28話 リサーチ!
「立花さんの、どこがお気に召さないんですか?」
望月の言葉に、うんざりしながら宵宮は顔をあげた。
いつぞやの話をまたぶり返すのか。
事実無根の話を。
女というものはどうして色恋沙汰を好むのか。――おおいに偏見に満ちた思考を巡らせている。
主語が大きくなりすぎているが、望月個人に対して考えるなら、望月は色恋沙汰が大好物だった。
というか、望月は、顔はそこらではおいそれと見かけない美少女顔だが、ものの考え方や好みはいたって俗かつ平均的だった。宵宮が日常的に――席の位置関係や研究内容的に、多く接するのは望月だ。それゆえに、望月は宵宮にとって『世の女性』の代表となりつつあった。……問題が多そうだ。俗で平均的とはいえ、望月イコール女性の総意とするにはあまりに危険すぎる。
そもそも宵宮は、人間全般に対して蔑視のきらいがある。望月云々程度は些末かもしれなかった。
「お気に召す?お気に召すのは、事務作業が確実なところぐらいだ」
それ以外に価値はないとばかりに、宵宮は机の端の書類棚に提出された書類に目を向けた。
南天が取りまとめた備品の請求用紙だ。宵宮が目を通して、申請のサインを入れたものを立花に渡し、最終的に研究所の決裁が降りる。
「その用が足りているのであれば、それ以上に期待するところもない」
立花の評価すべき点はそれだけではないが、その確実性には信を置いているらしい。
「……キビキビした人は、苦手なんですか?」
「判断を先延ばしにするよりはマシだと思う。だが、そういった一つ一つが問題なのではない。最終的に、細々としたそれらで構成された一個人が好かんのだ。これに関しては、早期に双方で見解が一致している」
気にくわない。だが、研究所での研究作業を遂行するにあたって、双方の成すべき事を成す分に関しては、不可侵とするという、大人の取り決めだ。べつに宵宮に限った話ではなく、大人でも子どもでも、それなりに線引きされる事だ。こと、まったくそりの合わない二人の間では、もはや条約に等しい。
「なら、切れ長よりは、たれ目が好きという事ですか?」
「……おい、望月。職場環境の事についての話ではないのか?」
宵宮は、望月の事だから、色恋沙汰の事でないならばみんな仲良くなどと、学級会の議題にできそうな話題を振っていたのだと思っていた。宵宮にとっては研究が滞りなく遂行できるのであればどうでも構わない事だが、世の人間は、滞りなく遂行するにあたり、人間関係が円滑である事を求める事例が多い。そこにかかわる話だと。
だから、研究所の業務時間中での会話として宵宮は面倒でも応対していた。しかし、単純な人間の好みがどうこうという話になれば、それは世間話だ。それが許される職場もあろう。いくら止めても無駄なので、新人四人のそれらは、研究に支障をきたさず、宵宮を不快にさせる音量と内容でない限りは甘受する事にしている。
好む好まないの話を望月達が勝手にする分には宵宮の機嫌次第で放置をするが、その話題に宵宮が乗りたいわけではない。
「休憩時間になると、宵宮さんさっさと食事に出るか、そこの長椅子で寝ちゃうじゃないですか」
休憩時間でそれなのに、どうして業務中なら大丈夫と思ったのか。宵宮は眉間に皺をよせた。
その不快さを端的に示す反応に、望月は敏感に反応した。どうやらこれ以上機嫌を損ねるのは得策ではないと察したらしい。兄の新月で慣れているのだろう。……新月と同類扱いされては、別種の不快さが湧くが。
「……宵宮さんは、綺麗系より、可愛い系が好きですか?」
不快である事を察知したのではなかったのか。
むしろ新月で慣れているせいか、まだいけるなと踏み込んでくるようだった。
「貴様らは――」
今日は他の研究室の装置を借りたりなんだりとで席を空けている者もあり、今このタイミングで千両研究室にいるのはこの二人だけだった。だから望月もこんな話題を出してきたのだろう。基本的に望月は、話しかければ答えるが、業務時間中の無駄話は少ない方だった。
……宵宮としては、二人になるととたんに余計な事ばかり喋ってくるという印象が強い。今日のように。
「貴様らは、俺をやり込め嘲笑ういいネタでも掴んだかと思っているようだが、この間話したとおり、事実無根の噂話だ。向こうが望んできたところで願い下げだ」
「立花さんが、宵宮さんに何か特別に望む事はないと思います……」
宵宮が眉を跳ね上げた。慣れてきたのか、朱夕達同様舐めているのか。この頃望月は宵宮相手にずけずけと物を言うようになってきた。茜のようにわかりやすく喧嘩腰ではない。朱夕のようにからかい交じりでもない。誠実で哀れな小動物のふりをしながら、意外と厚かましくものを言う。南天にもその傾向が見え始めている。研究作業に余裕が出てきて、たるんでいるのかもしれない。
