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それなら南棟三階どんつきの部屋  作者: 神空うたう


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9話 今日もお弁当の日。出来は上々


 望月は行動や表情が読み取りやすい。たとえば今なら『さて、今日はどこでご飯を食べようかな。あ、でも小雨が降りそう。研究室でいいか』あたりだろう。やたら可愛らしい弁当箱入りの巾着袋を出してきて窓の外を眺め、残念そうに眉を下げる。いや、望月だけではなく、朱夕も茜も透も、それぞれにわかりやすさがあった。


 宵宮もわかりやすい。眉間に皺を寄せ、冷めた目にへの字口が基本だが、こと『不愉快』に関して、一切隠す気はない人間だった。


 そんな宵宮が弁当を広げ始めた望月の机のそばに立ち、望月を見下ろしていた。

 お弁当を作ってこない時、望月は新人四人で仲良く食事を摂っている。宵宮も四人と一緒にではないものの、研究所の職員の大半が利用する一階のカフェや食堂で食事を摂っている。一人で食事しているのを時折目にする。なのに、ここにいる。

 お前達とは研究以外で関わりたくない、というスタンスの宵宮なので、休憩時間に関わってくる事はない。至急案件ともなればその限りではないだろうが、そこまで研究成果を急がねばならないものはない。研究所がすべてにおいて至急扱いで寄越してくる事で、かえってすべてが通常運行になっている。

 眉間に皺をよせ無言だが、研究についてのお叱りなら、昼休憩に入る前か、終わった後に来るはずなので、望月は首をかしげた。


「なにか、ありましたでしょうか?」

「……あれだ。前回の件」

「ぜんかいの、けん?」


 何に対しての前回か、望月は理解していないようだ。宵宮が顔をしかめる。


「それか?」


 指し示された弁当の中身を見て、そこで初めて望月は理解したようだった。表情が動いてわかりやすい。


「ごめんなさい、宵宮さん。これは甘い玉子焼きです」


 前にお弁当を作って持ってきた時に、別件の八つ当たりで怒った宵宮をなだめすかすのに、そんな話をした事を思い出した。次は甘くない玉子焼きを作ってくると。望月は綺麗さっぱり忘れていた。なにせ――



「すみません、宵宮さん。そんなに楽しみにしてらしたとは、思いもせず――」

「楽しみには、していない!」



 望月のぴょろんと跳ねた前髪が吹っ飛ぶかと思う勢いで怒鳴られた。


「俺は、面倒事をさっさとすませようと思っただけだ」

「面倒事……」


 酷い言い方だ。


 そもそもその時の話は怒りを逸らすための方便でしかなかったので望月は本気で口にしたわけではなかった。宵宮も迷惑がっていたのに。

 それでも宵宮は、律儀に約束を守るか嫌がらせかはともかくとして、弁当を持ってきたからには、望月が砂糖の入っていない玉子焼きを作って来たと思っていたらしい。

 それで、食堂に行かずに待っていたのかとようやく望月は納得した。


「そういう面倒な約束事は、経験則としてさっさと消化してしまうに限る」

「どんな苦い経験があったんですか」



 口にしてから、聞きたくないなと望月は思った。


「知りたいか?どれもろくな話ではない。あの老人から持ち出してくる約束はことごとくな?」

「ああ、千両博士との……」


 少しほっとした。



「まあいい。食わずにすむならそれで――」

「じゃあ明日、作ってきます」

「いらんと言っている」

「でも、この間もそんな感じでおっしゃった割に、私はすっかり忘れていたのに待ちわびていらしたようなので」

「忘れていただと!?あんなに恩着せがましく言っておいて!?いやそれより、俺は待ちわびてなどいない!……ああ、まあいい。何にせよこの一件はさっさとすませておきたい。明日で終わりにできるなら、そうしてくれ」


