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第一部 第二章


        第二章 

       Kの物語2 2005年

次の日、Nは東京行きの新幹線に乗っていた。

DとPに挟まれながら。

本の読み合わせ、かのスター俳優Hとの顔合わせの為だ。


昨夜一足先に東京に戻るため乗った最終の新幹線のグリーン車両の中で、Kはあの下世話に言えば神秘的でかつ気色の悪いNについてあれこれ思いを巡らせていた。

彼はKに思い起こさせた、あの挑戦を。

あの自らを以てして言語化できない、形容しようのない、きわめて概念的、いや観念的、そういうものに対し、許すまじという敵意と、故にその観念とやらを伝え形象化するという未踏の作業こそがわが勝利であり、自分の存在に意義を見いだせるという期待と高揚感から湧き出る挑戦を。

彼は心地よき苦さの入り混じったノスタルジーに浸りながら、あの「紙切れ」が自らを逸脱させてしまったあの時を回顧していた。


       第二章 

      Kの物語3 1994年

安田講堂

一日の賃借料もそこそこのこの日本最高学府のシンボルである講堂を学生が借り切って芝居をするという。

まだ成人前の学生の興味を引くには十分だろう。

しみじみ見るのは入学式以来だと思いながら、Kはこの講堂の周りをゆっくりと歩いた。

幾度となく通り過ぎていているのに、改めて眺めるとその壮観にやや気圧された。

何十回となく目に入っているのに、しみじみ見たのは入学式以来の気がしていた。果たして、問答無用に美しい建築物だった。

入口の前には、「入場はこちらからでーす」と滑舌よく聞き取りやすいよく通る声をした若い女性達が呼びかけていた。

その女性共、どの顔もうっとりするような美形では決してないが、この類はまず自分の大学の学生ではないと確信した。

言わば、擦れている、こなれている、遊びを知っている、もっと直接的に言えば「男を知っている」感じ、

Kは嫁にするなら逆にこういう娘のがいいと内心思いながら、その女性達から一定の距離を保つことに決して失念なきよう慎重にかつ丁寧に観察した。

「よし、30分前や!」

女性達の後ろに頭一つでた長髪のスラリとしたやせ形の男が浮かび上がるように現れた。

この男がDだった。


果たして、Kをその生涯の終わりまで縛り付ける当惑という鎖をばらまく舞台の幕が上がった。

いきなり演者達が踊りだした。

前後関係、因果律なぞ存せずとも言うかのように。

そしてまるで要旨のつかめぬ長台詞の応酬が延々と続く。

何も掴めない、一切の意味が掴めない、なら、ナンセンスと吐き捨てればいいのにKには何故かそれが出来なかった。

活字にすれば無機質でしかない登場人物の台詞が、何故こんなにやたらと人間臭く響くのか?

演者たちの見た目には特筆すべきところはまるでなかった。

男も女も、美醜の中点にいるのみ、つまり凡庸、ありきたり、良く言えば人間らしい、畢竟人間臭さのみをばらまく外目なのである。

スタイルは良いようで著しく蟹股だったり、美しい黒髪なのに黒目がゴマのように小さかったり、

顔の造詣自体は整然として美しいようで顎のえらがひどくはっていたり、

演者の見た目はある意味、個性という名前でしか説明できぬ、いや、褒められぬ平凡という悲哀の投影にしか映らなかった。

なのに、このありきたりな男女が、いやだからこそ、この「のっぺらぼうな男女たちがわかったようなことをぬかして何一つもわかってない事実をさらす」そこにこの舞台劇の意義が有るとでもいうのか?

もう一度三分の一がちぎられたチケットの紙切れを暗がりの中、舞台から零れてくる光を頼りにみた。

「演出D 早稲田演劇研究会主宰」


舞台が暗転した、そして客席から拍手が自乗するかのように増幅して講堂内でけたたましい反響を起こしていた。

舞台の上に、役者たちが一列になって並びこうべを自らの腹にべったりと付けるようにこれでもかと下げている。

最も左の小柄で色白だが、瞳が小豆のようなつぶらという褒め言葉にとどめておける風体の主演女優がその小さな目で目くばせすると、一列は頭頂部の高さで美しく放物線にそろえた凪波のような二次曲線に変わった。

