34話 録画禁止
研究所は研究者が憂いなく研究を進められるように、あるいは法律上やむなしとして様々な事務的部署がある。憂いなく研究を進めるためには健康的で衛生的である必要があるし、放っておけば昼夜問わず机に向かうような人間をどうにかせねばならない。社会的責任も果たさねばならない。
そんな中で、柊宵宮と『懇意に』ならざるを得なかったハラスメント委員会が、今年度に入ってその案件数を大幅に減らしていると、タップダンスでも踏んでいそうな軽やかな報告を出していた。
一番の懸念点だった問題人物の案件が、年度当初以降は他研究室の合同研究絡みでのみとなっている。前年度でも、後期は案件が減っていた。それは研究室の実働人数が宵宮一人になっており、パワハラされる人間が、そもそもいなかったから。明快過ぎる理由だ。なお、それでも零にならなかったのは、我が身が招いた忙しさのせいで、元から問題のある人間性に拍車がかかり、他研究室と事あるごとに問題を起こした事による。
今年はそれがほぼなくなった。
……宵宮の態度が改まった事ではなく、人員配置が適切であったからと委員会は結論付けている。
あの図太い新人四人組が宵宮を諦め、いなしてくれているおかげであると。寛大な新人と接する事で、柊研究員の人間的成長を期待する、などと議事録には残っていた。
おおよそにおいては、間違いではない。
宵宮はさほど変わっていない。
人間の根本は。
ただし、宵宮をよく知る人間からすれば、大きな変化が起きているとおどろきの声をあげるはずだ。
※ ※
研究室に、朱夕の明るい声が響く。
「いくよー、いっせーのっ――」
だがそこで。
「いいか、今は休憩時間だ!」
宵宮の声が響いた。
なお、前年度の宵宮であれば、発声にするにあたって腹に籠もる力は二割り増しだったし、何より声だけでなく机の上の文房具なりファイルなりが飛んでいた。……ハラスメント以前の問題にも思うが、ともかく今年度は怒声だけですんでいる。
「んっだよ。だから、休憩時間だろ?うるさく言うなよな」
茜が唇を突き出して威嚇する。一昔前のチンピラめいた仕草だ。
「そうとも、休憩時間だ。貴様らにとっても――俺にとっても、な!?」
多少騒ぐぐらいであれば宵宮も――研究が円滑に進んでいるかにもよるが我慢をした。だが、ここ連日、スマホで音声を流しながらキャッキャキャッキャとかしましく騒ぎながら、新人の女子三人組でダンスを踊って遊んでいる。最近流行りの歌だが、それにダンスをつけて撮った動画を公開するのが流行っているらしい。
「研究室で騒ぐな!俺の安眠が妨げられる!」
「研究室は柊の寝室でもねえだろ!家で寝て来いよ!だいたい食った後ひと眠りなんて、牛か?」
「うるさい。集中して事に当たるからこそ、休息は必要だ」
「えー、柊副室長、勝手すぎー」
ぶーぶー。スポーツ観戦のブーイングのようなジェスチャーを朱夕が取る。
双方それぞれに意見があるようだ。柊と茜、朱夕が真っ向から対峙する。
一緒に騒いでいた望月は楽しくなりすぎて確かにちょっとうるさかったかも。あと単純に揉め事が嫌いなのであわあわと三人の間でまごついている。
「――そうか。望月。お前は反省できるな?実にいい」
「え、いや、その……」
望月は別にどちらかに積極的に味方をする気はない。揉め事が収まってほしいだけだった。しかし、宵宮に味方認定され、二対二の形に持ち込まれてしまった。中立などと言えば聞こえはいいが、楽な方に逃げようとした罰が当たったのかもしれない。
宵宮の方も、世界中を敵に回しても自分が正しいとなればたった一人で持論を掲げる気概がある。別に同数や数の暴力に出ようという気はない。味方という名の足手まといなど不要とも言い切りそうだ。そもそも望月を味方に加えたところで、戦力にもならないだろう。宵宮には。
ただし、茜と朱夕側は、内容はどうあれ二対二の同数という事で少し動揺している。これぞ平等を称える現代教育の『すばらしさ』だなと宵宮は鼻で笑った。
そして形式的に拮抗した以上、残りは弁舌だ。
