41話 手加減なしの真剣勝負
「男って、馬鹿だよなー?」
茜の言葉は主語が大きすぎるし、おおいに偏見に満ちている。
今、確実に言える事は、『彼らは馬鹿』という事だけである。
「ほら見ろ、おれが一番だ!」
「貴様ほどの筋肉ダルマでそうでなければ、何だというんだ、飾りか!?」
今日は望月と朱夕が、他の研究室の子達と一緒に外部の研究会に参加して不在だ。本来ならその分静かになりそうだが、代わりに大谷部がきたせいで、常よりにぎやかになった。さらには、普段なら無視を決め込むか、我慢できずに切れて怒鳴る程度の宵宮が、巻き込まれた形ではあるが能動的に話題に乗っているというのがある。
元々は、研究が行き詰まった時の気分転換がどうとか、そういう話が発端だったはずだ。その何がどうなってそうなったのかはよくわからないが、研究所支給の白衣を脱いで、大谷部と腕相撲を繰り広げた。『両腕使ってもいいぜ?』というハンデがそもそも屈辱ではあるが、大谷部相手にまともに向かって太刀打ちできるわけでもない。両腕使って、そのうえで負けている。
それでもかなり健闘はした。
南天は瞬殺だった。軽く宙を舞った気がする。
「なっさけねえなあ、男どもは!」
ひととおり観戦して楽しんだところで茜が笑っていた。
「男ども、とは何だ」
むっとしている宵宮の後ろで、『おれは違うよなー?』と、大谷部がへらへら笑っている。当然大谷部は除外される。茜にとって単純に強さこそ正義らしい。世紀末の価値基準だ。
「なんならアタシの方が強いぐらいじゃねえの?」
ふっふふんと茜が得意ぶっている。研究所の仕事を終えた後は週に何度かジムに通っているそうなので、引き締まった体つきをしている。だからこそ奇抜な服装も映える。
「ふざけるな。そんなわけがあるか」
「そんなわけがあるんだよ。南天になら、腕相撲で勝てるし。勝ってるし。だよな、南天!」
そう言われて、負け通しの透が困ったように眉を下げた。
「ははは……まあ……」
それを見て、宵宮が眉をひそめた。情けない。なんという体たらくかなどと叱責するつもりかと思ったが、叱責は叱責でも、方向性が違った。
「南天。黒鉄を勘違いさせるな」
「は?勘違いってなんだよ。いいか?こっちはね、真剣勝負で勝ってるんだよ?」
「貴様の話は後だ。おい、南天」
宵宮に文句を言おうとしたのに、宵宮は茜を軽くいなして、透の方を見た。
「貴様らが腕相撲などと馬鹿馬鹿しい児戯で何を遊んでいたかまで咎める気はないが――」
今まさにその腕相撲で盛り上がっていた人間がどの口で、とは思うが、宵宮の口ぶりと表情は真剣なものだった。
「日々のくだらんお遊びについてまであれこれ説教する気はない。俺もそこまで暇ではない。しかしだ」
じゃれ合いに対する普段のお説教とは雰囲気が違う事を察して、透も不安気な顔をする。まさか、お菓子争奪戦の腕相撲で今さら本気の説教を喰らうとは思っていなかったようだ。
「物事に対して、正しくない理解を与えてはならない」
透に対して語られた言葉だが、茜が口を挟んでくる。
「は?何だよ、それは」
「……貴様は後だと言ったはずだが?」
煩わしさを隠そうともせず、宵宮が茜を見る。そして、透に向き直る。
「南天。黒鉄は本気で、貴様程度なら勝てると思っているぞ?」
「え……?えー……っと。でも、黒鉄さん、強いし……」
透がおどおどと答えている。
「大谷部には当然勝ち目はないが、貴様になら勝てる。場合によっては俺にすら勝てると、黒鉄は勘違いしている。いっそ大谷部にすら勝てると抜かしているならその馬鹿さ加減に清々しさも感じる。だが、黒鉄は、『彼我の力量を見極めたうえで』そう判断している」
「なんだよ、アタシが柊にだって勝てるかもしれねえ、ってのが気に食わねえのか?狭量な奴だな!?」
