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それなら南棟三階どんつきの部屋  作者: 神空うたう


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35話 鬼の居ぬ間に



 千両研究室に平和が訪れている。

 黒鉄茜と三暁洞朱夕、南天透はとても穏やかな気持ちで各人の研究を進めていた。

 なにせ昨日から柊宵宮がいない。


 この千両研究室の副室長であり、横暴を体現したようなあの神経質な男が、だ。この千両研究室の責任者であり室長の、千両玲斎の研究旅行に帯同している。

 普段『あの気分屋の老人に迷惑ばかりかけられている』と宵宮はぶつぶつ愚痴を言っているが、何のかんので、尊敬する師である事には変わりないらしい。茜達が『ついていきたい』と言ったが、『貴様らにはまだ早い』などと跳ねのけて、自分一人だけ千両博士について行った。独り占めにでもしたいのだろうか。子どもだ。

 帯同不可なら帯同不可でそれでもいい。茜達も、あの口うるさい宵宮がいないので、のびのびと作業ができる。指導的立場の人間が不在となるが、いざとなれば隣の研究室なりどこかの研究室に助けを求めればいい。他の研究室と仲が悪いのは宵宮だけで、茜達新人四人は、柊宵宮と同じ空間で過ごさなければならないというだけでほぼ無条件に同情してもらえる立場だった。


 ――新人四人。

 茜、朱夕、透はのびのびとしている。

 しかし、残る一人。夜羽音望月は三人と比べて対照的だった。


 大変気落ちしている。研究作業の手こそ止まっていないが、いつもぴょこんと元気に跳ね上がっている前髪ひと房が、眉と共にへんにょり垂れ下がっていた。


「……わっかんねえ奴だよなあ」


 あでやかな風貌には不釣り合いの粗野な口ぶりで、茜が朱夕に話す。宵宮がいないので、声を潜める必要もない。朱夕の方も、不思議そうな表情だ。


「もっちーが一番喜んでいいと思うのにねえ?」


 研究室の机配置の関係で、新人は三人で組み合わせた机の島と、飛んで宵宮とほど近い望月一人だけの机に分かれている。宵宮が雑事などを押し付けてくるので、『ハズレ席』だ。研究所に所属して席が決まった時は、順番に交代するような話になっていたはずだが、宵宮の苛烈な性格に、他の三人は席替えの話を一切話題にしなくなった。

 かろうじて南天であればまだ耐えられるかもしれないが、なんだかんだで組み合わせ的に四人の中では望月が一番宵宮への耐性が高かった。三人としては人身御供、生贄、人柱――なんであれ、望月を自分達の犠牲に捧げてしまった事を時折申し訳なく思っていたのだが……




「はあ……」

「柊がいなくてため息つく神経が、わかんねえなあ」


 アタシなんか、踊り出したくなるけどねと茜が小さく腕を振ると、おもわず南天が噴き出した。それを誤魔化すように喋り出す。


「ま……まあ、夜羽音さんは、お兄さんがいるから」


 夜羽音新月は隣の研究室所属の研究員だ。望月の兄というのが一目でわかる甘い顔の美青年である。あと、新月も前髪のあたりがひと房ぴょろんと跳ねあがっているので、そこにも血の繋がりを感じる。

 その夜羽音新月は、望月と兄妹二人で生きてきたためか、望月をやたら過保護気味に扱う。可愛がりが過ぎてやや支配的になる事もある。それが基本で育ってきたためか、望月は多少上から押さえつけられているぐらいの方が、安心するのかもしれない。意外と難儀な性格だった。

 宵宮の高圧的な態度や物言いに眉をひそめて文句を言うから不満はもちろんあるのだろう。それでも、宵宮からお叱りや皮肉が来ないこの天国のような――天国も何も、それが普通の研究環境だが。ともかくこの環境を唯一ありがたいと感じない稀有な存在だった。


「ぎーやんがいないから、作業、進んでるでしょう?もっちーってば、いつもぎーやんに横槍をいれられてたじゃない」


 何度目かのため息が出たところで、朱夕が自分の席から望月に声をかける。宵宮本人の前では『柊副室長』などとやたらかしこまった言い方をするが、朱夕はのびのびといつもの調子で喋っている。なお、ぎーやん呼びがバレたら、本気で宵宮から舌を抜かれる恐れがある。宵宮はそれをやりかねない男である。


「確かに進むけど……宵宮さんから別の指示が入るのが、ちょうどいい気分転換になっていたから……もうずっと同じ作業をしていると、何をやっているのかわけがわからなくなりそう……」


 もののとらえ方は人次第だ。茜などは無駄話が多いが、いざ作業に入ると集中力はかなり高い。そのせいで、一瞬でも集中が途切れると半呼吸前に行っていた作業すら、どこまで進めていたかわからなくなる。望月は、その横槍がいいらしい。


「あっ、ならさあ夜羽音、アタシの作業、手伝う?」

「黒鉄さん」


 駄目だよと透が静かに咎める。茜も、『手伝ってくれたらラッキー』ぐらいの冗談だ。本気ではない。望月の方も、単純作業が嫌なわけではないはずだ。こまめにチェック項目を潰している。本当に、単純に、宵宮不在がさみしいらしい。


「変わった奴だよなあ……」

「ぎーやんが聞いたら、喜ぶかもねえ。撮っとく?」

「喜ぶかなあ、柊さん……」


 美少女が自分を思って物憂げにため息――まあ、間違ってはいない。ともかく、そんな話を聞けば、若い男性であれば浮つきそうなものだが、こと宵宮がそんな一般的な反応を返すとは考えづらい。気味悪がるか面倒がるかぐらいのものだろう。