 お互い望んでいるわけでもないが、何やら不思議な流れで玉子焼きの一件は転がり始めた。


  ※   ※


「え?夜羽音さん、今日もお弁当なの?」


 望月が二日続けて弁当というのは初めてだった。透が、ちらっと朱夕と茜の方を見る。もしや女子の間で喧嘩でもしていて一緒にご飯を食べたくないとかそういう事では……そういうごたごたが始まるととても厄介な事になる。透は緊張していたが、察した朱夕がナイナイと小さく手を振った。察していない茜は、独自に解釈したようだ。


「え。もしかして夜羽音、ダイエットとか言い始めてるんじゃないだろうな。それなら食堂の飯の方がよっぽどいいぜ?」


 もちろん管理栄養士が確認済みのメニューであるし、この研究所には、それ系を研究している研究室が複数ある。……何かと手を広げ過ぎて、研究所でも管理しきれているのか不思議になるぐらいだ。


「そういうのじゃないけど。明日はいつもどおりだから」


 そう答えながら望月はちらりと宵宮の方を見た。宵宮はこちらの会話など耳にしていない顔で、休憩に入る前の進捗チェックをしていた。

 三人は特に気にした様子もなく、じゃあ後でと食堂に向かった。今日は天気がいいので、オープンテラスに出ると、気のいい研究者が集まって手持ちの楽器でセッションするのを聞きながら食事ができるらしい。明日も天気であってほしいと思う。


  ※   ※


「……ん」


 一応昨日約束はしているが、三人が研究室を出てしばらくしたところで、宵宮が自分の椅子を引いて望月の席のそばに座った。視線をかわすでも一言あるわけでもない慣れたそぶりが、宵宮の悪人面と相まって、危険薬物の取り引きめいて感じられた。雑誌で視界を遮って、ブツの受け渡しでも始めそうだ。


「あの、ではこちらを」


 宵宮はいっそそのぐらいスマートにすませたかったようだが、望月の方はやけにしっかりしたものを取り出した。巾着袋ではないが、トートバッグだった。


「なっ……何だ、この仰々しいものは」

「すみません。流石に予備の弁当箱はなくって」


 トートバッグから出てきたのは、弁当箱サイズの食品保存容器だった。普段なら多めに作ったカレーでも入れていそうな感じだ。


「流石にお重はやり過ぎかなと」

「当然だ。運動会でも始める気か。いや、玉子焼きの話だったはずだが?これは何事だ?」

「玉子焼きだけでお腹いっぱいになってもらおうと思うと、卵の使い過ぎだって新月お兄ちゃんに怒られると思って」

「だから、何故玉子焼きで腹いっぱいにさせようと企むんだ」


 がさりと宵宮がコンビニの袋を机の上に出した。研究所に来る途中で買っておいたらしいハムやレタスがたっぷり挟まれたコッペパンサンドとパックの牛乳だった。宵宮としてはこちらをメインとして、望月が作ってくるはずの玉子焼きを一切れか二切れつまんでそれで良しとするつもりだったらしい。


「ご飯に合う合わないという話だったのに、パンなんですか」

「気にするところはそこか?……元は貴様が言い出した事なのに作ってこないような奴だ。また作り忘れか、作ってきても甘い可能性も十分考えられたからな」


 だが、宵宮はそのコンビニの袋をいったん脇に置いた。弁当を作って持ってこられたのは誤算だったが、どちらを優先すべきかとなると、弁当だ。衛生管理が正しく行われたコンビニ食品は夕食に回せるが、手作り弁当を夕食にはできない。そもそも持ち帰ってまで食べるというのが大ごとだし、玉子焼きだけつまんで返すのも意地が悪い。望月に不満は多くあるが、食べ物に罪はない。



