37話 素直になられても、困る
「はい、閉めたー、閉めたー、しーめたっと!」
「あかねっち、ちゃんと確認してるー?」
「してるって。四人で施錠確認してるなら、間違いねえだろ」
朱夕に言われて茜が答えているが、見る限りおざなりだった。
ダブルチェックでよくある悪い例がここに再現されようとしている。最終確認者の望月は、特に念を入れて施錠を確認していく。
千両博士と宵宮が不在。大谷部は千両研究室在籍ではあるが、あちこちの研究室の研究にサンプルとして参加しており、毎日研究室に顔を見せるわけではない。なので、開錠施錠は新人四人に任されている。
「うん、大丈夫」
望月が頷いた。あとは研究室を出て出入り口の扉を閉めればいいだけだ。
さっさと帰ろうと皆で早めに片付け始めたせいで、業務終業時間より若干早い。もう少し研究室で時間を潰す必要がある。
研究の題材が他と被っている気がするが、どうすればいいかといった話からはじまり、カフェのコーヒーの豆が変わった云々、研究室内で話して時間を潰しながら、皆、そわそわ時計を見ていた。
そこで、電話が鳴る。研究室の卓上電話ではなく、望月のスマホだった。ネット通話のアプリが鳴っている。
「はー!?何だよ」
茜が眉をひそめる。スマホの画面を確認した望月が呟く。
「……宵宮さんからだ」
「えー!?もう全部鍵かけちゃったのに!?」
透が声をあげた。どうせ『何かを調べろ』とかの電話なのだろう。しかも、研究業務を終えるはずの時間帯。宵宮は意地が悪い。
「もういいでしょ。もっちーなら必要な分だけ鍵を開けて、鍵をかけられるよね?……ほら、もっちー。電話に出て出て!早くしないとぎーやんキレるよ?……んっじゃあ、また明日!」
お仕事終了モードに入っていたのは朱夕だけでもないようで、上手く望月に押し付けて三人は帰ってしまった。
「……皆、酷くない?」
文句はあったが、皆から注目される中で話をするのはなんとなく気まずさがあった。望月は少し心を弾ませながら、スマホの画面をタップした。
「……も、もしもし」
『望月か』
望月のスマホにかけているのだから当然だ。そうでなければ問題だ。宵宮は相変わらず表示でわかっているだろうと、あらためて自分の名を告げることもなく話し始める。
『先ほどは、通信環境が悪かったので電話回線を使うしかなく、急かした』
「ああ、そうだったんですか」
調べ物については、出先からの電話だったのだろう。ホテルかどこかに戻った事で、ネット経由での連絡に切り替えたらしい。
「それで、先ほどの内容に何か不足でも?それとも別件ですか?」
望月が答えながら、研究員の身分証をかざして、ロックを解除しパソコンを立ち上げる。
『いや、そうではなく』
「……?では、なんでしょう」
『あの時は要件をすませる事が頭にあったので保留にしたが、やはりどう考えても望月の様子がおかしかったからな。気になって電話をかけた』
「え?」
気になって、という人間のような――いや、宵宮は人間だが、その言葉に、望月が動揺する。宵宮は他人の些細な変化を気に留めるような人間ではないと思っていた。些細な変化に気づかないわけではないが、気づいた上で無視できる人間だと。……気づかないより始末が悪い。
『どうした。何かあったか、望月』
……そんな宵宮だから、気づいてもらえた、気にかけてもらえたという、ある種当たり前な反応でも望月は嬉しかった。
「えっと……」
『用も無く、貴様が俺との通話を続けようとするとは思えん』
「――」
そう言われて望月が一瞬息に詰まった。用なんてなかった。
なのに、何を言い縋ろうとしたのだろうかと。
そして、宵宮がこう問うたならば、疑問に思われない用事をでっち上げなければならなかった。進めている研究の中間報告か、あるいは話題になっている研究の所感を求めるか。くだらないと一蹴されるような世間話でもなんでもいい。そう思ったが、急に電話がかかってきて上手く誤魔化しきれるほど、望月は器用でもなかったようだ。
「す……すみません。別に用事でも何でもないです。よ……宵宮さんの声を、聞きたかっただけです」
『――』
わずかに、息を吸い込む呼気だけが、耳に響いた。
子どものようだと笑われるかもしれない。実際、以前に望月は兄の新月が海外発表で不在になった時に『さみしい』と気落ちして、周囲をずいぶん呆れさせた。
