるね」


「あー、すみません。どなたか存じ上げませんがぁ、そのチビから退いてくれません?」

ルイは恐る恐る父親に目をやる。そこには、裕貴ににへにへと笑い媚びへつらう汚く惨めな男が立っていた。

こんなのに俺達は今まで支配されていたのか。

絶望と安堵のようなグチャグチャした気持ちの悪い感情がルイの中を這いずり回る。

「…お前も黙ってないでなんとか言ったらどうだぁ!その人もお前のせいで困ってんだろ!」

ルイが裕貴の腕の中でびくりと震えた。

裕貴はすっと立ち上がり、指笛を鳴らした。

「おいで」

何処からともなく鵺が家の中に降り立ち、ゆっくりと父親の周りを歩き始めた。

「な、なんだ、これ…バケモノ?」

途端に父親はガタガタと震え出す。みっともなくこちらを見つめて、命乞いでもしているつもりなのだろうか。

「俺の親友を傷つける奴は要らない。正しくない。

…選びなよ。足がいい?それとも腕?」

「え…あ…」

「両方か」

裕貴がそう言った瞬間、鵺は腹を空かせたと言わんばかりに父親の腕と足を噛みちぎった。

「う゛あぁあ゛あぁああ゛あ…あ゛…ぁ…」

血がだらだらと吹き出すのを鵺がざらりとした舌で舐めとる。その様子を、ルイは、瞬きを忘れるほどにまじまじと目に焼き付けていた。

裕貴はルイをきつく抱きしめながら、子供をあやす様に背をさすって、「大丈夫だよ」と繰り返していた。

「ひぃ…!ごべなざ、ごめ゛んなざい…!だから゛命、命だけは…!!」

必死の懇願に、裕貴は思わず苦笑した。

「今の自分の状況、分かってる?

これは罰じゃなくて、排除だから」

いいよ、と裕貴は鵺に声をかける。

待っていたと言わんばかりに鵺は頭にかぶりついた。

グシャリと頭部が潰される音に、悲鳴がかき消された。軟骨を食べる様な音のした後、そこに先ほどまでいた人物は、跡形も無く消え去ってしまった。


「おにいちゃん、いまのおと、なぁに?」

瑪瑙が部屋から飛び出してくる。「こら…!」と顔を青くして琥珀もついてくる。

「あれ、アイツは…」と言いかけて、琥珀は床に残った赤い液体に気づいてハッとする。

それから視線を少し上にうつすと、口の周りが血だらけになった鵺と目があって、ヒッと情けない声を出した。

「ごめん。…食べちゃった」

にこりと笑った裕貴に琥珀はたじろいだが、「…そっか」とだけ言って、兄の方を見つめた。

みっともなく裕貴にしがみついて、青白い顔のまま赤子の様に抱きかかえられたルイを見て、琥珀は安堵とも後悔ともつかぬ表情で、困った様に笑った。


    ------------------


ぼうっと歩きながら、ルイはあのときの裕貴の顔を、感触を思い出した。

「大丈夫」と言ってくれたあの声を思い出して、苦しい思い出を掘り起こして。そうやっているうちに、晴れ渡った空から大粒の雫が地面へと落ちていく。

「俺があの時裕貴と一緒にいれば、あいつは死ななかったかなぁ…」

掠れた声でそう呟くと、もうそこは家の玄関の前だった。

そっとチャイムを押す。また古ぼけた不協和音が響くと、瑪瑙が「お兄ちゃんおかえり!」と元気よく扉を開けた。

もうあれから時が経って、瑪瑙も中学生になった。瑪瑙も琥珀ももうルイの身長を抜かし、随分と大きくなった。姉とお揃いである新品のセーラー服に身を包んだ姿は、立派なお姉さんに見える。


…裕貴が守ってくれた、俺たちの未来。

その恩を返すことが、できたのだろうか。


「どうしたのお兄ちゃん、玄関先でぼーっとして、暑いから中に入りなよ

…お兄ちゃん?」


瑪瑙が兄の顔をまっすぐ見つめる。

ルイは目から大粒の涙をボロボロと床に落として、呻きながらうずくまってしまった。

「うぅああぁあ…」

顔を必死にぐしゃぐしゃとおさえて溢れ出る滴を堪えようとするのは、兄としての威厳からくるものなのだろうか。

瑪瑙は泣き崩れる兄の姿に慌てて、高校生の姉を呼んだ。

「おねぇちゃん、どうしよ…!」

「どうしたの…ってお兄ちゃん、何があったの!?」

小さな背中を震わせて泣く兄をリビングまで連れて行き、椅子に座らせた。

「どうしたの?」と赤子をあやす様に琥珀が問いかけると、ルイは少し口籠った後、「…ひろきが」と呟いた。

「ひろきお兄ちゃんがどうかしたの?」と聞いた瑪瑙に、全てを察した琥珀は目を合わせて、寂しげに首を振った。

「そっか」と琥珀が返す。素っ気ない様な返事だが、声色に悲しみが色濃く乗った。

経緯を話すにつれ少しずつ落ち着いてきたルイは、全ての顛末を話し終えた後、「どうすればいいのかな」と言った。

「復讐すれば気が晴れるのかな…でも裕貴はきっとそんなの正しいと思ってないよな」

俯いた兄に、琥珀は真っ直ぐ向き直った。

「でも、奴らをぶっ飛ばしたい気持ちはあるんでしょ?

副隊長やられて鳳蝶が黙ってるわけないと思うし、直に全面戦争になる。だからね」

そう言って琥珀は兄のがっしりとした掌を握りしめた。

「思いっきり、気持ちぶつけてきな」

ルイは琥珀を見上げ、「ああ」とさっきよりも力強く頷いた。


それと同時に、玄関のチャイムがまた鳴った。

「瑪瑙、開けてくれる?」

琥珀がそう言うのをルイは制止し、「俺が開ける」と言って立ち上がった。


玄関先に立っていたのは、一番隊新副隊長の切尾千影だった。

「…こんな時にごめん。伝言を文清さんから預かってる。

…あと、心配になったから、来ちまった」

そう言って唇を噛み締めて俯いた千影の頭をわしゃわしゃと撫でくりまわして、ルイは笑った。

「ありがとよぉ、千影」

「その人は?」と琥珀が尋ねると、千影は慌てて背筋を正した。「鳳蝶の新入り。一番隊で裕貴の後輩だよ。えーと、高一だから琥珀より年下かな」

琥珀の見るからに強そうで姉さん気質な表情にビビったのか、千影は軍隊の様に真っ直ぐ綺麗な気をつけをしている。

「えっと、初めまして、切尾千影です」

ふーん、とニヤニヤしながら琥珀は千影を見て、クスッと笑った。

「お兄ちゃんを頼むよ、千影くん」

千影はしばらくせつなげな顔で何かを考えたあと、静かに頷いて鳳蝶二番隊からの()()を話し始めた。

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