45話 安売りするから
三暁洞朱夕は、それはもう世渡りが上手いのだろうなと誰もが思う感じである。
なにせ可愛いだけでも十分なアドバンテージであるのに、それで海外で飛び級を重ねてきたほどの天才少女であり、家柄も良いという。
こんな不公平があっていいのか。
もちろん、そんな生まれであるからこその悩みや不幸もあるとは思うが――
「えー?とおるんー、そう言わずにさあー。ねっ?」
「いや、でも、僕だってこの機材、使いたいし……」
「でもさ、とおるんの今回の研究発表だと、こっちのも並行して分析しておかなきゃいけないでしょ?だったらさ、先にこっち進めておいて、その間にわたしに機材を使わせてよ」
「いや、でも……」
「わたしの手が空いたら、とおるんの手伝い、するから。今回だけ!ねっ、お願い!」
「んんん……」
今回だけ。という朱夕の言葉を、今週に入ってもう三回ほど聞いている気がする。今日が週を折り返した木曜の午後であるにしても、多い。
「わかったよ。僕は、あっちの方から先に始める。……今回だけだからね?」
絶対今回だけではすまない。今週中どころか、下手をすれば、今日のうちにもう一回聞く可能性すらある。そう思いながらも透は折れた。
「やったあ!」
ぴょんと朱夕が飛びあがった。自分のパソコンに刺していたUSBメモリを抜くと、それを手に、研究室の一角に――
「えええ!?」
機材の前には宵宮が立っており、タッチパネルを連打して、分析指示を入力していた。
「柊副室長!?何やってるの!?」
「見てわからんか?」
「わかってるけど聞いてるの!私がそこを使うんだってば!」
「南天が今の時間、これの使用をやめたのは耳にした」
「やめて、わたしに譲ってくれたの!」
「そうか?そんな話だったか?なあ、南天」
「え……あー……」
「南天。『今回だけ』だ」
宵宮の目が据わっていた。
何をどう言っても、どちらかに責められる。どちらの責めが堪えるか。答えは明白だった。そもそも、朱夕にはすでに前科が今週だけで三回あった。宵宮の『今回だけ』は、本当に『今回だけ』だろう。少なくとも、今週のうちに聞く事はないはずだ。
「三十分。三十分だ。貴様ら次第では、また入力数値を間違えて、永遠の三十分を繰り返すかもしれんがな」
「……三暁洞さん。お互いのためだよ。ここは柊さんに譲ろう」
「ええー?」
甘えた声。計算しつくされたような仕草。可愛い。見慣れていなければ、危ういところだった。宵宮は一切そちらに目を向けず、今度こそ正しいデータセットを投入した。パネルに表示された『分析開始』の表示を力強く押そうとしたところで、駆け寄ってきた朱夕が手を間に差し込んだ。
「ねえー、柊副室長!わたしだってそんなに時間かからないから」
「研究員の研究内容を俺が把握しとらんとでも思ったか?六時間もかかる分析を、よくもそう言えたものだな!?」
ちっ。
本気の舌打ちではなく、朱夕はあえて口で言っている。しかし、気持ちとしてはそのまま舌打ちするのとそう変わらないだろう。
「そういうのは、帰る前にセットしておいて、翌日取り出せ」
「間違いがあった時、それだとフォローできないもーん!それに――」
「今日のラストは、アタシが予約済みー!」
茜が自分の席でピラピラと手を振っている。なお、予定分析時間は十三時間である。こんな分析を日中に行えば、宵宮に限らず全員から非難囂々になる。茜の予約は真っ当である。
「……ならば、そもそも三暁洞の分析は今日無理だろう」
「あっ、本当だ!アンタがやったら、アタシが帰る時はまだ分析中じゃねえか!」
のんきに南天が困る様を面白がっている場合ではなかった。茜が朱夕を回収していく。宵宮は分析サンプルに基本データセット、追加の実入力内容などそれぞれを確認したうえで分析開始のボタンを押した。朱夕の弱々しい声が響いた。
「こんなに可愛くお願いしても駄目って……」
機材が動き出したのを強制中断させるほど朱夕も鬼ではない。宵宮の分析が終わるまで三十分待ったところで、茜にバレてしまっては、今日の分析は不可能だ。
とはいえ、騙されてくれなかった事が不満なようで、朱夕が改めて可愛い子ぶりっこをしてみせる。
「それが通るのは子どものうちだけだ」
「大人にこそ、聞くと思うんだけどなあー?」
「それで効果があるような人間ばかりの集団に関わるな。双方ろくな事にならんぞ」
南天一人程度ならば、セーフな扱いらしい。別に、そういう意味で譲ったわけではないんだけどなと南天は不満そうだが、宵宮はそこには触れなかった。
「この研究所だと、結構効果ありそうだけどなあー?」
「……効果が見込める類の人間が多いのは、否定できん」
研究一般等でやってきた人間が多いので、男女ともに、異性に対する接し方の経験値が異常に低い人間は多い。……異性どころか、同性ですら。
「ただ、それ故に効果が見込めない人間も多い。多数派になるのは、おそらくそちらだ」
人間と接する経験値が低すぎる故に、相手が自分に訴えかけてくる事が理解できない。何らかの攻撃と捉えてしまう。悲しい人間達である。
あと、正常に、浅はかな媚びに騙されない成熟した人間もいるので、合わせる事で多数派となる。多数派の内訳については考えない事にしてほしい。
「柊副室長だって、こーんなにかっわいいわたしからお願いされたら、心は揺らがない?今日についてはダメだったけどさ」
「揺らぐか。甘えるな」
まったく、何を言っているのやら。いつもの調子で宵宮は答えたのだが――
「そうでしょうか。宵宮さん、結構ゆんゆんには甘い気がします」
この間、ずっと黙っていた望月が、急に口を開いた。皆の視線が集まる。
望月はちょっと唇を尖らせていた。拗ねている。怒っている。おむずかりである。
「どこが甘い。どう甘い」
「ゆんゆんはこの中では一番年下ですけど、皆と同じ研究員のはずです。なのに甘やかしすぎです」
「三暁洞が舐めた態度なのは今に始まった事ではないが――」
「えっ、ひっどい!」
「俺は都度、そこについて意見をしている。だいたいそういう事は、家庭で躾けられておくべき事だ。俺が同研究室の研究員として指導すべき内容ではない」
そこはまあ、もっともだ。
「だいたい、宵宮さんは厳しく見えて、結局のところ甘いです!」
どこがだ。いったいどうしてそんな判断が出た?
