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それなら南棟三階どんつきの部屋  作者: 神空うたう


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44/52

44話 しっかり把握できている



 最近、菓子を口にする機会が増えた。椅子に背を預け、手にした個包装の菓子を見ながら宵宮は軽くため息をついた。グラフや表にするまでもない。


 答えは簡単である。


 実物のやり取りが必要で他の研究室に新人を使いに出すと、何かしら貰って帰ってくるからだ。田舎の祖父母が孫に飴玉を持たせるようなあれである。

 ましてこの研究室には愛嬌お化けの、三暁洞朱夕がいる。無類の甘え上手である。


 半端な数なら新人達で消費して終わりだが、相手先が気を利かせて人数分のお菓子を持たせて来ると、流石に渡さないと不味いかと、宵宮にもまわってくる。

 さらには、お返しではないが、よその研究室の新人が来た時に渡す用のお菓子も常備されている。休憩時間に新人達でもつまんでいるようだ。

 ……胃袋も小さく成長期の乳幼児ならともかく、成人した人間が、こんなに間食を必要とするものだろうか。頭脳労働に適度な糖分は有益だ。とはいえ程度がある。

 あれば食べるが、宵宮はそこまで頻繁に糖分が必要とは考えていない。

 今回は三暁洞ではなく、黒鉄茜が貰って帰ってきたお菓子だ。茜の場合は、貰ったというよりせびったのではないかという懸念があるが、いまだどの研究室からも被害が訴えられていないので、茜の言葉どおり、貰って帰ってきたのだろう。


 ……可愛げ?


 人の主観は様々である。

 あと、可愛いから物を得られるというのも浅慮だったかもしれない。




「……はあ」


 宵宮が軽くため息をついた。

 机の引き出しを開ける。『とりあえず邪魔だから』で、一時退避させた菓子が、引き出しの一角を占拠していた。

 無駄極まりない。

 ここにまとまっている菓子を、来訪研究員用兼おやつ用の籠にでもまとめて入れておこう。どうせ、しばらく前のお菓子とは気づかないだろう。なにせ賞味期限が切れていても、『でもこれ、抹茶味だし……!』と、意地汚く食べる連中である。あくまでよりおいしく食せる期間の目安だ。消費期限ではない。なんであれ、あればあるだけ食べるだろう。

 ……念のため、賞味期限が個包装にも印字されている分については、消費期限切れはないと宵宮も確認しておいた。


 腹痛でも起こされて早退や欠席されてもかなわない。

 新人四人組も、それなりに、雑事を任せられる程度には成長してきている。多少は宵宮もあてにしているのだ。


「宵宮さん、こちら、できました」


 特に、今こうしてデータの分類を頼んでいた望月は、新人四人の中では当初の想定以上の結果を出している。夜羽音新月の妹である事にいささかの引っかかりはあるものの――優秀と言ってよい人材だと宵宮も認識している。そもそも、千両玲斎が自身の研究室にと引き入れてきたから、新人四人は並の新人研究員よりも優秀だった。




 あれで千両博士は、シビアだ。

 宵宮がわかりやすく性格に難があるからさほど目立たないが、その傲慢さは宵宮をはるかにしのぐ。研究所のハラスメント委員会が要注意人物の筆頭に挙げる柊宵宮を、結局手元に置き続けている。他の研究員と対立が起きた時も、やんわり双方を宥めておきながら、宵宮以外のすべての研究員よりも、宵宮を取った。


 それが宵宮にとって誇りでもあり、恐ろしさでもある。


 あの老人は、結局自分のお気に入りしか大切とは思わない。優秀な存在だからこそ、気に召すのだと。――はたして真実そうかはわからない。ともかくいい加減な人間なのだ。わかりやすく悪人な自分の方が、よほど人には優しいと思う。……その主張に同意が得られるとも思えないので、秘する事にするが。




 望月がせっかく精査したデータを、気もそぞろで確認するわけにもいかない。

 千両博士への繰り言に関してはいったん脇に置き、内容をざっと確認する。確定する数値のところに変動はなく、想定の推移で動き、それが分別されている。

 もちろん更なる精査は必要だが、問題はないだろう。

 宵宮は望月に信頼を置いている。こと、こういった作業を任せる限り、あの四人の中では一番。……今や大部分がコンピューターでどうにでもなるというのに、誤差を発生させる残りの三人が不思議でならない。きちんと指導しているはずなのだが。


「……よし。助かった」


 宵宮の言葉に、望月がほっと表情を和らげた。日々の提出物や報告はどんなに些細な事でも緊張感を持っていてほしいが、何ぞやの審判でも受けるような顔をするのはどういうことか。別に、誤りがあったところで、命までは取らない。

 ……命を取らないだけで、宵宮の機嫌に左右されるところはあるが。

 そして、今日の宵宮は、少しだけ気分が良かった。


「おい、望月」

「はい?」

「邪魔でかなわん。褒美だ。くれてやる」


 宵宮なりにジョークを利かせたつもりかもしれないが、褒美とはまた。あと、本音が最初に出てしまっている。邪魔って。

 ともかく宵宮は半開きにしていた引き出しに手を伸ばし、食べる機会を失っていた菓子に手を伸ばす。少し考えてから、イチゴ味のクッキーの小袋を手に取った。


「くださるんですか?」

「全部やりたいところだが、『虫歯ができた』などと夜羽音からクレームが入っても面倒だ。一つで十分だろう」


 望月の兄、新月が千両研究室に飛び込んでくる事は少なくなったが、完全になくなったわけではない。相変わらず妹が大好きすぎる兄だった。望月はクッキーの小袋を手に、苦虫を噛み潰した顔をした。

