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それなら南棟三階どんつきの部屋  作者: 神空うたう


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8話 今日はお弁当の日



 宵宮が『ふざけている!』と言って千両研究室を出て行って、そろそろ十五分ほどだろうか。



 研究室内はとてもまったりしている。別にサボっているわけでもない。穏やかに、真面目に作業が続いている。キーボードを打つ音、時折分析機器の進捗を確認に席を立つ音が響く。休憩時間だと騒がしいが、業中は皆もいたって真面目だ。作業音などは普段と変わらないのだが、宵宮の発する圧迫感というか、温度感は、やはり心臓に良くない。


「平和だねえ……いつもこうだといいのにね、ねえ、もっちー?」

「えっ……?ま、まあ……皆がいても雰囲気がこうならいいなとは、思うけど」

「それは無理だろ。柊がいる限り」



 本日宵宮が委員会に呼ばれているのもその件だ。もちろん宵宮を呼び出す委員会は、ハラスメント委員会であり、パワハラ案件である。



 昨今の世の流れにも関わらず、これだけ頻繁な呼び出しを受ける人間がどうして在籍を許されているのかとも思う。しかし柊宵宮は、世界的に有名でもある千両玲斎を後見的立場に持ち、宵宮自身も研究結果だけを見ればすこぶる優秀だった。優秀ならばどんな態度を取り、物の言い方をしても許されるのかというと許されるわけでもないので、委員会から呼び出しを食らっている。それでも処分としては甘い。


「研究所も研究所で、どうして柊さんを共同メンバーに入れるんだろう……」


 各研究室から代表を出せとなると、千両研究室で実際に動ける研究者は新人四人と宵宮だけなので、宵宮が参加しなければならないのはわかる。

 しかし、今回は外部発表に関わる選抜メンバーだったはずだ。よりにもよって宵宮を選ばなくてもよかったはずなのに。


「夜羽音みたいに緩衝材になってくれるメンバーがいたんだけど、ソイツの研究室でなんか起きて、そっちの対応でメンバーから抜けたせいで、柊の『通訳』がいなくなったんだってよ」

「あー……それは燃えるねえ。大炎上だねえ」

「そこの研究室の研究か選抜研究かの二択で研究室の方を取ったんなら、責任はその判断を許した研究所の方だろ」


 茜ですら、もう宵宮の取り扱いはそうなっている。宵宮は『ああ』なのだから、まわりがなんとかしないと『そう』なるに決まっていると。


「つまり、私達が穏やかに研究できるかどうかも、もっちーにかかってるって事だね。もっちーの責任は重大だね」


 朱夕が過大すぎる責任を望月に押しつけたところで、ピピーと機材のアラームが鳴った。透がほくほく顔で機材の方に向かう。二度目なので、今度こそ予想通りになっているはずだと楽観的解釈をしているようだった。透の分析が終わったという事は、昼の休憩も間もなくだ。逆算して分析にかけていたのを覚えている。


 皆がそう思っていると、研究所内の軽やかなアラームが鳴る。

 なんでも研究所の研究員の誰かが趣味で作っているらしく、季節に合わせて色々変わるそうだ。今後の変化が楽しみである。


  ※   ※


「さあ、飯だ飯!」


 茜がディスプレイに職員証をかざしてロックをかけると、それをくるくる振り回して扉に向かおうとする。


「前!黒鉄さん、外に出るなら、前を留めて!」


 透が慌てて注意する。もはや慣れてしまって宵宮ですら注意をしなくなったが、黒鉄のファッションはなかなか奇抜である。研究員全員に着用を義務づけられている白衣とダサいスニーカーこそ着用している。だが、それ以外は大衆紙のグラビアでも今時お目にかかれない刺激的な格好だ。


「なんだよ。今さら誰も驚かねえって」

「下のカフェか食堂に行くんでしょ!?外の人も来るんだから!」

「うっせえなー!」


 とはいえ、しばらく前、見学にきた高校生の一団と鉢合わせした時気まずい思いをしたため、茜も渋々白衣のボタンをすべて留めた。



「……かえってエロく見えねえか?大丈夫か?」


 どういう心配だろうか。いやまあ、その不自然さに何かしらの神秘が隠されている感も無いではないが。



 茜の例は異例ではあるが、この研究所は雑多な分野に手を出しているが、全研究室一律で白衣着用義務が出ている。『とりあえずその格好さえしてくれていれば、研究者としての体裁は保たれるはずだから』という研究所の苦肉の策でもあるのだろう。毛むくじゃらで、白衣を着ていなければ不審者にしか見えない研究者もいる。研究者どころか博士だ。……なお、白衣を着ていても不審者にしか見えないなどと、研究所幹部が悲しむ事を言ってはいけない。


