5話 主の御帰還
「ほれー、おみやげじゃぞー」
さて、今回は何日ぶりだろうか。
千両研究室の責任者、研究室長の『千両玲斎』博士が久々の御帰還である。
もはや灰白と言っていい長めの白髪に口髭。趣味で喫茶店も開いていそうなお洒落で博識そうな――博士っぽい博士である。しかし、ひょろっと細い体つきの割に結構なパワフルさ。今も両手に土産がいっぱい詰まった紙袋を二つずつ持っているし、首から何か下げている。
千両博士の机は贈り物や、各種献本などが山と積まれている。整理され、緊急性のないものだけでこれである。置く場所がないのでは?
「宵。宵宮。のけろのけろ」
「嫌ですよ!自分の机で店を広げてください!」
宵宮は顔を顰めているが、卓上の書類をまとめ、キーボードを立てかけ、場所を確保している。一応紙袋のまま置かれたので、惨事にはなっていない。
テレビ局で何かの番組に出て、その足で海外でなんぞやの講演を梯子してきたらしい。スケジュール管理はお任せなので、千両はなかばミステリーツアー感覚で動いている。お土産についても、テレビ局のマスコットぬいぐるみや、乗り換え空港も含めた各国の美味しいお菓子と、節操がない。
「宵。立花君は?」
「今日は研究室の出勤日ではありませんよ」
「ありゃ。しまったのう。大谷部君は?」
「北棟で走ってるか飛んでるんじゃないですか?まあ、元気でしょう」
「ならこれは、立花君が無理なら、大谷部君経由で」
海外のブランドロゴが見える。研究所から正当な給料が出ているとはいえ、日々かけている迷惑を考えれば、これでは足りない気もする。わざわざ買って来ているのだから、本人からのリクエストだろう。いくら千両博士がテレビ受けするお洒落老紳士でも、若い女性のセンスに合わせるのは無理がある。とはいえ、『オウ、センリョー!』と世界でも名の知れている博士に『わかりましたか、博士。読めますね?復唱してください。……はい、そのとおりです。無ければ無いでいいのです。無事でご帰国いただければそれで。代わりの物で埋め合わせをしようとしないでください。それは望んでいません』――と、お使いを頼むのは、立花百合香ぐらいのものだろう。
しかし、大谷部鋼志経由を選択肢に入れていいものか。
「奴は、用がないと来ませんし、立花にしか用のない奴ですよ」
「大谷部君は、美味い匂いをさせとりゃ、来るじゃろ」
意外とそれで来るのが腹立たしい。
※ ※
横では茜達がお土産のお菓子の包装をバリバリめくって食べ始めている。まだ終業時間には間があるのだが。宵宮が睨んでいるが、向こうは気づかないふりをしている。
……と、数が少ない。三人だけだ。
こういう時に、きゃらきゃら笑って交ざっている朱夕がいない。
……宵宮と千両博士の方をちらちら見ている。こうして大人しくしていると、日本人形のようなしとやかさがある。……一歩間違えれば、わらべ歌になぞらえた連続殺人事件が起こる村か因習村で、社のそばにたたずむ双子。夜中には会いたくない。
「あのう……」
朱夕は少しだけ迷って、宵宮に紙束を差し出した。おや、と千両が目を向けるが、口髭をひと撫ですると、位置を朱夕に譲った。朱夕が千両に軽く会釈をしてからあらためて宵宮に口を開く。
「データが出たんだけど、絶対こうなるはずじゃないデータが出てるの。わかりますか、柊副室長」
「まず、『絶対こうなるはずじゃない』とはどういう事だ。それがわかっていて、何がわからん事がある」
「えー?だって、おかしいんだもんー」
「感覚で話すな。おかしいというなら、おかしくなったところからまず見ろ。……まさか、この紙束全部、俺に目を通せというんじゃないだろうな?」
「だって、前におかしいところだけ持っていったら、『これで何がわかる!』って突き返したじゃん」
ダブルバインドであると文句を垂れている。
「前後関係がまったくわからんデータを、ご丁寧に一行分だけ寄越して理解せよという方が、どうかしている。三暁洞は俺を神か何かと思っているのか?畏れ多い事だ」
「もっちーや、あかねっちや、とおるんとも午前中ずっと考えたんだけど、どうしてもわからなくて」