「ああそうだな。なんにせよ大谷部がいる。研究室内のような極限の閉鎖空間で、惚れた腫れただけでも面倒だろうに、取った取られた寝取った寝取られたなど、地獄だ」
「えっ!?う、噂、だったんですよね?」
望月が慌てている。
「大谷部が古株扱いされ、俺がこの身空で副室長とされるような研究室など通常――無いとは言わんが、異例だ。ただ、何もこの状態のすべてを俺が招いたわけではない。むしろ、俺とは関係のないところで事を大きくして勝手に出て行ったり辞めたりする奴が多すぎたんだ」
研究者なので、見目の麗しさなどは多少の加点要素にしかならない。むしろ、研究結果やその工程でのあれこれにロマンスを見出す部類の人間が割合多い。宵宮はこのとおりなので、研究室内の人間関係は皆無だったが、それなりに人数が揃っていた時にはそこかしこで恋が巻き起こっていた事もあった。上手くいっている時はうざったらしいがそれでもよかった。こじれた時が地獄である。まして、ごく狭い空間中で浮気、果ては不倫などともなれば、もはや研究どころの話ではなかった。
……どこでもある話なのかもしれないが。
「俺という人間にかかわる以上、対抗するにあたり、徒党を組んで団結できるようにという配慮だったのかもしれんが――あまりややこしい事にはなるなよ」
新人四人で惚れた腫れたで揉めるのは勘弁してほしい。ようやく物がわかるようになり始めたところなのだ。去られては困る。
これ以上踏み込んで具体的に話し始めると、またこれもハラスメントだプライバシーの侵害だなどと不快極まりない騒ぎに巻き込まれるので、宵宮にしては歯切れの悪い口ぶりだった。
顔はいいがお人よし過ぎて冴えない南天透に何ができるとも思えないが、本人のあずかり知らぬところで勝手に火花を散らし合う事だってないわけではない。
生物というのは、繁殖期を迎えると、勝手に活動的になってしまうのだ。
「……とは?」
首を傾げる望月に、宵宮は軽くため息をついた。
「わからないなら、それでかまわん」
「それって、私達が透君の取り合いで喧嘩しないように、って事ですか」
「わかっているのなら聞くな」
わざわざ言われると居心地が悪い。
「透君は、いい人なのは間違いないけど、そういう感じじゃないからなあ……」
哀れだった。
そういう扱いの人間はよくいる。
「宵宮さんって別に、私達に対して達観して忠告するほどの立場とも思えませんが」
「なんだと。俺は、貴様らの指導監督をしているんだぞ」
「け、研究においてはまったくそのとおりで、それについては間違いなく尊敬と感謝をしていますが!研究者としてではなく――」
本当に尊敬と感謝をしているのか。宵宮は訝しんだ顔をする。
どうも新人四人にその色がくみ取れない。
まだ若くて舐められているというのか。千両研究室の人員があまりにスカスカすぎて他の研究室と体制が違いすぎるせいかもしれない。本来ならば宵宮だってまだ多くのベテラン研究員の元で師事を乞う立場だ。……宵宮の性格的に、それを耐えられるかはわからない。宵宮を御しうるのは、千両玲斎以外にはないのだろう。
「研究者としてではなく?それ以外、俺に何がある」
「……宵宮さんの好きな芸能人って、どんな人ですか。歌手でもいいです。アイドルの名前が出たって――驚きはしますが、笑いません」
「なんだ、急に」
「たれ目でもかまいませんよね。可愛いですよね」
「いや、だから」
考えてみれば、先ほどもそんな話題が掠めていたような記憶が宵宮にはあった。
「立花さんみたいな、涼やかできりっとした人が苦手なら、たれ目でゆるふわな方が、好みって事ですよねっ!?」
「万一たれ目になっていようが釣り目になっていようが、立花そのものが気に食わんというんだ。なんだ、望月。俺の好みの芸能人なんか知って、何を企む気だ」
そもそも、休憩時間にBGM代わりに流されているのをわずかに見る程度でテレビはろくに見ない。ネットの動画や広告は邪魔の一言に尽きる。かろうじて街中でよく聴く音楽がある程度だが、流行の流れは加速度的だし、聞き覚えがある程度で、その曲名も歌手の名前もろくに知らない。
そんな事を知ってどうする気なのか。別にコンサートのチケット取りをしてもらいたいわけでもない。そこまでご贔屓な芸能人はいない。
「つ、ツリ目な方が好みですか」
むぎゅっと望月が眉間に力を込めている。怒っているのか。何がしたいのか。宵宮にはよくわからなかった。幸いな事に、ちょうど昼休憩の時間を迎えた事で、宵宮はこの不可解な時間を強制的に終わらせる事に成功する。
※ 毎週【火曜日】【金曜日】に一話ずつ更新中。
各話独立、続き物ではないので登場人物さえ覚えれば、多少読み飛ばしても大丈夫!
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