6話 研究所のモテ男
「すまないが、大谷部氏はいるか?」
望月の兄、新月が千両研究室に顔を見せる時は、たいてい宵宮絡みとなるため喧嘩腰だ。なので皆もイヤホンを準備するなど、対策を講ずる。だが今回は違ったようだ。
「大谷部さんなら、見てませんよ?昨日なら立花さんが来ていたんで、いましたけど」
「となると、北棟か。北の奴らが使っているだろうし、無理だな。わかった。ありがとう」
透が答えると、新月が物腰穏やかに応える。宵宮相手でなければ、新月はいたって好青年なのだ。望月の兄だけあって、線が細い美青年。世の中にはこういう人が本当にいるのだなあと、透でも見惚れてしまう。
「あ、もし荷物運びの手がいるなら、手伝いますよ?」
「いいのかな?君の手を止めて」
「僕の使いたい装置、ちょっと先約があって。どちらにしても手が止まるから、大丈夫です」
それならそれで、いくらでもする事はあるだろうがと宵宮には言われそうだが、よその研究室と仲良くしておくのも大切とも、何かの時に言っていた。
隣の研究室の手を借りなければならないような大きな研究はまだまだ先だろう。隣は最新の機器が所狭しと並んでいると聞いていて、それは廊下からでも時折目にした。間近で見てみたい。手伝いに行けば、それも叶うかもしれない。
透は宵宮に荷物運びに協力したい旨を報告した。
宵宮と新月は仲が悪いが、しなくていい喧嘩をするほど暇でもない。
「そうか。好きにしろ。せいぜい恩を売ってこい」
「では、お手伝いに行ってきます!」
「ただ――向こうが使っているのは精密機器ばかりだから、持ち運びは細心の注意を払うように。何かあったら、隣だけでなく、研究所内の研究室全部を敵に回すぞ。当然、俺もだ」
「えええ……」
軽く脅されて派遣される事になった。
隣の研究室に行きたがる者もいたが、最初に大谷部の所在を聞かれたからには、男手が必要そうな力仕事になるはずだ。大谷部は小型重機のような人間である。透ではたして力になれるか。
「……君達はよくやっていると思う。結局はあの男の支配の元で日々を過ごしているわけだから。もし何かあれば、すぐに委員会に報告するように」
研究所内には様々な委員会があるが、宵宮関係の場合、ハラスメント委員会だろう。
なんなら、ハラスメント委員会から千両研究室の四人には、個別に聞き取りが数度行われていた。
新入研究員に随分手厚いフォローだと思っていたが、他の研究室ではそんな聞き取りは行われていないと他配属の同期から聞いて、透は驚いたものだった。
宵宮はよほどの『前科』があるらしい。まあ、あの調子では納得である。
「……妹は、大丈夫だろうか」
後輩達はもちろん気にかけているようだが、やはり新月が気になるのは望月らしい。
「夜羽音さんは、すごいと思いますよ。僕だとああは上手く立ち回れません」
望月は、千両研究室に四人が配属になった時に、席決めのくじ引きで、ハズレ――千両玲斎博士の愛弟子と誉れ、あるいは悪名高い、柊宵宮のほど近い席になってしまった。
透達新人三人の席が固まっているので、望月だけ島流しめいてしまっている。
あの時も気の毒にとは思ったが、今となってはなおさら、席を替わってあげる事はできない。
研究室の慣習なのか、宵宮の気質によるものかはわからないが、宵宮の研究作業の準備や雑事を指示される頻度も多く、四人の中では一番忙しそうにしている。
宵宮は指導はするものの、人間は一度言えばそれでできるものと、勘違いでもしている節がある。さらに要求水準が高い。
望月に対して『手際が悪い』と眉をひそめている顔をよく見る。だが、それが望月ではなく透であれば、眉をひそめるどころではすまない段取りしかできないだろう。望月はかなり優秀なのだ。
「千両博士の研究室に配属となったのは、私ですら羨むところだが、あの男がいる事だけはどうしても解せない。私こそがお仕えすべきなのだ。ああそうだ、どうして奴が。私の方が絶対に千両博士のお力になれる。オレは認めん……!」
また始まった。とは、共に荷物運びをしている隣の研究員の同期。
新月は元々千両博士に心酔してこの研究室に入ったらしい。ただ、異動時期のたびに千両研究室への転属願を研究所に出しているがそれが果たされず、それもこれも宵宮のせいだと新月は憎しみを深めているらしい。
新月であれば宵宮が何を言って来ようと潰されそうにないが、あの応酬が二日に一度どころか毎日毎時間となれば、共に過ごす研究員の方が参ってしまうだろう。
研究所の差配は抜群に正しいと言える。
※ ※
大きな機材でも運ぶのかと思って来たのだが、分析用の消耗品の運搬らしい。しかし、ひと箱ひと箱がかなり重い。以前夏休みに臨時で入った引っ越しのバイトを思い出す。
透もだが、それぞれに運ぶ研究員達も箱を抱えてひいひい言っている。研究員は、地味で神経を使う作業を行う持久力は持っていても、単純な力仕事に傾ける筋力はない。何かを得る――いや、維持するために、何かを失わねばならないらしい。悲しい。
大谷部であれば二つ三つ軽々運んでしまいそうだが、常人はそうもいかない。
「……」
「あの……大丈夫ですか?夜羽音さん」
「……ああ」
――駄目そうだ。
新月は、壁に箱を押し付け小休止を取りつつ運んでいる。あのひと箱すら運びきれるか怪しい。性別が違うとはいえ、望月と面立ちが似ているので、ひどく可哀想に見える。