「だから貴様は後だ。……いいか。南天。黒鉄は、完全に物事の見極めを誤っている。その原因の一端は――南天、お前のせいだ。黒鉄は俺どころか、貴様にすら力で勝てるわけもないのにだ」
「はあ!?アタシはな――」
茜が本気で喰ってかかろうとしたところで、大谷部が、ああ、なるほどと口を開いた。
「南天。そりゃ確かに黒鉄によくねえわ」
透の方は、言われる理由を理解しているようで、ますます居心地悪そうにしているが、茜だけがそれを理解できていない。
それを見て、宵宮が鼻を鳴らした。
「勝てるわけがないだろう。ただの女が、男に」
「おい待て宵宮!アンタいつも偉そうな口をきいているけど、今回ばかりは聞き捨てならねえからな!?」
茜が宵宮の胸倉を掴んで凄む。しかし、宵宮はただ見下ろすだけだった。びくともしない。凄んでさらに胸倉を捻り上げるが、宵宮の黒のハイネックが捻られるだけで、宵宮自身の心身がそれに動じる事はない。
「……南天。今ここで黒鉄と腕相撲をしてみせろ。『真剣勝負で』だ」
「南天はどうでもいいだろ!アタシの話を聞けって言うんだよ!」
「離せ。服が伸びる」
いつも以上に硬質な声で、宵宮が茜を見下ろしていた。茜の腕を掴む。
「離せ」
静かな声にいつもとは違う迫力を感じ、茜が思わず、掴んでいた手の力を緩めた。それにはっとすると、気圧された事を宵宮に悟られぬよう、自分から振りほどいたように手を払う。
「はっ!まあいいよ、腕相撲!?してやるよ。まあ、前と同じで、アタシが勝つけどなっ!」
先ほど宵宮が大谷部相手に無様な勝負を繰り広げていた机に、茜がドンと肘をついて、腕相撲の構えを取る。透は、茜と宵宮、さらには大谷部からも圧を受け、仕方なしに対面に立つ。同様に構えを取った。今度は大谷部が審判をするようだ。とはいえ、開始の合図をかける程度だが。
「よーし。黒鉄、南天。準備はいいか?じゃあ、『真剣勝負』って事で。レディー……」
ゴー!
その掛け声と同時に、ぐっと茜は力を込めた。最初に大きな抵抗を感じる。これについては前とも同じ。しばらく膠着状態が続く。
だが、そもそもの力で拮抗しているなら、あとは日々鍛えている分持久力のある自分に分がある。瞬時に決着をつける事はできないが、粘り勝ちで今回も――茜がそう、計算を行う。
「……南天。俺や大谷部の言葉を、貴様は聞いていないのか?それとも、黒鉄の危うさを、貴様は看過するのか?その結果について、貴様が責任を取れるとでも?」
何を偉そうに言っているのか。茜が宵宮の方に視線を動かす。宵宮は厳しい言葉で透を叱咤している。真剣勝負というなら、それこそ外野がごちゃごちゃ言うな。茜はそう言ってやりたかったが、いかんせん真剣勝負である。口を開く余裕はない。
「ええ……でも……黒鉄さん、本当に強いし……」
目の前の透が、弱りきった声で宵宮に答えている。口を開く余裕のない茜の前で。
「そんな腑抜けた事を本気で言うのか、南天」
「わ、わかったけど――」
ぐっと、組んだ手を通じて、力が込められたのを茜が感じる。
そう思った次の瞬間には、組んでいた茜の拳、その甲は机にぺたんとつかされていた。
一気に倒し込まれたが、最後の瞬間にはわずかに力を緩められたのを感じた。この勢いでは手の甲が赤くなるほど打ち付けかねないと透が配慮したのだろう。そうして力を緩めたところで、圧倒的な力の差で、勝負は覆らないと判断されたのだ。
「――真剣にやれと言ったが?」
「か、勝ったからいいでしょう?」
「甘えなあ、南天は」
透に対して宵宮はまだ不満があるようだが、大谷部がそれを南天らしいと笑っている。
にぎやかな光景であるが、茜はまだ今の状況を信じられなかった。その様子を見て、宵宮は軽くため息を吐いた。
「南天が手加減していたに決まっているだろう。四則計算もおぼつかない子どもの頃ならともかく、明確な成長期を終えて、並の女が並の男に勝てるわけもない」
「なっ……ぐっ……」