 押さえつけてくる圧が必要というなら、そもそもの原因であろう兄の新月に登場いただければ十分代用できそうだ。しかし、宵宮がいれば頼んでもないのに難癖をつけに来るが、宵宮がいないと、とんと顔を見せに来ない。隣同士とはいえ研究室が別なので、普通はそうだ。むしろ普段がおかしい。研究室間は、データとして動かせない資料や試料のやり取り程度でしか交流はない。まして宵宮や新月など若手と言えど後輩を持つようになれば、それらの雑事は後輩に頼む形になる。


「もっちー、もっちーのお兄ちゃまが海外発表で不在の時に『お兄ちゃまロス』を起こしてたけど、ぎーやんでもなるんだ……」

「柊でなるんなら、アタシらだっていなくなりゃあんな感じになるんじゃねえの?試してみるか?……なあ、南天」


 茜が透に視線をやる。


「別に僕、遠くに出かけなきゃならないような研究題材、持ってないよ?」

「軽く足の骨を折って、入院してみろよ」

「やめて!?そんな軽く言うのは!」


 恐ろしい話である。


「今時、骨折程度で入院はないよ。入院する骨折だと、オオゴトになりすぎて洒落にならないって」

「洒落で人に骨折を提案しないでよ……」


 フォローでも何でもない。まあ、朱夕が止めなければ骨折はないにせよ、暇潰しに丸めたコピー用紙で頭をぽかりとやられるぐらいはあったかもしれない。『だなあ』と頷きながら茜が机の上に紙束を置いているのを、透は見なかった事にした。




 そこで、電話が鳴った。宵宮の卓上の電話だった。外線ではあるが、事前に登録されている番号からは通常とは違う着信音が鳴る。

 宵宮の席にほど近いのは望月だ。

 望月は距離など関係なく、その着信音だけで目を輝かせると、電話を取った。


「は、はい。こちら、千両研究室直通です」

『望月か』


 まあ当然そうだろうと、特に驚きも何もない声が受話器から聞こえた。電話越しなのでいつもと声がわずかに違って聞こえるが、この直通番号を知っている人間はごくわずかだ。


『すまんが確認したいデータがある。俺のフォルダの――』


 自分の名も告げず、さっさと用件だけを話し始める。

 ……実に、宵宮らしかった。不在の柊宵宮からの電話だった。

 望月は重要任務でも申しつかったように背筋をのばすと、軽快にパソコンのキーボードをたたいて指定のデータを呼び出している。


「転送した方がいいですか?」

『それは外部には出せんようにしてある。手間だが口頭確認でいい。……二十八行目冒頭がDで始まっているデータがあるはずだが……最終更新が少なくとも先月の……五十六か五十七……』

「えっと……五十七番がD始まりです」

『ああ、ならそれだ。そのデータの――』




「……生き生きしてるね、夜羽音さん」


 尻尾があれば、パタパタと振っていそうだ。


「まあ、人を使うのに秀でた人もいれば、人に使われるのに秀でた人もいるからねえ」

「柊は絶対に人を使うのに秀でた奴ではないだろうけどな」


 望月の様子を眺めながら、三人は好き勝手な感想を言っている。なんにせよ、望月が元気を取り戻しているようなので、何よりだ。


『――ああ、やはりな。わかった、もういい。確認が取れた。以上だ』


 事足りればあとは不要とばかり、礼の一つもなく、さっさと電話を切ろうとしている。


「えっ!?あっ、よっ、宵宮さん!?」

『なんだ?何かあったか。……ああ、そのデータはそのまま閉じろ。何も触るな』

「あの、えっと。研究旅行は順調ですか?」

『……おおよそにおいては。とりあえず、俺の手足はまだ揃っている。千両博士は、あの調子だと腕が一対ぐらい余分に生えて戻るかもしれんな』


 ずいぶんシニカルだ。千両博士によほど振り回されているらしい。宵宮の声の調子が違うように感じるのも、疲れが出ているせいなのかもと望月は察した。


『何かあればまた連絡する』

「あっ!えっと、えっと、宵宮さん!?」


 望月が話の引き延ばしを画策する。そこまでして話したい相手じゃねえだろうという茜のぼやきが、離れたところから聞こえてくる。それでも、望月にとっては二日ぶりの宵宮の声だ。……土日の休みを挟んでと変わらない、むしろそれより短いぐらいなので、懐かしむほどでもないと思うが。それでも望月は、誘拐犯からの電話の逆探知よろしく話の引き延ばしを――


『貴様と無駄話をしている暇はない!』

「でも――」

『国外から掛けているんだぞ、いくらすると思っている!』

「こくが……国外!?」


 研究旅行は国内だったのでは!?千両博士は確か、『土産は饅頭と煎餅、どっちがいいかの?』と言っていたはずだ。


『……貴様らを博士の供に出させん理由が、わかったか?』


 電話口から聞こえていた宵宮の声の調子がいつもと違って聞こえる様々な理由が、推察された。


「海外……ぶ、無事のお帰りを、お待ちしています……」

『無事に五体揃って帰国できる事を、誰より俺が望んでいる』


 通話が終わった受話器を手にした望月は、さらに落ち着きをなくす羽目になった。




※ 毎週【火曜日】【金曜日】に一話ずつ更新中。

  各話独立、続き物ではないので登場人物さえ覚えれば、多少読み飛ばしても大丈夫!


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