最も高い右端に、開演前にみたあの長髪でやせぎすの男が満面の笑みで何度も手を挙げた。

Kは何ゆえか、その男の笑みに向かう方向の自分に初めて湧き上がる何か、少なくとも正でない感情、敗北感という虚無に近い空間から一歩手前で自らを踏みとどまらせる哀れで不憫なこの感情に、戸惑いながら、やがて理解した、これは嫉妬なんだと。

そして、再び舞台が暗転すると、客席の明かりが全面に灯った。

パンフレットに挟まっていたアンケート・・・・

今のKに書くことなぞない、いや、多すぎて書ききれない、もはやそれさえも不知、有限で無限、これは全く以て不埒。

その感情の中で、一言のみ記述した。

「東京大学法学部1年生Kと申します、一度Dさんにお会いしてお話がしたいと存じます、電話お待ちしております 03―✕✕✕✕-▲▲▲▲」


もう、21時過ぎていた、3時間以上座っていて臀部及び尾骶骨がじりじりとしびれていた、

地下鉄南北線内は空席だらけだったが、Kは手すりにもつかまらず立っていた。

正確には向こうの暗闇に中の車窓に映る自らの顔をじっと凝視しようと試みていた、無論、顔の良しあしでなく、今どんな顔をしているか、表情と言うより、今の自らの顔はどうなっているかを確かめる為。

つまり、今心にいるこの嫉妬心とかいう感情を自らがどう処理しているかを知りたかった、自らの顔が具現しているはずだ、だが、その顔を確認することは出来なかった。

トンネル内の間断なきライトがKの顔をまばゆく照らして巧妙に隠していた。


家に着くと留守電にDのメッセージが届いていた。


高田馬場、Kにはあまりなじみない街だった。

大手町にほど近い本郷とはまるで程遠い、何かとオーバーキャパな街、せわしなく、落ち着きのない、かつ品性もない、そんな街でDと待ち合わせた。

そしてこの雑多で些末な街に現れたDは街に同化していて、その雰囲気にKには憧憬に近い感情さえ覚えていた。

「まあ。あえて聞きます、どうでした?」

Dは西早稲田の居酒屋で麦焼酎をあおりながら聞いた。

「つまらなくはなかったが、よくわかりません」

Kは率直に言う。

「まあ、今はこういうボヤー、バアー、んでもってドカーンとした抽象的な芝居が流行ってます、ま、それがいいか否かは別として、なので東大法学部のかたが見てもわからないのは、残念ですが当然かもしれません」

Kは少しむっとして聞く

「あなたはこの物語のいわば趣旨を理解して演出されたんですか?」

Dは焼酎をまたぐびぃっとやりながら首を左右に大きく往復させながら言った。

長い髪がロックバンドのギタリストのようにゆらゆらと揺れた。

「わかりません、ただ、本の中の余白みたいのモンを表現できたらと思ってましたが、またあかんかったようで・・・結局はね、誰が見てもわかるものって次元だと、子供のお遊戯も吉本新喜劇もマクベスもよう変わらんのです、だからと言って鴻上、奴が神みたい存在かっていえばそれも違う、奴はただの出題者でしかない」

Kが呟く、「余白の表現、それはつまり複素解のような?」

DはKのその言葉に目を見開いた。

「そう、、、多分そういうの!」

「鴻上の言いたいことをxとするならあなたが舞台にするとdになる、そして客は任意のd“として受け取る、数学的に言えばそういうことですね」

Kの完璧な比喩にDはぽかーんと口をあけた。

「多分余白とはこのxとdそしてd“との間にある式のような何か、つまり公式なのでは?」

Dはますますこの薄明なKに感嘆の相槌を打って言った。

「ほんま痛感してますわ、東大法学部の人の頭脳は我々が思うよりはるかに優れていると」

Kは迷わず、間断なく言った「それについては否定しません、ですが、いやだからこそ今日の観劇には忸怩たる何かを感じてます。自分がそのd“がつかめ得る気がしないのです。これは看過できません、こういうとDさんあなたに敗北したみたいですけど、然し、生まれて初めて自分が敗北した感覚なんです、たとえば、街にあふれる愛とか恋とかセックスとか、だらだら歌うくだらない歌謡曲なぞ、私は理解しようとは思いません。答えは簡単に理解でき、かつそのくせ得るものが極めて少ないからです、そんなものは谷崎や永井荷風でも読んだほうが建設的です、しかし、このアングラ芝居というのは・・・まったく癪に障りますね、くだらん、つまらんと即断できて然るはずなものと3時間も向き合い、結果、断ぜない、自分の回答を何一つ未だ見い出せずにいるわけですら、つまりd”が分かったとしても、複素数の虚数部iの部分、これはどう追えばよいのか、メソッドさえない、こんなのは余りにも不埒というものです」

