21話 最高評価
「……望月は、夜羽音の妹で間違いないのかもしれないが」
どうしてこんな事を口にしているのか。
宵宮はそう思いながらも、その口をいつものようにへの字口に留めておく事ができなかった。
※ ※
「どういうつもりでオレの妹を、奴隷のごとく扱っているんだ!」
「所員規定に従った範囲で指示を出している。研究者倫理を逸脱した研究内容でもない。何の問題がある?」
きっかけはいつもどおり、望月の兄である新月がわざわざ隣の研究室から文句をつけにきたところから始まった。
隣の研究室は千両研究室と違って人員が多いのだから、解析済みデータを開くためのキータグを新月レベルの人間が持ち運ぶ必要などない。新人の、貴重な息抜きの機会を奪ってやるなと思う。
新人の代わりに、新月がこうして宵宮に文句を言い、日々のストレスを発散している。宵宮は宵宮で、手心必要なく口で叩きのめしてやれる相手だ。それはスカッとする。だが、このべらべらとうるさい相手の無駄口を聞かされるストレスがあるので、結局発散とはならない。いや――
「オレの妹は繊細なんだ。柊のような人間に荒く扱われていい存在ではない。それに、いくらろくな人材がいないとはいえ、新人に任せる内容とは思えん。まだそのレベルにはない。もっと丁寧に教えてやらねばならない。そもそもが――」
研究所の本館各部署への報告事項が増えているところに、千両博士が『儂が戻るまでにこれを頼む』と無茶ぶりをしてきた。他人相手に当たり散らしているのはお互い様だ。どうせ新月側も、どこかの部署から押し付けられたデータ解析が上手くいっていないのだろう。
お互いに苛立っていた。
当たり散らす相手に遠慮はいらない。ストレスの発散。だから、その原因は何だってよかったのだろう。きっとそうだ。
「……望月は、夜羽音の妹で間違いないのかもしれないが。今この研究室にいるのは、夜羽音新月の妹、夜羽音望月ではなく、一研究者、夜羽音望月だ」
「なんだと?」
「家庭においてはお前の保護下に――そろそろ保護下に置く必要がある年齢なのかとも思うが、それは家庭の問題だ。好きにしろ。しかし、この千両研究室内において、責任者は室長の千両玲斎博士であり、博士が不在である以上、副室長の俺、柊宵宮が、研究員の指導、監督責任を負う」
「他を追い出して人材が無いから副室長なのだろうが。偉そうに言うな」
「どうあれ、事実はそうだ。千両玲斎は、俺を選んだ。俺に託した」
「――!」
その一言は、新月に喧嘩を売るには十分だった。
千両博士にあこがれを持っている新月は、事あるごとに千両研究室への異動願を出している。隣の研究室は、博士や先輩研究員が研究室の次代の柱として新月を大切に育てているのに、恩知らずな話だ。
また、新月は宵宮と望月関連になると沸点がおかしくなるが、基本的には穏やかで華やかな見た目の割に性格は実直でこまやか。
地道な繊細で定型的な作業を着実に行う事の評判は高い。隣の研究室のようにデータを扱う研究が合っている。破天荒で特例作業の多い千両研究室の研究は合わない。だから実働が宵宮一人という開店休業状態のような研究室の状態であっても、異動願だけでなく直接千両博士に直談判までしたらしいが、『儂には宵がおるからのう。君は隣にいてくれた方がいい』と、袖にされてしまった。千両博士としては宵宮を遠慮なく振り回せる状況の方がいい、適材適所という考え方からそう言ったのだろうが、新月側の『コイツのせいで』という思いは深まるばかりだ。
あらためて口にされて、新月は歯を見せるほど睨みつけた。
「研究指導の方針について、博士から根本的な方向性の違いの旨指摘された事はない。俺の考えは博士ともおおよそにおいて違いはない。指導の方針も、進度も。必要に迫られてという実務上の問題はあるが、俺は望月に限らず、新人すべてにおいて、研究者として指導を行い、期待を寄せている」
横で見守っていた望月が、顔をあげた。毎回懲りねえなあと呆れて見ていた茜達すらも。
期待?期待と言った?柊宵宮が?