「あれ?もっちー、今日はお弁当?」

「うん。だから今日はゆんゆん達でどうぞ」


 可愛らしい巾着袋を望月は取り出していた。望月は時々、お弁当を作って持ってくる。


「たまには皆でお弁当の日とかもいいかもね」

「はー?やだよ、めんどくせえ」

「じゃあ夜羽音さん。僕達は食べてくるよ」

「うん、いってらっしゃい」


 ひらひらと手を振り、望月は三人を見送った。


  ※   ※


 時折気分転換にこうして弁当を作って、一人で食べる事がある。場所もまちまち。オープンテラスで食べる事もあれば、食堂で食べる事もある。……屋上については、複数のお化け情報を得てからは、若干足が遠のいている。

 今日は――少しキョロキョロあたりを見回してから、研究室の脇にある長椅子で食べる事にした。普段ならここは宵宮の定位置である。休憩時間はもっぱらここで、長い手足を投げ出している。宵宮ですらゆっくり寝ころべるぐらいの大きな長椅子だ。他の研究室にはないので、備品ではないだろう。この大物をどうやって運び込んだのか謎である。


「……ふふっ」


 フェイクではない本物の皮張りという豪奢な造りで、端の方に座るとまだミギュッという鈍い音がするが、宵宮が身を任せるあたりは、皮が馴染んでいるのか音がしない。今日はその、ど真ん中に座ってお弁当を広げる。なんだか偉くなった感じがする。


 宵宮は食事から戻ると、休憩時間が終わるまではここに寝転んでいる。……たいていは食事を終えた望月達のお喋りに耐えられなくなり、注意が始まるあたりで昼休憩が終わる。

 この長椅子は宵宮がよく使っているだけで宵宮のものではないはずなのでもちろん望月が使ってもいいはずだ。それでも緊張感というか、なんだか『偉くなった』感じが出てくる。これが宵宮の視界なのかと。宵宮は寝転んでいるが、ここからだと普段望月達が集まってお喋りしているあたりが良く見える。


  ※   ※


 なんだかほっこりしながら玉子焼きを食べ始めたところで、乱雑に扉が開けられる音が響いた。

 長椅子の主、千両研究室の副室長、柊宵宮の御帰還である。


 お説教帰りなのがよくわかる、いつも以上の不機嫌顔だった。


 入って長椅子に直行しようとしたところで、望月という先約と目が合う。宵宮が口元を歪めた。望月がヒッと小さく声を上げかける。とはいえ宵宮も、その長椅子が千両博士の私物である事は重々承知している。占有権を主張するつもりは無い。

 本館から南棟に向かう途中の自動販売機で購入した、ペットボトルのお茶と栄養スティックバーを自分の机に放り投げるように置くと、椅子を引いてそれを食べ始める。普段であればカフェなり食堂なりですませるが、不愉快な時間を過ごした後で騒がしい音にまた囲まれたいとは思わなかった。


「おい、望月。今日は天気がいいぞ」


 望月は基本的におとなしい。そもそも一人でペラペラしゃべるタイプでもないし食事中ならなおさら騒がしくもならない。それでも苛立っている今、休憩時間にまで他人の存在を感じていたくない。『外で食ってこい』という追い出しの言葉である。普段なら望月は新人四人組でかしましく食事をしているので、戻ってくるまで宵宮は一人で過ごせるつもりだった。

 望月は察しがいい。『そこにいては邪魔』というのはすぐに気づいたようだった。しかし、少し鈍い。



「えっと……じゃあ、宵宮さん。どうぞ?」


 望月が長椅子の端の方にすすすと位置をずらしていた。



 それで配慮しているつもりというのが、宵宮には癇に障る。仲良く並んで食事でも摂れという事か。そこまでするなら望月こそが自分の席に戻り、完全にその長椅子を明け渡すべきだと思った。――が、流石にハラスメント委員会から指導が終わって十分とたたずにそれを口にする横暴は堪えた。


「そういう事ではない」

「じゃあ……食べます?」

「なおさら違う」


 望月が傾けて見せたお弁当は、育児雑誌で紹介されそうな、お弁当らしいお弁当だった。彩りと栄養バランスも良さそうだ。きっと写真に撮ってやたらテンションの高いコメント付きでネットに流し、承認欲求を満たしているのだろうと宵宮は偏見だらけの感想を持つ。