『望月』
「……はい」
『誰が何をやらかした。黒鉄か?三暁洞か?正直に白状しろ』
「はい?」
ぱちくり。スマホを耳に当てたまま、望月が目を瞬かせた。
『貴様がそんなあやふやな理由で俺を留めようとする理由が思い当たらん。なんだ。お前では抱えきれぬ何が起きている。場合によっては千両博士に報告せねばならんし、俺か千両博士経由で研究所にも伝えねばならない』
「……い、いえいえ!?誰も何もしていませんよ!?」
『いいから言え、望月。アイツらも悪意あっての事ではないと信じたい。隠蔽はするな。初期対応が肝心だ。研究所全体に問題が波及するどころではすまない場合もある。お前が判断をするな。判断と責任はこちらに任せろ』
怒っているのではなく、深刻さに頭を抱えているような声音だった。望月は自分に対して無駄な言動はしない。なのにわけのわからぬ挙動をしている。――それを宵宮は重く受け止めてしまったようだ。
「違います違います!本当に何もないです!……ゆ、ゆんゆんが、他の研究室から分けてもらったお菓子を、宵宮さんの分まで食べてしまったぐらいで……!」
『三暁洞が?アイツはロクな事をせんな。まあ、それについては好きにさせておけ』
宵宮はさほど甘いものに執着はない。が、それはそれで、戻り次第説教をする。という冷えた声が耳に入り、望月は朱夕に心の中で謝った。
『では何だ。俺の勘違いか?だったら無駄に拘束をしてしまったな。問題が無いのであれば、四人で施錠確認をして帰れ』
通話を終えようとする空気を察知して、望月が慌てた。
「か――勘違いではないです」
『……どういう事だ』
「だから。私の様子がおかしかったのは本当で。それは先ほど言ったとおり……よ、宵宮さんの声を、聞きたくて」
『俺の?何故?何のために』
「何のためとかは無くて……その……ただ、宵宮さんがいなくて、さみしくて……」
『――』
宵宮にしては珍しく、長考するような深い深呼吸だった。
『望月』
「……はい」
『お前は成長が無い。それどころか悪化している。俺は夜羽音ですらない。他人だ。いなくて当然の人間がいないだけだろうが」
望月の兄の時と同じく、人恋しさが発動していると宵宮は理解しているようだった。
「そ、そうですけど」
『どうせまた顔を突き合わせればうんざりするだけの癖に、何を言っているんだ、貴様は』
「うんざりするのは、宵宮さんの言い方が悪い事にであって、宵宮さんそのものにうんざりしているわけでは――」
『うるさい。あー……』
何というか、全体的に歯切れが悪い。疲れているなら心配だが、呆れられたり怒られたりするのは嫌だなと望月は緊張する。
「宵宮さん?」
恐る恐るたずねる。
普段のあの顰めた顔を前にするのも恐ろしいが、通話で顔が見えないのも不安をあおる。
『――その、わけのわからん、腑抜けた物言いを俺に聞かせるな』
「……はい」
望月の声は、明らかに気落ちしていた。
宵宮の舌打ちが電話越しに聞こえる。宵宮のいらだちが伝わり、望月は委縮した。
『研究旅行の航路は紆余曲折の極みだが、日程に変わりはない。予定通り、あの老人を連れて帰る。……帰るからな?貴様がどう文句を言おうと』
「も、文句なんてありません。無事のお帰りを、お待ちしています」
『そうか、実に殊勝な事だ。それでいい。……おかしな事を言って、俺を惑わせるな』
その後、わずかに躊躇うような吐息が聞こえた。宵宮にしては、歯切れが悪い。そんなに困らせているのだろうか、煩わしくさせているのかと望月は恐ろしくなってきた。
『……俺の帰るところはそこしかないのに、さみしいも何もあるか』
そこまで言って、ぷつりと電話は切れてしまった。間の抜けた終了音が鳴り響く。
望月は通話アプリを終了させながら、首をかしげた。
「心配しなくていい、って事……?」
言葉が足りないのか、相応しい言葉を知らないのか。
実に宵宮らしいが――その宵宮らしさが、望月の不安を和らげた。
※ 毎週【火曜日】【金曜日】に一話ずつ更新中。
各話独立、続き物ではないので登場人物さえ覚えれば、多少読み飛ばしても大丈夫!
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