……宵宮は宵宮なりの理論があり、一側面においては確かに正しい。が。弁舌のふるい方がすこぶるまずい。およそ共感や賛同を得られない。今回は聴衆がいないからいいが、聴衆がいた場合、宵宮自身は自信満々だが、まあ勝ちの目はない。同様に、弁論において双方の落としどころを見出させる話しぶりからかけ離れているので、話は平行線を辿る。世界の果てまでペンを走らせても、交わる事はないだろう。
「ねえ、皆、やめましょう……?」
誰より先にそれを把握した望月が、一番利口だった。
不毛な争いが続いていたところで一階のカフェからコーヒーをテイクアウトしてきた透が研究室に戻ってきた。事態は混沌に陥りかけたが、どうにか望月だけでなく全員がとっぷり腰どころかつむじまで泥沼に埋まっている事に気づいた。何よりだった。
「ともかく、騒ぐな。そもそも、こんなところで録画していいわけがない」
重要研究ばかりなので感覚が麻痺しているが、当然門外不出な重要データを取り扱っている。休憩時間は卓上を整えているとはいえ、ほんの一行ばかりの書きつけでも、見るものが見ればどのような方面の研究をしているのかはわかる。背面の書類棚の乱雑な並びの使用頻度ぶりからも推察はできる。
「別に、アップはしないよ?」
楽しんでいるだけだと朱夕が主張する。
「録画の時点でアウトだ。スマホのデータ管理がどう行われているかなど、小学生でもわかる事だろうが」
撮影、録画、記録の類は研究室に届け出をしてある機材で、という事になっている。……その割には、どこの研究室も、仲良く研究室メンバーの記念写真をSNSにあげている気もするが。
「小学生に多くを求めすぎだろ」
「黒鉄。貴様を基準にするな。探求心のある子どもは、通常自分の身近なところから、世界を知る」
「アタシの事はいいだろ!?」
「だいたい、甲高い悲鳴のような声で呪文のように早口で喋る歌と、品のない踊りだけでも頭が痛いのに、それを何度も何度もこの数日……」
宵宮が額に手をやり頭を振る。実際、かなり堪えていたらしい。
「だって、揃えるの、大変なんですよ」
クオリティを求め始めると大変なのだと、望月が答える。
「流行りなのだろう?子どもでも踊っていると。子どもでもできる事ができんのか、貴様らは」
「い……色々あるんですっ!」
「そうだそうだ、わかってねえなあ!」
「柊副室長、偉そうに言わないでよねー?」
特に女の子同士だと、ダンスの質もだが、自身の可愛さもキープできている必要がある。
「何がだ。簡単ではないか」
額から手を離した宵宮は軽く手を振ると、トン、トトン、トン――と振り付けをこなした。
音楽無しであるが、おそらく合っている。少なくとも、望月よりは上手だった。
「え。なんだよ柊。上手いじゃねえか。……実はこっそり練習してたのか?まさかアタシらと一緒に踊りたかったとか!?なんだよー。言えよー!」
バッシバッシと宵宮の肩を叩いていた茜の手首が捉えられる。
「……練習せずともできるぐらい、貴様らが延々繰り返していたからだ。……なんなら、その動画部分のフレーズだけなら、そらで歌えるほどになあ!?」
「あっ、騒ぐなら向こうでやって!僕のコーヒーが零れる!」
戻って来てから静観を決め込んでいた透が、自分が巻き添えになる危険が出た途端、慌て始める。幸い、そこで昼の休憩時間が終了となったので皆、ぶつぶつ言いながら自分の席に着き始める。
「いいか!?貴様らがまだ半人前だと俺が舐めてやっているおかげで、容赦されているんだからな!?勘違いするな!?」
「人を舐めてる事を、偉そうに言うんじゃねえ!」
「ああ、もう……みんなやめましょうよ……」
「柊副室長のダンス、撮っときゃよかったなー」
これで『例年になく円滑な人間関係が形成されている』と、研究所のハラスメント委員会は判断を下している。……仲がいいと、言えなくもない。のかもしれない。
※ 毎週【火曜日】【金曜日】に一話ずつ更新中。
各話独立、続き物ではないので登場人物さえ覚えれば、多少読み飛ばしても大丈夫!
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