 しかし、その後、あらためてクッキーの小袋を見た後、宵宮が閉めようとしている引き出しに目をやった。


「なんだ?一つと言っただろう。分別のつかん子どものように、いやしい目をするな」

「どんな目ですか」


 望月は一瞬ムッとした目をしたが、すぐに表情を変えた。


「……イチゴ味なんですね」

「は?」


 意味がわからず、宵宮は望月が研究資料かのように大切に胸元に掲げ持っているクッキーの小袋を見た。そして、締めかけていた引き出しをわずかに開ける。


「……ブドウ味がよかったか?しかし貴様は――」

「はい、そうです。ブドウ味より、イチゴ味の方が好きです」


 望月の好みは大変わかりやすかった。

 イチゴやチョコ。ごくスタンダードな味を好んでいる。資料作成を頼めば、枠外に勝手にイチゴだハートだ星だを散りばめてくる。きっと『ハート味』というものがあれば、望月はハート味を何より好んで食べる事だろう。ハート味など、もちろんない。今手元の菓子の中から渡す最適解は、イチゴ味だった。


「だったらそれでかまわないだろう」

「ええ。これでいいんです」


 噛みあっているのかいないのか。

 やけに機嫌を良くしている望月が宵宮には不気味だったが、満足しているならそれでいい。次の指示を出すと望月はにこにこしながらクッキーの小袋を手に、数歩向こうの自分の席に戻っていった。


「あー!柊副室長、贔屓してるー!」


 目ざとく指摘したのは朱夕だった。


「何だ。貴様も菓子がほしいのか。常から菓子に手を伸ばしておきながら、まだ足りんとは」


 朱夕と茜、透の三人の机を合わせている場所の中央には、共用の資料や押し付け合っている整理中のファイルの他に、お菓子の小籠があった。そこに、よその研究室から貰って来たお菓子や、千両博士の出張土産のお菓子の残りなどがこんもりと盛られており、研究作業の合間に消費されている。


「それこれとは別でしょ。なんでもっちーにだけお菓子をあげるの?ここは平等に――」

「なら三暁洞。一昨日頼んだ分はどこまで進んだ。まともに中間報告できるところまで進んでいるなら、褒美をくれてやる。何にする?飴か?煎餅か?酢昆布か?」

「うぐっ……!」


 たいして進んでいない。

 あと、なんでそんなに渋めのチョイスなのか。

 宵宮もあえての発言だったのだろう。とてもいい笑顔を朱夕に向けている。


「――どこで引っかかっている。期限に間に合うのか?詰まっているなら、その旨報告しろと言っている。貴様のくだらん意地で、俺まで巻き添えにしてくれるな」

「んー……だってぇ……」


 朱夕が、椅子に座ったまま足で床を蹴って、椅子のキャスターに任せて宵宮の席まで大移動をしている。先輩研究員である宵宮に対して舐めた態度であるが、宵宮もいい加減麻痺してきているのか、舌打ちだけですませた。


「あのね、ここが――」

「俺は貴様の母親か!せめて報告の体裁を取れ!」


 今回に関しては宵宮の叱責はまったくもって正しかった。


 叱られながら報告や解決策を求める朱夕の声をよそに、望月は、貰ったばかりのイチゴ味のクッキーの小袋を開けた。コーヒーなどの飲み物やこの程度の菓子なら、昼の休憩時間でなくとも飲食を咎められる事はない。


「……ふふ」


 些細な事ではあるが。

 自分の好みを把握してくれていた事が、望月は嬉しかった。

 把握していても、宵宮であればあえて別のものを寄越しそうではあるが。それならそれで、そんなささやかな意地悪や意趣返しをしてくるほど、宵宮と馴染んできたともいえる。どちらにせよ、望月には嬉しい事だったようだ。




 それぞれに地獄と天国が展開されている中、茜は何やら微妙な顔をしていた。


「……アタシ、柊に出すデータができあがったんだけどさ。この流れでもっていくと、お菓子目当てみたいで癪だな」


 タイミングが悪い。その気持ちはわかる。

 しかし、だからといって出さないのはどう考えても悪手だ。


「いいから早く持って行かないと、何をモタモタしてるんだってどやされるよ?」

「……ちっ、そっちの方が癪だな。しゃあねえ、言ってくるか!」


 透に言われて、茜が立ち上がった。最終的に宵宮の引き出しを大きく開けたうえで、ヌガーのようなものをせしめてきたようだった。癪でも何でも、貰えるなら遠慮なく貰う。茜は清々しかった。

 なお、透は実に平均的に指示分をこなして、多分誰も食べたがらないであろう謎の豆のお菓子を廃棄の道からすくい上げた。朱夕の方も、解決策が宵宮から提示されると、もたついていたのが嘘のように速やかに完成させ、宵宮の引き出しの中に残っていたお菓子を総ざらいしていった。宵宮としてはさっさとカラにしたかったので呆れこそすれ文句は出なかった。――とはいえ、ふてぶてしい話である。




※ 毎週【火曜日】【金曜日】に一話ずつ更新中。

  各話独立、続き物ではないので登場人物さえ覚えれば、多少読み飛ばしても大丈夫!


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