「悔しいか。ずいぶん貴様は素直に育って来たのだな。本気で南天程度なら勝てると思っていたんだろう?これでよくわかったか?」
喰ってかかりたいが、事実として負けた。茜は強さこそ正義と、なかば冗談、なかば本気で生きてきたからこそ、事実を前にそれ以上何も言えない。ただ、すさまじい形相だった。
「おい、柊。言葉が足りねえ。このままだと、黒鉄の代わりに俺がハラスメント委員会に投書する事になるぞ」
大谷部に言われて、宵宮はこれだけわかれば十分だろうと言いつつも、勝負をさせないとわからなかったという事実を顧みて、言葉で補足する。
「……別に、性別による優劣を論議するわけではない。いや、優れている劣っているという観点でいえば、優劣ではあるが。性差か?ともかく、黒鉄自身がどうという事ではなく根本的にあるものについて認識を違えている事が問題と感じた。それは今この場で是正されたと認識しているが?」
やはり言葉が足りない。
なんなら、誤解が深まる気すらする。
望月がいないので、フォローは大谷部がやるしかない。最近はずいぶん楽をさせてもらっていたのだが。
「へなちょこな南天だって、力勝負だと本気を出される前に負けるって、今、わかったよな?だから、アイツには負けるけど、コイツなら勝てるって考えで動くと、痛い目みるかもって黒鉄もわかったな?……よし、だったら今日のお勉強は無事、身になったって事だ!」
へなちょこ扱いされてしまった透には申し訳ないが、大谷部があえて軽めに話し、授業はお開きとばかりに芝居がかった感じでパンパンと手を打った。
言わんとするところは理解できる、我が身で今思い知ったばかりだ。しかし。それですぐに納得したくはなかった。
「……もちろん、並の人間同士の話だ。弱った男や、鍛え抜かれたアスリートの女とではまったく話が違うし、こんな腕相撲であれば、構え一つ、戦術一つで貴様が十分勝ち得る。しかし、どんな方策を取るにせよ、その前段階の見極めから誤っていてはどうにもならん」
「うっせえよ、柊」
「俺が口うるさいのは、今に始まった事でもないだろう」
「だから、黙ってろ」
「――了解した」
宵宮は大谷部との腕相撲勝負のために一端脱いでおいた白衣に手を伸ばした。もう茜の方に興味は無いようだ。これ以上は、口喧嘩に発展するのが明らかだった。
いっそ茜は、口喧嘩でもして発散したかった。
馬鹿にされている。でも、そう扱われて当然なほど、馬鹿だった。
たとえば今日は腕相撲というお遊びだったが、これが夜道での出来事だったらどうか。卑劣な手段しか取れない程度の奴なら、返り討ちにしてやる。そう思っていた。警察署で表彰を受ける自分も容易に想像できた。しかし、きっとそうはならない。
「南天。貴様も理解したか?そういうあからさまな事はやめろ。子ども相手に本気になるのは大人げないが、だからといって正しい実力差を時に見せてやらなければ、その事を理解できない」
「子どもって、黒鉄さんは僕より年上……」
「精神性の話を言っている」
余計に失礼な話だが、今日のところは何も言えない。茜はこの苦さを忘れないと固く誓った。望月や朱夕がいなくてよかったと思った。こんな格好悪いところを見られたくない。
※ ※
「黒鉄はどうした。最近早く帰るな?」
ダラダラ居座られても、施錠の邪魔になる。茜に限らず、業後はさっさと帰ってくれた方がいいとはいえ。
千両研究室の千両博士は不在が常。なので、副室長の宵宮が施錠責任者である。
「あかねっち、最近ジムのコースメニューを変えたとかで、ジムの時間がちょっと早くなったんだってー」
朱夕の言葉に、宵宮が施錠の手を止めた。
「まさか、更なる誤解はしていないとは思うが……」
体を鍛える事そのものには、そもそも何ら問題はない。とはいえ、である。
「南天。リベンジマッチを挑まれたら、何の遠慮もなく、黒鉄を叩き潰せ」
「ええー……僕なのー……」




