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居住下区に棲むディーン





 ぼんやりと意識の中、アルファが最初に感じたのは、心地良い揺れと浮遊感だった。

 続いて、草を踏む音と土と葉の匂いが五感を刺激する。薄目を開けていくと夕日に照らされる薄暗い森が見えた。


「……んぅ?」

「起きましたか?」


 寄り掛かっていた頭をあげると、どこからかリトの声が聞こえてきた。

 そこでやっと、アルファは自分がリトの背中にいることに気が付いた。リトは両手でアルファの杖とポイロゼの草が入った麻袋を持ち、アルファを背負いながら歩いていた。


「……おはよう、リトさん」

「目を覚ましてからの第一声がそれですか。僕が言うのもなんですが、もう少し慌てたらどうですか?」


 後ろでのんきに欠伸をするアルファに、リトはため息をついた。


「ここは?」

「まだ森の中です。王国に向かってるところですよ」

「あっ、そうだ! メタルマイマイは!」

「私が起きた時には、まだみんな寝てましたよ。幸い私が一番最初に起きたようで、アルファさんを背負ってあの場から逃げました」

「そっか、良かったぁ」


 アルファは脱力して、リトの背中にまた体を寄せる。助かったという安堵と同時に、気を失う直前のことを思い出す。

 魔法が成功したのは良いものの、自分とリトを巻き添えにしてしまったことに、自責の念がアルファの胸を締め付けた。さらに、リトが目を覚まさなければ、どうなっていたか分からない。

 リトの肩に頭を置いて、アルファはしばらく黄昏た。


「……ごめんね、リトさん」


 アルファは暗い声色で呟く。


「何がですか?」

「私のせいで、危険な目に合わせちゃった」

「何をいまさら」


 リトは小馬鹿にしたように鼻で笑った。


「別に気にしなくていいですよ。あれくらい大したことじゃないです」


 それが気休めか真実か、今のアルファに確認するすべはない。しかし、自分を背負って歩く足取りと目の前の逞しい背中が、妙な説得力を与えた。

 何事にも動じない精神とぶっきらぼうな優しさが、まるで夕日のぬくもりのようにアルファには感じられた。


「リトさん」

「はい?」

「重くない?」

「正直、重いです」

「んぐっ。じゃあ、下りるよ」


 リトの素直な感想に軽いショックを受けつつ、アルファは背中から下りた。そして自身の杖を返してもらい、崩れた髪やマントを整える。リトも腕を回したり背伸びをしたりと自身の体をほぐす。


「リトさんって意外と力持ちだよね」

「そりゃあ、農家ですから。普段から重い野菜の籠を運んだり土を耕したりしてれば力もつきますよ」


 大したことではないと口では言うが、リトはまんざらでもなさそうに顔を逸らして頬を掻いた。その頬や手には痛々しい擦り傷や切り傷ができていた。

 また後ろ暗い気持ちがアルファを襲うが、杖をぎゅっと握って誤魔化すことで何とか顔に出さずにいた。


「それじゃあ残りひとつ、さっさと見つけて帰りましょう」

「うん、任せてよ」


 自分の失敗を取り戻すように、アルファは探索魔法を使った。

 最後のポイロゼの草を手に入れるのに、そう時間は掛からなかったが、二人が王国に帰る頃には、空に星が輝いていた。




 ***




 フォーツヒル王国で人間が暮らしている場所は、主に5つエリアに分けられる。

 王族が住んでいる『王宮』。

 執政や貴族が住む『行政区』。

 市場やギルド、教会、宿屋が設けられている『中央区』。

 商人などの小金持ちや衛兵を含む上級役職が住む『居住上区(きょじゅうかみく)』。

 そして、その他の平民が住む『居住下区(きょじゅうしもく)』。


「さぁ、今日も張り切って行こう!」

「僕が払った宿代は、借金としてツケですからね?」

「うぐっ!」


 翌朝、宿屋で一泊を過ごしたリトとアルファは、依頼人である『居住下区に棲むディーン』に会うため、ギルドのあった中央区に隣接する居住下区へと向かった。昨日の陰気なアルファの気分は、宿屋のベッドで寝たことで、すっかり晴れたらしい。



 特に迷うことも無く、二人は居住下区に入った。居住下区は外部からの人の出入りが少なく、通りすがる面々はほぼ周辺の住人ばかりであった。並ぶ建物も心なしか壁にヒビが入ったり汚れたりして寂れたものが多い。王国の中にもかかわらず、農村のような雰囲気を感じさせる。


「すみませーん、このあたりにディーンさんという方が住んでいませんか?」

「ん? あぁ、アイツの家なら、この先の角を右に行ってまっすぐだよ。表で豚がビービー鳴いてるから行けばすぐわかるぞ」

「ありがとうございます」


 近所付き合いの濃い居住下区では、住人は皆お互い顔見知りだ。道を教えてくれた通行人の男に、アルファは小さく頭を下げる。“ディーン”という名前を聞いた途端、男の眉間を寄せたことが気になったが、リトはアルファの後に続いて頭を下げた。

