第一章 2. 秩序と安寧の食堂
部屋を出て、長い廊下を歩く。
廊下の床には厚手のカーペットが敷かれており、足音を吸収してくれる。
すれ違う男性たちは皆、隼人と同じようなワークウェアを着ていた。
年齢は十六歳の若者から、六十歳を過ぎた年長者まで幅広い。
誰もが穏やかな顔をしており、すれ違いざまに軽く会釈を交わす。
「おはよう、隼人。今日も天気が良くて助かるな」
声をかけてきたのは、隣の部屋に住む、三十五歳の小林だった。
小林は温厚な性格で、趣味の電子チェスのライバルでもある。
「おはようございます、小林さん。今日の朝食、何でしょうね」
「管理メニューによると、今日は焼き魚定食らしいぞ。栄養バランスの計算は完璧だ。」
二人は談笑しながら、一階にある巨大な大食堂へと向かった。
天井が高く、ガラス張りの窓からは手入れの行き届いた中庭が見える。
中庭の上空では、白く美しい流線型のドローンたちが、音もなくパトロールをしていた。
食堂のカウンターに並び、自身のIDカードをかざす。
ピッと電子音が鳴り、隼人の体調と遺伝子情報に最適化された朝食が、オートメーションのトレイに乗って出てきた。
鯖の塩焼き、ほうれん草のおひたし、具だくさんの豚汁、そしてふっくらと炊き上がった玄米。
「本当に、この国に生まれてよかったですよね」
隼人は箸を動かしながら言った。
「食事の準備も、後片付けも必要ない。家賃も無料。病気になれば最新の医療を無料で受けられる。何も心配する必要がない」
「全くだ」小林が深く頷く。
「他の国では、男たちが飢えたり、仕事を探して彷徨ったり、犯罪に怯えたりしているらしいからな。」
「僕たちは本当に恵まれてますね。女性たちが僕たちを完璧に管理してくれているおかげですね」
隼人も小林も、その歴史認識に疑いを持っていなかった。
学校の授業で教えられた。
世界には日本以外の国々があり、違う民族が争い合っている。
だが、どこの国も、この「女神国家」に比べれば原始的で、野蛮な世界なのだと。
貿易のために外国人が日本に五箇所ある出島に来るが、彼らは許可なく本土に足を踏み入れる事は出来ない。
男性居住区のテレビやインターネットで見られるコンテンツは、すべて国が許可したものだけだ。
暴力、過度な思想、そして「女性を害する可能性のある情報」はすべて遮断されている。
世界史の授業はなかったし、社会の授業も、この日本という理想郷がいかにして成り立っているかというシステムの説明しかなかった。
音楽、体育、技術、数学、理科、国語。
それだけを学び、十五歳までの義務教育を終えれば、十六歳からはそれぞれの適性に合った労働に就く。
隼人に与えられた仕事は、高層建築物の構造保全だ。
重い資材を運び、ボルトを締め、ナノコーティングを施す肉体労働。
だが、隼人はその仕事に誇りを持っていた。
自分の筋肉と体力が、女神たちの住むこの美しい都市を支えているのだという実感があったからだ。
就職活動などという無駄な労力は必要ない。
国が遺伝子と適性を見て、最も活躍できる職場を割り当ててくれる。
だから、この国の男たちに「無職」は存在しなかった。
給料という概念はない。
その代わり、国から毎月十五万円分の電子マネーが、男たちの個人端末に振り込まれる。
家賃も食費も光熱費も医療費もかからない。
つまり、この十五万円は、買い物や娯楽に使える「純粋なお小遣い」なのだ。
誰もが現状に満足し、不満を持つ者など一人もいなかった。