宵宮でなくとも思った事だろう。
確かに、若干態度の軟化は起きているが、それでもまだ一般人レベルにまでやわやわにはなっていない。
「茜さんにだって甘いし……!」
ない。それはない。それこそない。
どちらかがどちらかに向かって口を開けば半々の確率で口喧嘩に発展するというのに。
二人がそれぞれに否定する。と、望月は大きく首を振った。
「知ってます!そんな風に喧嘩ばっかしてまわりの皆をハラハラさせておいて、知らない間に付き合い始めるんです!そういうのばっかり!」
「はああ!?冗談じゃねえよ、柊となんて!」
「もう何回もその手の言い訳は聞いてきました!」
「何の話だ!?望月、貴様の偏ったサンプルケースの事は知らん!」
何か過去にあったらしい。お騒がせな望月の困った友人達についてはどうでもいい。こんなとんでもない誤解は勘弁願いたいと、宵宮にしては珍しく困り果てていた。
「だいたいどうした、いきなりおかしな事を言い出して。なんだ、研究に行き詰まったか。そんな事でまわりに当たり散らすなど、愚かもいいところだぞ」
……宵宮がそれを言える立場であろうか。結構進捗に応じて当たり散らしている記憶がある。
「私だって……私だって、ゆんゆんみたいに、素直にぶりっ子したい……茜さんみたいに、真正面から誰にも臆さず口喧嘩をしてみたい……」
「――おい、望月は何を言っている?」
結構ぶりっ子な態度をとっているし、今だって、口喧嘩といえば口喧嘩のような状況ともいえる。本人にその自覚がないだけだ。
朱夕達は朱夕達で、なんとなく望月が面白く思わない心当たりはあるが――宵宮にそれを自分達から口にするのは違う気がして言えない。
宵宮は少し思案して――
「そうか。望月、わかったぞ」
――!
見守っていた朱夕達に緊張が走った。
とんでもない瞬間を目の当たりにするのではないか、と。
「おい、南天。隣から夜羽音を呼んで来い。夜羽音新月を」
「え」
「望月は、夜羽音に甘えられなくなると、途端に情緒がおかしくなる」
「えっ……いや……そういう時も……あるかもしれないけど……」
そうだと思う?透が朱夕と茜に助けを求めるように視線を向ける。二人も透同様、宵宮の仮定について完全同意はしかねる様子だった。
しかし、ではその原因はとなると、三人も明確に口に出していいものかとなる。――結局、透は隣の研究室に声をかけに行った。ちょうど新月は測定結果待ちで軽い休憩を取っており――仮に手が空いていなくても、すわ妹の一大事!と、勝手に判断さえしてしまえば何を置いても駆けつけてくる。
「……なんで新月お兄ちゃんが来てるの」
「可愛い妹が困っていると聞けば、当然だろう!?」
今回については新月が突入してきたわけではなくこちらから助けを求めている。新月は悪くない。なお、助力を求めた宵宮はと言えば――
ピピッ。
軽い電子音に続いて、設定されているクラシックのワンフレーズが流れた。このメロディーが流れる時は、分析が無事に終了したあかしである。エラー発生時のメロディだけは生涯において耳にしたくないが、意外と頻繁に流れてくる。
ともかくそれを耳にした瞬間、宵宮はすべては雑事であるとすっぱりきっぱり判断した。データが更新されたUSBメモリを手に、自分の席に戻っていく。
「後はそちらで好きにしろ。望月のお守りなどしていられるか。――当然、三暁洞や、黒鉄のお守りもする気はない。じゃれ合いたいだけなら南天をからかって満足していろ」
身勝手が過ぎる。
「仕方ないかー。じゃあ、とおるんからかうかー」
「やだよ。やめてよ。僕だってこの機材が空いたから、こっちでも当初の予定通り分析かけるために忙しいんだから。帰る時に黒鉄さんにこの機材を使ってもらえるようにしておかないといけないんだし」
「えー?いいでしょ、お喋りぐらいならさー」
上目遣いで朱夕が透を見上げた。
「もう見飽きたから、効果薄いよ、それ」
「ちぇー!」
如何に可愛かろうと、安売りをすべきではないようだ。
※ 毎週【火曜日】【金曜日】に一話ずつ更新中。
各話独立、続き物ではないので登場人物さえ覚えれば、多少読み飛ばしても大丈夫!
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