「そこまでやってか――待て、望月?望月には俺の作業を指示しておいたんだぞ?アイツ、何をやっている!?」
今でよければ、海外土産の、馥郁としたバターの香りたっぷりな何かをレンジで温めて食べている。茜や透と一緒に、三人で口をもごもごさせていた。幸せそうだ。
「急ぎじゃないから大丈夫、って、もっちー言ってた」
「……その判断を、奴がしたのか。ほほう、そうか」
「もっちーを怒るのは、この謎が解けた時にして」
「それはなんだ、三暁洞。海外ではそう教わるのか?」
ひと睨みするが、朱夕はそれを無視してがばりと紙束をめくる。
項目ごとに数字がただただ並ぶ紙束の、中ほどのページ、紙面の三分の二ほどのところから、不自然に桁が三つほど増えたうえで推移を始めている。そりゃあ『絶対こうなるはずじゃない』ともなろう。
「何だこれは。こんなの、ここで試料を間違えただけじゃないか?」
「同じ試料使ってるのに変わってたら、マジックだよ」
勘違いではないのかと宵宮は言いつつ、不自然な変化を起こしている前後のページを含めて見返している。
いきなり新しい事をさせずに、過去の研究成果の再現を指示していた。宵宮も過去に同様、再現した事もある。こんな変化は起きなかった。使用した試料や装置、状況について確認を行う。予定通りに行えているようだ。何か隠しているようにも見えない。
「それでどうして跳ね上がるんだ……?」
「呪われているのかな?わたしの才能を羨んだお化けとか?」
ずいぶんな余裕である。
「南棟は、屋上や二階ならともかく、三階に出るお化けはいない。三階で出るのは本館だ」
「えっ、ちょっと今のそれ何!?」
「うるさい、黙っていろ」
「黙ってられないって!」
朱夕が騒ぎ出したが、それを宵宮は無慈悲に押しやった。
数値変化とその前後も含めてパラパラとめくる。前後で推移は想定どおりだ。だが、朱夕が指し示したそこで基本値だけが加算されている。この加算さえなければ、再現できている。いや、加算されている時点で再現も何もあったものか。
「宵、宵宮。それに三暁洞君。儂もいいかの」
「いいんですか!?」
思わずそう答えてから朱夕がはっと宵宮を見る。苦々しい顔をしているが、宵宮は紙束を整えてから千両博士に差し出した。
「……お願いいたします」
「別にかしこまらんでも」
そう言いながら千両が受け取ると、その紙束をさばいた。パラパラ漫画でも見るようにバラバラバラっと重力の助けを借り、勢いよく弾く。千両の細い前髪がふわっと持ち上がった。
それを都合、四、五回。
「んー……なんかこのへん目に引っかかるが、どうじゃ?」
数値の変化が起きている数枚前を大きく開いて、宵宮と朱夕の方に向きを変えて差し出す。
「あの。目に引っかかる……って何ですか?はかせ」
「んー?……なーんかおかしいのー、としか」
感覚で言われてもわかりません、とはとても言えなかった。おかしいと思えないのがおかしいのだろうかと、朱夕は肩を落とす。宵宮は、変化の起きているページ前後に加えて、千両から指摘のあったページにも指を挟んで繰り返し見返している。口元に手をやり、ぶつぶつ呟いているが、聞き取れない。聞き取れたところで、朱夕に意味が理解できるかどうか。
――と、宵宮が舌打ちをすると、机の引き出しを開いた。
マーカーを取り出すと、タッタッタ、と数か所チェックマークを入れる。それから痛恨の極みといった表情をしていた。
これは相当怒られる。かなり基本的なところでヘマをしていたと見た。朱夕は覚悟した。
「――っ。……三暁洞。説明が不足していた。これは――環境の問題だ」
「へ?」
宵宮が、研究室の窓辺を見る。その視線を追ったところで、千両も『ああ、そうじゃったそうじゃった!』と手を打った。さっぱりわからない。
「……今の季節、ごく数日間、わずかな時間だけだが、日の差し込み方が機器に干渉する。カーテンを全開にするか、完全に閉め切っていれば何ら問題はない。だが、半端に閉めていると、光量が一定範囲に集束して、数値が加算されてしまう……」
マーカーでひいたのは計測数値の他に、計測時刻。