その突如始まったKのあまりに知的な長台詞の様な独白を聞いてDは吹き出してしまった。

「早稲田第二文学部8回生のワシが、東大法学部に現役合格した神童に勝ってもうたんか!」

Kは驚いた、この男自分より少なくとも7つも年上なのか?というより四回も留年を続けるこの男、一体何のために生きているのか!?

いやそうか、その「余白」の表現の為にだけ留年を重ねているのか?

だが、にわかにはその感覚、全く理解し得ないとも思えない。今の自分には仮借なく断ぜるか?

「春から、東映にいきます、ああ、くだらないヤクザ映画のパシリ助監督かスケベ映画でも撮らされるんでしょうな」

「Dさんは映画監督になりたい?」

「いや、結局そうならざるを得なかった言うか、芝居しかしてない28歳の新卒社員の需要はこんな汚れ仕事以外一切ありませんからね、8年も芝居演出とか8ミリ映画とか下らぬことに時間を使った因果です」

Kは今自分より7つも年上の多数人の主観には不毛でしかない時間を浪費したその奇特な人物と、仮初ながらも同じ立場で酒を酌み交わしている。

この奇妙な違和感にKは何とも言えない恍惚感を感じていた。そう、あの千代田線の中の自らの顔で探した嫉妬心はKの内観から消えていた。

この恍惚はどこからやってきたのか。Kを謎に霧のように覆った嫉妬心が雲散霧消した証左だったのだろう。そして開けた視界に新たな扉を前にした歓喜。

単に人知の勝ち負けできまる優越感なぞという安いっぽい感情ではない、いやその概念を覆い尽くす未知の自分の知る定理、物理法則すべてを否定し、新たな数学を渇望する深淵な暗黒へ引き寄せられるような感じと言ったらよいのか。

これがDの言う余白とでもいうのか、この強烈な引力の心地よさはなんなのだろう。

「Dさん、あなたが8年間演出した芝居の本をすべて私に見せてくれませんでしょうか、できればその自主製作映画も」

Dはショートホープをもみ消しながら用心深く驚きの念を悟られぬようKを見た。

Dに良心の呵責がなかったといえばそれは虚偽でしかないだろう。

日本国の中核を担うべき曇りなき前途が開けた人財をこの道にひきこみでもしたら、自分の罪深さににさいなまれ、自身まで一切の逃げ場を失う、袋小路に陥る道連れを増やしやしないか、Kは疑うことなく将来、法文や政令、はたまた判決文を書く男だ、その人間に読ませ、反芻されても、逆に傾倒されても自分は自分とKの接合から逃れられなくなる、ひたすらに時間の浪費でしかない人生は自分だけで十分ではないのか。