「それだけでは、お腹がすくと思いますけど」

「全部食えば、むしろ栄養過多だ」


 空箱を望月に投げて寄越す。……こういうところが問題行動だと思う。ため息をついて隣に落ちた空箱の栄養表示を見る。


「……これだと栄養、片寄りますよ?」

「真面目に見るな。嫌味か?」


 これで嫌味なら、宵宮の嫌がらせに何と反論すればいいのか。


 望月は、ゴミの嵩が少しでも減るようにと空箱を開いて平らに伸ばした。上からの圧が強いのは望月の兄の新月と同じなのだが、方向性が違って、今一つ宵宮を掴みかねている。

 それでも宵宮と望月はすぐそばの机だし、日中の作業のほとんどは宵宮に関わる事なので、仲良くするに越したことはない。性格と言動さえどうにかなれば、宵宮も素晴らしい研究者である事を望月は知っている。多分、『ロボ宵宮』が最適解な気がする。もちろん暴走AI搭載ではなく、三原則とかあらゆる要綱を厳守してくれる『ロボ宵宮』だ。……そうなると、宵宮である必然性もなくなりそうだが。

 望月が、唇を尖らせ、恨みがましさを込めて宵宮を見る。


「なんだ」

「私、学校で千両博士にお誘いいただいた時、嬉しかったんです」


 進路について悩んでいた。望月は色々あったので、とりわけ。『テレビでよく見るすごい博士』から直々に声がかかったのがまず嬉しかった。兄の新月が千両博士がどれだけ素晴らしいかを常日頃語っていたのもある。


「それはそうだろう」


 当然のように宵宮が答える。宵宮と新月は仲が悪いが、千両博士に心酔しているのは同じだった。心酔の点の指摘をした時の反応が二人で正反対なのが面白い。まあ、二人に限らず、研究職にあれば千両博士と同じ研究室に在籍できる事が喜ばしいのは当然だ。

 けれど望月の場合はそれだけではなく――


「で?なんだ」


 宵宮が鼻で笑って見せる。こういう態度を誰にでもするから、問題児扱いされている。


「そんな話を今、わざわざ持ち出すのはどういう了見だ?『しかし、俺がいる事で幻滅した』と言いたいのか」



 そうだ。がっかりだった。宵宮がこんな人だったとは。

「……はい」


 望月は、とりわけがっかりしたのだ。



「は!?……貴様らは『新人だから暴言も甘く見てもらえる』と勘違いしているな!?」


 宵宮が騒いでいるのを横に、望月は食事を再開した。真面目な説教であれば膝を正して話も聞くが、望月のとどめの言動はともかくとして、宵宮のこれは明らかに言いがかりや八つ当たり、あるいはガス抜きである。

 新月で慣れているので、望月はそのあたりのバランス感覚はいい。

 そうでなければ一月どころか一週間ですら望月は持たなかっただろう。望月だけでなく透も性質としては穏やかだが、透は本当に『いい人』なので、宵宮相手に真正面から対峙すると、おそらく心身がもたない。望月が防波堤になるのが、やはり一番いいのだろう。

 ひととおり叱責し終えたのか、宵宮が肩で息をついている。宵宮も宵宮で聞き流されている認識はあったようだが、自身の感情を抑えきれている訳でもないと自覚はあったため、しれっとした顔で次々箸を運ばれてもそれを咎めはしなかった。


「……食べます?甘い玉子焼きはお好きですか?」


 少しずれた反応。これはわざとだった。


「――甘く煮込んだ煮物とか、ご飯に合わないおかずは好かん」

「なら、次は砂糖なしの玉子焼きにしておきます」

「そんな話ではなかっただろう!?」


 そこで扉があく音がした。


  ※   ※


「あー!柊副室長、またもっちーいじめてるー!」

「昼からまた、本館で説教してもらってくるか?」

「三暁洞、黒鉄……貴様ら……」


 透は自分は関係ないもんねと、こそこそ自分の席に着いた。


「はい、ごちそうさまでした」


 お行儀良く手を合わせた望月が弁当箱を巾着袋にしまい、三人の席に交ざる。荷物置きにされている大谷部の椅子を引いて座ると、いつものように四人でお喋りを始めた。


「……」


 ハラスメント委員会は、『今年は千両研究室からまだ退所者が出ていない。例年に比べて丁寧な指導ができているのだろうから、それを他の研究室員にもしてほしい』と午前中宵宮に説教、あるいは懇願をした。宵宮は春の間は『これでも』かなり抑えた言動を心掛けている。毎年そのつもりである。しかし。

 根本的にこの四人は図々しい、ふてぶてしい。

 この四人は他の研究室でも上手くやっていけるだろう。だが、問題が無いわけではないのではないか?問題があるのははたして俺だけか?と、宵宮は今一つ委員会の認識について、納得できかねた。


 


※ 毎週【火曜日】【金曜日】に一話ずつ更新中。

  各話独立、続き物ではないので登場人物さえ覚えれば、多少読み飛ばしても大丈夫!


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