望月と同じようにぴょんと跳ねているはずの前髪が、今はぜえはあ息をつくのに合わせてしおしおしんなりと垂れ下がっている。
そこに、野太い声が響いた。
「何だこりゃ。何の労役だよ。邪魔にならない廊下の隅に置いといてくれたら、おれが運ぶぜえ?」
「大谷部だ!」
「大谷部さんだ!」
救い主の降臨を目にした研究員達は目を輝かせていた。差し込む日の関係で、後光を背負っているようにも見えるし、まるで何かの絵画にでもできそうな状況だった。透も、荷物を持っていなければ祈りを捧げていたかもしれない。
※ ※
大谷部は、荷物を持っている事を感じさせないほど、ひょいひょいと廊下と搬入倉庫を往復していた。階段で。何と頼もしい。あっという間に片付けてしまった。
「感謝します、大谷部氏」
まだ新月に血の気は戻ってきていないが、しおしおになっていた前髪の跳ね毛に張りは戻っていた。取りすました礼を言える程度の元気が戻ってきているようで何よりだ。
「なあに、いいって事よ」
新月の背の高さはわずかに透より高い程度だが、ほっそりしているので透より華奢に感じる。
そんな新月と並んでいるので、背の高さも身の幅も厚さもある大谷部はより大柄に見えた。昔のゲームによくあった、囚われの姫と怪物のようだった。
※ ※
「たまにゃあ顔を出しとかねえとよ。特に今年は新人も多いし。おれとしてはもっと頻繁に顔を出してやりたいんだけど、いかんせんモテてモテて……」
荷物運びを終えて隣の千両研究室にやってきた大谷部は、あっはっはと笑っている。
この『大谷部鋼志』はいかつい見た目に反してとても快活、朗らかである。パッと見が強面なので、そのギャップでよけいに愛嬌を感じる。
千両研究室配属当日に全員が顔合わせした時、透は大谷部が一番怖い人だと思っていた。それを笑い話にできるほどだ。大谷部はまったく研究者らしくない。
……実際、研究をしているところを見た事がない。
籍は確かに千両研究室にあるのだが。
もっぱら今回のような荷物や機材運びといった『なんでも屋さん』的な事をしている。普段はといえば、千両研究室のある南棟ではなく、北棟で、身体データがほしい研究室のデータ提供者として活動している事が多い。『引っ張りだこでモテモテ』なのである。
今日もその帰りなのだろう。
塩素の匂いがするので、プールで泳がされていたようだ。
「けどよ、おれのこの肉体美がどうも磨き上げられすぎていて、これ以上となると、データの想定域から超えるって言われてよ」
宵宮がうんざりした顔をしている。大谷部の声は低くてとても響く。
「当たり前だ。管やセンサーを付けながら、三十六時間走り続けられる男を『成人一般男性』にしたら、データが狂う」
「なんだよ。あれは、宵宮が行かねえって言い張ったから、代わりに俺が行ってやったんだぞ?」
「成人一般男性に三十六時間走り続けさせるという前提が、まず研究の根本として間違っているだろうが!無視するべきなんだ!」
ここの研究所は、方針に従って研究者を集めているのではなく、研究者が集まってめいめい研究をやっているので、てんでバラバラな研究が各棟どころか各研究室で行われている。お隣さんがまったく理解不能な研究をしている事はままある。まるきり分野外なので、周囲を気にせず心穏やかに研究ができるという者もいれば、協力や相談を取りつける相手探しに一苦労のなんのと頭を悩ませている者もいる。
透達は、高い志や目的があるわけではないので、『まずは色々やってみたいなあ』という、子どものような感想と発想でとりあえず今は学んでいる最中だ。
宵宮は『気楽なものだ』と冷笑しているが、それならそれで自分の都合の良いように使えるとしている。
……千両博士が手当たり次第で『専門』分野とは?と宵宮が愚痴っている事は多いが、透からしてみれば、宵宮も何が専門分野で何をやっているのかよくわからない。
知識が増えれば、見えてくるのだろうか。
「今日は立花がいない日だぞ。さっさと帰ってやれ」
「なんだよ、飲み行こうぜ、飲みに。あ、飯の方がいいか。こいつら連れて」
大谷部の言葉に、新人四人が目を輝かせる。
「好きにしろ。俺は知らん。飲み代が足りないなら多少は出してやる」
金で解決しようとしている。まあ、宵宮の顔を見ながらでは、美味しいご飯もやや味が失せようか。
「なんだよ。可愛い後輩達じゃねえか。もっとかまってやれよ。おれは、全員が一月持つとは思わなかったってのに」
「……ずいぶん儲かったと聞いたが?」
大谷部のがしっとした指が、ピロピロと時間稼ぎのように動く。
「――俺が賭けたのは男気だぜ、宵宮。口ではそう言いつつも、お前が甲斐甲斐しく四人を導くと、信用していたわけだ」
「やはり貴様が全額出せ。飲みであろうと食いであろうと、すべてお前一人でどうにかしろ。一月このひよっこどもの育児で疲れた上に、酔ったお前のリサイタルなんぞ、聞きたくもない」
※ ※
結局、宵宮不在で始まった食事会は、やたらと心配して連絡を入れるだけにとどまらず迎えに来た新月が加わり二次会にまで及んだ。
食事会というより、柊宵宮に関する悪口大会だったが、まあ……楽しい会にはなった。
※ 毎週【火曜日】【金曜日】に一話ずつ更新中。
各話独立、続き物ではないので登場人物さえ覚えれば、多少読み飛ばしても大丈夫!
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