Kの純粋にすぎて沸き立つ好奇心とDの邪推にすぎて沸き立つ逡巡が静かにせめぎ合っていた


Dは最終的にKを過大評価した、事実上は、過小評価する結果となったが。

鴻上だ、野田だ、まして自分の自主製作映画なぞ彼に響きはしない、所詮作り物に情熱をかけることなぞいかにおろかであるかは自分よりK自身が知っていると。

なら、固辞するのは彼に対する敬意を著しく欠くと。

次の週、Kのアパートに160サイズの宅配物が届いた。

Kは頑丈にかつ慎重さの数と比例するガムテープを汗をにじませつつはがし終えると

20冊の本、そして5本の8ミリベータカセット、そしてやたらと重いビデオデッキが目下にあった。

書籍は、鴻上、野田秀樹、平田オリザ、唐十郎、鴻上以外は初めて聞くメンツだ。

Kはその本すべてをその日のうちに読み終えた。

抽象から具体へ、はたまたその逆へ

読了し、ひとつ言えることは真理を導く為に必要なフォーマット、つまり三段論法の一切が、というよりそれが意味をなさないように書かれてあったこと。

それが、著者からの挑戦であり、Dが言う余白なのだろう。そしてKが思う虚数部。

なるほど、情熱をこういうものにささげたいというのも一つの青春なのだろうとは思った。

ただ、自分は無関係なのだとまだ言い聞かせることはできた。

送られてきたビデオデッキを今度は汗だくになりつつテレビに接続し終えると、Kは炬燵に包まってDの映像作品を視聴した。

Kはこのカラオケビデオのような安っぽい内容が炬燵の柔らかな温かさと同期し、ほほえましい気分の中に、だがまじまじと見た。

演者たちがもっともらしいことを言っているが、それは誰もいない海に向かって放たれた言葉のように一方通行、だたただ虚しく響く三文芝居の定型。最終的には微笑ましいと言う念が憐憫の念に変わろうとしていた。

彼はこんなものをつくるために8年も大学に籍を置いたのか?

そう思うとDに対する優越感、つまり学業成績における偏差値の優劣から芽生えるあの手慣れた憐憫の情の中でふわふわと漂っている自分がいた。

だが、待て、この憐憫の念は自らに資格はあってのことか?

Kが自問した時、たちどころにその憐憫は消滅した。自分はスタートラインにさえ立ってないのに、この憐憫は失敬ではないか?

自らに対し自惚れが過ぎやしないか?

だが、自分は出来るだろう、自分ができなかったことは今までの人生であったか?

ない。

軽く書いてみればよい、Dが東京を去るまではまだ半月ある、

自分も少しだけ遊んでみるのもよい、自分は音速で走る新幹線のような人生、気まぐれに小田原にでも一時停止したつもりでいいのだから。

また、発進すればよいのだから。

何より、この作者たち全員が稚拙、抽象こそは完全なる正義という考え方が気に入らない。

この本達は理論も文芸も素人でも分かりうる余地なきものこそ至上としている昨今の事情のアイコニックそのものではないか。

だが、抽象と具体、明確かつ難解、浅はかさと深淵

こんな二面性の両立こそ芸術なはず。

余白、つまり虚数iの答えは自分が出して見せる。

と、Kは青い決意を固めた。


「本を書いてる・・・」

Dは両国のちゃんこ鍋屋でウーロンハイをちびりながら目をひん剥いた。

「あの本たちは時代の流れに乗っただけで、今流れているこの歌謡曲と大差ありません」

店内には、8ビートにクリーントーンのギターが重なる曲の数々が響き渡っていた。

「Dさんが8年もかけて掴みたかったもの、それは疑義の余地なく純粋芸術であるとよーくわかりました、しかし、あの著者たちには二面性がまるでない、多面的かといえば抽象表現でそう思わせているだけ、山手線のように東京駅から出発して東京駅に戻っているだけ、つまり一面性の堂々巡り、私は読み手直接的に訴えることをしつつ、人を抽象的な何かの高次に導く本が書きたい、つまり具体と抽象の両立を叶えたい、そう思いました」

「つまり、それがKさんの芸術体現ですね・・・その本、上がったら自分に読ませてくれませんか」

Dの中にあったかのDには複雑に過ぎた逡巡が、いともあっさりとKの言葉の疾風に吹き飛んでいた。


Kは瞼を開くと、新幹線はゆっくり減速し新横浜で止まった。

明るくも、暗くも、多くも、少なくもない夜光が車窓から入り込んでいる。

あの少年・・・

彼は生まれ持っている。

あの微笑みは、悲しみと喜び、怒りと歓喜、美しさと醜さ、一枚のコインが当たり前のように持つあの二面性そのもの。

それが、自らが追い求めた芸術の最重要な要素だった。

だが、今まで、自分は追えども追えども得られたのは貯蓄額でしかなかった。

コインには二面性があるのに、貯蓄額表示には一面性しかない。

通帳の明細に書かれた数字に裏などない。

それは、マイナスなら借金でしかない、そうでなければ、すべからく財産である。

口惜しいが、まだ挑戦してもよかろう、あんな「中性の人間」に巡り合ったからには。

Kは窓辺に映る自分に微笑んでみた。

丸い顔に長方形の眼鏡をかけた三十路前の男が笑っているだけだった。

ただ、それだけだった。

やがて、列車が動き出し、車窓のKの顔の微笑みは歪んで消えた。


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