 割り箸を受け取ると、とりあえず本題である玉子焼きを食べる。


「……望月の家ではこういう味付けなのか?」

「いえ、うちは甘い玉子焼きなので。……一応ネットでレシピをいくつか調べて、美味しそうなのを選んだつもりですけど」

「そうか」


 じろじろ見られるので、居心地が悪い。


「……美味しいとか、美味しくないとか」


 作ってきたからには、評価が必要らしい。そんな話だっただろうかと宵宮は思った。


「比較できるものがない」

「なんですか、それは」


 そう言われても、男の一人暮らしでわざわざ玉子焼きなんて選んで作る事がない。規格品ではない玉子焼きなんて初めて食べたはずだ。


「仕出し弁当の、寒天みたいな玉子焼きと違って、柔らかく巻いてある。望月は工程作業が丁寧だ。温度や時間の管理が適切なので、応用が利いているのだろう」

「……」

「褒めている」

「もう少しわかりやすくしてください」


 所見を書いて、『優』とでもハンコを作って押して返せという事なのかと宵宮はうんざりした。そんな手間をかけたくない。


「……美味い」


 そこまで言って、ようやく望月は満足したらしいとわかった。表情がわかりやすい。それならさっさと『それを求めている』と、判断基準を寄越せと思った。煩わしい。

 ただご機嫌はいいようで、普段の甘い玉子焼きと違ってどう苦労したのかを聞きもしないのにペラペラと喋っている。宵宮は聞き逃している。研究であれば工程は重要だが、調理の苦労話はどうでもいい。結果がすべてだ。結果でいえば、この豚肉の炒めたものは好みだ。それを言えば、宵宮はますます機嫌を良くした。

 気のせいか、ぴょこんと跳ねた前髪が、尻尾か何かのようにピコピコ跳ねて動いて見える気もする。

 

「また作ってきましょうか?明日は無理ですけど」

「それはいらん。もうこれきりだ」


 人の作る食事は意外と美味しい。それを言えば食堂の食事も同じはずなのだが。ともかく、これで十分だ。義務は果たした。弁当――代わりの食品保存容器の中身が減っていくのは惜しいが、惜しいぐらいでちょうどいいと宵宮は思った。


 そこに。


「やあ皆さん。私も交ぜてもらってよろしいかな!?」


 弁当を抱えて、望月の兄、新月がやってきた。皆さんも何もない。ここには宵宮と望月だけだ。しかし、新月はその想定ではなかったようだ。


「なっ……なんだ!?コモ!お前、研究室の皆に弁当を作っていたんじゃなかったのか!?だから兄さんにも作ってくれたのではないのか!?」



 ややこしい事に巻き込まれた。宵宮は直感した。



 何も無くとも宵宮関係か望月関係では事をややこしくする新月だが、そこに事実が絡めば、どれほどややこしくなるかわかったものではない。


「皆にとは言ってないよ?『研究室の人に作るから、新月お兄ちゃんもいる?』って聞いただけで」

「どうして俺の名前を出さなかった」


 宵宮がげんなりした顔で口にする。


「そんな事言ったら、新月お兄ちゃん、絶対ああだこうだうるさいと思って」

「何だと、コモ!」


 新月が、猫が毛を逆立てるかのように跳ねた前髪を立てている。……この冗談のように跳ねた前髪は、夜羽音家の識別機か何かなのだろうか。

 それをピンピンと跳ねさせ、新月が怒っている。望月が懸念したのも当然だ。


「それがわかっていて、どうして俺を兄妹喧嘩に巻き込んでくれた?」


 研究室の皆、その中に宵宮が交ざっているのと、宵宮一人にだけでは話が違ってくる。その事実を知った時点で新月はそれを許さなかったはずだ。本来なら夜羽音家内で問題は終わっただろう。そして、『理由があるなら仕方ない』と、以降についても玉子焼きの件は反故にできたはずだ。


「おい、柊!どうして貴様がコモの――オレの妹の手作り弁当を食べているんだ!」

「『食べさせられていた』が正しい」

「宵宮さん、酷い!」

「そうだ、酷いぞ!こんなに素敵な弁当を!箸をつけたからには、きちんと最後まで食べろ!」


 勘弁してほしいが、あの三人が食事を終えて戻ってくるまでにこの騒ぎを終えておかないと、さらに事がややこしくなる。やはり弁当はこの一度きりで十分だと宵宮はため息をついた。


 ……美味しかっただけに、惜しい話だと思った。




※ 毎週【火曜日】【金曜日】に一話ずつ更新中。

  各話独立、続き物ではないので登場人物さえ覚えれば、多少読み飛ばしても大丈夫!


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