とある時間帯から八分三十五秒後。
そこで数値が跳ね上がる。どの程度跳ね上がるかはその時のお日様のご機嫌にもよるが、跳ね上がっただけで以降の数値は想定通りまた推移するのだ。
数年前に三日かけてようやくこれを突き止めた時、宵宮は吐きそうになった。計測者本人は、そのあと三日、寝込んでいた。
「ちょうどその時間その条件でたまたま計測かけとると、おかしくなるんじゃった。じゃのう?宵宮」
「俺の時に何の問題もなく再現できて、どうして同条件で変化が起きるんだと、それを突き止めるまで、他の奴に巻き込まれて三日ほど足止めを喰らった……」
「……え、じゃあ、わたしは悪くないって事?」
「儂らはもう慣れとるし、その時間にはあれを使わんよう体に染み込んどるからのう」
本能的に忌避してしまうため、意識して注意していない。よって、注意指導項目から抜けていた。
ちなみに、宵宮達の時までは原因がわからなかったため、計測前にやれお神酒が必要だ、お菓子を供えておく方がいいと、歴代研究員達が指導ではなく言い伝えを残していた。
機材が重い上に、この研究室内では動かす先も無いし、年に数日、数時間だけの事。普段はまったく気にしなくてもいい事なのだ。こんな特殊な環境、この研究室以外では起こりえない。
「まあ、ある意味再現できたという事じゃ!三暁洞君、ようやった!」
「えー?」
「……それについて対策報告を共同で書いたのは俺でした……」
今さらこんなヘマをと、宵宮はかなり気落ちしている。
「三日のところが五分で終わったのなら大躍進じゃな!」
ばっしばっしと千両が宵宮の肩を叩いている。
「やったー!じゃあ、これはもう終わりって事で!」
「そんなわけあるか。計測し直しだ、計測し直し」
「えええー!?やだー、もー!」
「……ただ。もう、今日については勘弁してくれ。明日――明日なら……」
宵宮が朱夕の紙束でマーカーをつけた場所。特に日時をうんざりした目で確認する。
「明日の十四時三十七分前後を挟んで、全員に情報共有と指導する……すみません、博士。大変失礼をしますが、五分でいいので、横にならせてください……」
「おうおう、五分でも十分でも」
ふらふらしながら、研究室の隅の豪奢な長椅子に宵宮は倒れ込んだ。ずいぶん精神的なダメージが大きかったようだ。
※ ※
「おい、どうしたんだ、柊の奴」
「そっとしておいてあげた方がいいかもしれない。それより皆!これ、原因わかったよ!はかせ、すごいんだよ!?パラパラパラーってね――」
朱夕がもたつきながら紙束をばらばら動かして説明する。
※ ※
「……うーん。儂、人の手柄を横取りするのは、好かんのじゃがな。背中刺されたくもないし」
宵宮がうつ伏せでへばっている長椅子の隅に、よっこいせと、千両博士が座る。
「何が手柄だ。まったく気づいていなかった俺に、何の手柄があると」
「儂は、なんかこのへん、引っかかるのー?ぐらいしか思わんかったからの。気づいたのは宵じゃろ。ズバリ示して説明できとれば、儂、ちょーカッコよかったじゃろうに」
「御謙遜を。あれだけ明確にヒントを出されて気づけなければ、俺は大馬鹿者ではないか」
「宵宮よ……お前、謙虚なんじゃか尊大なんじゃか、ようわからんのう?」
顔を見せずにふて寝のようにうつぶせている宵宮の頭を、千両は、ぽんぽんと――撫でるというか叩くというか、あやすというか。
「おお、そうじゃ。宵」
「……なんでしょう」
「お前さん、皆に『副室長』と、わざわざ呼ばせとんのか?」
びくりと、宵宮の方が震えた。そうだった。三暁洞め。
「いや、まあ確かに儂の直下は宵じゃし、研究所には諸々お前さんが権限代行できるようにはしておるから、副室長で何ら間違いはないが」
「それには色々経過が――博士。俺、本当に、吐くかもしれません」
※ 毎週【火曜日】【金曜日】に一話ずつ更新中。
各話独立、続き物ではないので登場人物さえ覚えれば、多少読み飛ばしても大丈夫!
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