「……それに足り得るか、まだ何とも言えんが」
まあ、そんなところだろう。どうせ新月の手前そういう言い方をしているだけだ。実際は普段のとおり、けちょんけちょんにこき下ろしたいところを我慢しているのだろう。それでも正直にそれを表明して切り捨てられるよりはいいと四人は思った。
「ただ、博士が選んだ人材だ。程度と時期に差は出ても、それに応え得る研究者のはずと思いたい。少なくとも、ただの有象無象よりは」
ぐっと新月が凄む。宵宮は『別に貴様の事ではない。夜羽音がどう思うかはともかく、俺は貴様を評価している。……でなければ、愚か者を相手にいたぶる事になり、あまりに品が無さ過ぎる』と煽っているのかどうなのか、という感じで油を注ぎ続けている。
「研究所が、ローテーションだなんだと、ただただ機械的に人材を送り込み、適性に合わないと明確にわかっていながら『異動時期ではないから』などと双方に負担を押し付けるやり方は、合わん。ここは、そういう研究室ではない。まったく何を考えているのか」
どちらかというと、宵宮はこちらの方に腹を据えかねている感じがある。だからといって、研究員をやり込めて追い出す事の正当化にはならないが。
「――急ぎ育成を進めているため詰め込み式になっている指摘は受けるが、望月はそれをなし得る人材だ。優秀な研究員だ。現時点での期待には応えている。俺は望月を評価する。お前は違うのか?夜羽音望月は何もできない愚鈍な研究者だと?だから俺に手心を加えてやれと、そう言うんだな?」
「それは――」
「兄、夜羽音新月にとって妹、夜羽音望月は守らねば生きていけぬ存在かもしれないが、研究者柊宵宮の目に、研究者夜羽音望月は、千両研究室の研究員であると紹介するに恥じない研究員と考える。順調に育てば、この研究所においてなくてはならない存在にもなり得ると」
涼やかな目で、宵宮は新月を見下ろした。
「貴様の目には、そう見えんのか?」
「……」
「夜羽音望月は、研究者として実績と経験は不足するが、だからといって過小評価され、軽んぜられていい存在でもない。……失せろ」
「……っ」
「あー!もう!夜羽音先輩、いつまでサボってるんですかー!もうすぐ二号機の分析終わりますから、一緒にデータの見方、教えてくださいよ!」
いつものごとく、『夜羽音新月回収係』を申しつけられた新人研究員が隣からやってくる。普段であれば、もがいて居座ろうとするのだが、今日の新月は、素直に新人に引き摺られていった。『助けが来た』と、内心では思っていたのかもしれない。
※ ※
不愉快極まりない。宵宮が、椅子の背もたれに深く身を落とす。海外の文献をさらっていたはずなのに、どこまで読んでいたのか、わからなくなった。舌打ちをする。
「今日はまた、コテンパンにやったもんだなー……」
茜が、いつも以上の迫力を見せていた宵宮に、へへっと笑っている。
「もっちーが一番できる子なのはわかってたけど、柊副室長、そこまで買ってたんだねえ」
「からかうな、三暁洞。夜羽音の態度に腹が据えかねただけだ。大幅に盛った」
「盛ったとしても、柊副室長は、嘘は言わないじゃーん」
「確かに、貴様らの中では望月が一番マシで見込みがある、誰か一人の指導監督だけでいいと言われれば、俺は望月を選ぶ。貴様らは勝手にしろ」
酷いという者もいれば、その方がいいという者もいた。
「望月。今説明したが、盛ったのだからな?自惚れるな?」
「わ、わかってますよ?」
そうは言うが、喜びで頬を染めている。なんだかぴょこんといつもより元気よく前髪が跳ねている気がする。
「……夜羽音は、お前が産まれた時から見て来たから仕方がないのかもしれないが、お前をいつまでも『小さな妹』として扱い過ぎる。それではお前が育たん。背は今さら伸びんだろうが、人間としてはまだ成長できる。研究者としても。……正しく伸ばしてやらねば、俺のような偏屈な人間ができあがる」
ただ、宵宮をこんなふうに育て上げた千両と、こんなふうに育ってしまった宵宮の指導で、正しく育つかどうか。
「頑張りますね!私達」
照れて笑う望月を見て、宵宮は少し心が安らぐ。文献の読みかけていた箇所に辿り着いたおかげだろうか。
「好きに育て。多少方向調整してやるぐらいの方が、俺も楽だ」
※ 毎週【火曜日】【金曜日】に一話ずつ更新中。
各話独立、続き物ではないので登場人物さえ覚えれば、多少読み飛ばしても大丈夫!
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