 教えてもらった通りに、二人は道を進む。舗装されていない土の道を歩いていくと、やがて寂れた一軒家が見えてきた。


「ここかな?」

「ここのようですね」


 通行人の男が言っていた通り、その家の前には柵の囲いが作られ、豚がうるさいほどに鳴いていた。しかし、あまり満足に食事が与えられていないようで、大きさの割に痩せた豚ばかりだ。

 二人は家の前に立って、改めて外観を見上げる。周りの民家と同じ頃に建てられたのだろうが、目の前の家は、特に壁や屋根の劣化が激しく、家主がろくに掃除や手入れをしていないのが一目でわかった。


「あのー、すみませーん!」


 アルファが家の戸をノックして呼び掛ける。


「どなたかいらっしゃいますかー? ディーンさーん!」


 しかし、アルファがいくら呼び掛けても返事がない。アルファはリトと目を合わせ、首を傾げる。


「留守かな?」


 諦めて出直そうかと思いはじめた時、扉が軋む音を鳴らしながらゆっくりと開いた。そして、中から無精髭の男が顔を出した。

 男は怪訝な顔でリトとアルファを上から下まで舐めるように見る。年齢はおそらく三十代後半くらいだろうが、髭とボサボサな髪、目元のくまのせいで実年齢より老けているように見える。


「……なんだ、アンタ等?」

「あなたが、ディーンさん?」

「あぁ。だから何の用だよ?」


 男は突き放すような強い語調で言う。まるで自分に話しかけるなと遠回しに追い払おうとしているような言い方だ。

 そのあまりの態度の悪さに、アルファは思わず後退りする。朝から飲んでいるのか、酒臭さも漂ってきた。

 どうやらこの男が、今回のクエストを依頼したディーンのようだ。


「ディーンさんがギルドに依頼したクエストを、私達で達成しましたので依頼品を渡しに来ました」

「チッ! またかよ」


 男は大きな舌打ちをした。不機嫌な態度を隠そうともせず、険しい顔で二人を見た。


「知らねぇよ!」

「「えっ?」」


 男の返答に、リトとアルファは揃って驚いた。


「え、えーと、あなたが薬草を持ってきてってクエストを出したんじゃ?」

「だから、知らねぇって。何度も言わせるな」

「でも、ギルドのクエストには『居住下区に棲むディーン』って……ねぇ?」

「えぇ。確かに書いてありました。居住下区にはあなた以外にもディーンという方がいらっしゃるんですか?」

「知るかよ」


 リトとアルファが、またお互いに顔を合わせた。二人とも何がどうなっているのかと疑問の表情を浮かべていた。


「用が済んだなら、とっとと帰れ」

「ちょっと待って!」


 ディーンが力任せに扉を閉めようとした瞬間、アルファが足を引っかけた。アルファは「痛っ!」と顔を歪めたが、男はまた舌打ちをして扉を開けた。


「なんだよ!」

「ホントにあなたが出した依頼じゃないの? ポイロゼの草が欲しいって」

「なんで豚の餌にしかならない草を、わざわざ俺が頼まなきゃならないんだよ!」

「でも、ギルドにクエスト出てるし、延長だってしてるでしょ?」

「しつけぇなァ。知らねぇって言ってんだろ!」


 ディーンは凄んでアルファの胸倉を掴んできた。その恫喝に、アルファは目を大きく見開いて身構えた。


「いい加減にしろゴラァ!」


 今にも殴りかかろうと、ディーンはもう片方の手で拳を握る。

 アルファは身をすくませて目を閉じた。だが同時に、リトがディーンの手を掴んで二人の間に入った。

 リトはまっすぐディーンの眼を見据える。


「なんだよ!」

「無礼を働いてるのは承知しています。ですけど、あなたの名前でクエストが出てるのは事実なんです。話を聞かせてくれませんか?」

「うるせぇーよ! ペッ!」


 ディーンはリトの顔に唾を吐きつけた。言い知れない不快感がリトを襲う。

 だが、リトは動じず、ただ黙ってディーンを見る。皺ひとつ動かしていないにもかかわらず、その表情は氷のように冷たく感じられる。

 まったく反応を見せないリトに、逆にディーンが気味の悪いものを見る眼になった。


「わかりました。大人しく帰りますので、彼女から手を放してもらえますか?」

「……ふん!」


 ディーンは鼻を鳴らして手を引っ込めた。そのディーンの手には、リトに掴まれてできた鈍い痛みが残っていた。その痛みは、まるでリトの心の内にある怒りが焼き付いたようであった。


「分かったら、さっさと消えろ! 二度と来るな!」


 ディーンが捨て台詞を吐き、今度こそ扉を閉めた。

 リトとアルファは、しばらく扉の前で呆然と立ち尽くす。その心では、困惑と疑念が渦巻いていた。



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