20話 懐柔作戦
さて困った。
望月がへそを曲げている。子どもではないのだから、へそを曲げているも何もないが、その原因はどう考えても宵宮だった。いつもの調子で言い過ぎた。
今までならば『それがどうした』ですませていたところだが、こと、今に至ってはそれがどうした、ではすまない。人間として弱くなったのか愚かになったのかについては、論じている場合ではない。
研究を進めるにあたって、今回研究室全員による人海戦術が必要だった。研究員としての実力は心もとなくとも、手と目があれば、乗り切れる問題だった。根気の良さもほしいところだが、あの面子にそれを期待するのは酷だ。適当な小休止は、必要だ。懐柔するための菓子は、千両博士あての贈り物を流用して何とでもなる。
ただ、その人海戦術を可能とするためには、望月の協力が必要だった。
宵宮の指示で、最後まで円滑に事を進めるのは無理だとわかりきっている。
途中に発生する口喧嘩とそこからの機嫌取りの所要時間を考えれば、都度各人との関係修復を試みるのと比べて、望月一人を相手にする方がよほど効率的だった。
大人なのだ。
大目的を果たすためならば、薪にも臥そう、肝も嘗めよう。……望月の機嫌も、取るほかなかった。
「……多少、口が過ぎた」
宵宮の口からここまで出る事自体、もはや異例だ。だが、宵宮の口から出るのが異例なだけで、これは一切詫びではない。ごめんなさいの一言が出たら、それは天地がひっくり返った時かもしれない。これを詫びと考えているのが、人間の営みにおいては異例といえば異例である。
「何が不足だ。三暁洞より先に、好きな菓子を選ばせてやるぞ?ん?」
完全に物を与えて子どもを懐柔しようとする、駄目なパパムーブである。宵宮がそれを知る由などないが。
何が不足かというならば、まずは謝罪の言葉ではないだろうか。
しかし、望月の要求は別のものだった。謝罪の言葉もほしかったとは思うが。
「優しくしてほしいです……」
「……は?」
「いつもいつも、宵宮さん、酷いです。もっとこう、優しくしてほしい……人として……」
「こちらは要求に応える気はある。だが、抽象的な要求には応えきれん」
「そういうところがもう……『優しくする』のどこに、迷う要素があるんですか……!」
望月の言い分はもっともだったが、それが理解できていれば、宵宮はハラスメント委員会と『ツーカーの仲』になどなっていない。
ハラスメント委員会の電話は、宵宮の卓上電話直通が内線の短縮番号で登録されている。最近は頻度も減ってきたが、過去においてこれほど頻繁に使う先もないし、そもそも、個人に対して短縮番号を登録する必要なんて本来ないはずなのだ。あえて解除はされていない。全電話共通、各棟、ないしは本館共通以外の自由登録枠で真っ先に登録されたのが宵宮の番号だ。各電話に設定されている長々とした内線番号を打たずにボタン一押しで宵宮と『小粋なトーク』を開始できる。……ハラスメント委員会も、そんな事、誇りたくもないだろう。
ちなみに、今回望月が怒りだか哀しみに震えている原因の言動が、もし委員会に伝われば。『またか!』『どうすれば理解できるのか!?』と、望月より先に委員会の誰かが泣くかもしれない。
「優しさについての定義は、まず前例を作っていかなければ対処しようがない。俺に、その蓄積がない」
「……」
「具体例を開示してくれ。例示でもいい」
わかりづらいが、かなり宵宮は歩み寄りを見せている。
人海戦術で動くためにも、本当に望月だけは、どうにかしなくてはいけない。
新月に助けを乞うてもいいと思うぐらいだったが、今この状態で新月を呼べば、ややこしい事になるのは確実だった。望月を置いて、隣の研究室に向かっても同様だ。多少時間稼ぎができる程度の事だろう。
望月以外の新人三人にバレても、状況を悪くする。不在の今、早急に解決が必要だった。
「なんでも?」
「限度がある。三暁洞のような、調子に乗った要求には屈しない」
ここにはいないので冤罪のような気もするが、朱夕に弱みを見せたら調子に乗ったお願いやおねだりをするのは確実だろう。ましてその弱みが、およそ見せる事のない宵宮が見せたとなれば。流石に望月がそこまで調子に乗る事もないと思われるが。
……いや、はたしてどうだろうか。『なんでも?』なんて確認を取ってくる時点で、警戒する必要がありそうだった。
まさか、ハラスメント委員会にパワハラではなくセクハラで議題にのぼるような要求はしないと思う。何であれ議題に上る事自体が問題だが、宵宮にとってはそこは不名誉であるらしい。呼び出しそのものに、もっと不名誉感を持ってあげてほしい。
「新月お兄ちゃんみたいに、してください」
「……」
具体例!
具体例を寄越せと言ったはずだ!宵宮は叫びたかった。
宵宮の記憶において新月は、ともかく理由をこじつけて喧嘩を売ってくるか、演台で得意気に発表している姿ぐらいしか印象にない。たまに望月の自慢話をしている事もあるが、新月と望月のやり取りはあまり印象にない。宵宮に噛みつく新月の後ろの方で恥ずかしそうに頭を抱えているか、隣の研究室の『夜羽音新月回収係』とともに、新月を止めている姿か。
ともかく、夜羽音兄妹の日常の姿というのはあまり印象にない。
同じ研究所に所属しているとはいえ、公私の区別はつけているという事か。
……何にせよ、参考データがない。再現しようがない。
「ならば夜羽音は、普段望月にどうしている」
一時噂になっていた、『淫靡で耽美な美人夜羽音兄妹』が現実のものとなるのだけは勘弁してほしい。そんな衝撃の事実など耳にしたくないし、人海戦術のためにそこまでする気は宵宮にはない。
「頭を撫でてほしいです」
「……頭を撫でる?」
あの男は、妹とはいえそんな事をまだしているのか。宵宮は呆れたが、機嫌取りの許容範囲には収まる。そこは安心した。
……いや、肉親でもないのに相手の体に触れるのはどうなのか?向こうからの要望であったとして、研究員間の関係性で、それは適切ではないのでは?宵宮は眉をひそめた。
とても素晴らしい模範解答である。それをぜひともパワハラ方面でも発揮してもらいたいと、ハラスメント委員会は切に願う事だろう。
「それは夜羽音にしてもらえ。そこまではできん」
「けち」
「……」
「今、舌打ちをしましたか?」
「そりゃあするだろう。三暁洞ほどではないが、望月、貴様もいい面の皮をしているな?」
甘やかすとつけあがる。
「なら……褒めてください。頭を撫でるに値するぐらい。褒めて褒めて、褒めまくってください」
「……」
宵宮が額に手をやった。唾を飛ばす勢いで叱りつけてもいいのでは?その疑問と戦っているようだった。
「今日の挨拶は一味違ったとか、目の輝きが宝石のようだとか、振り向くたびに揺れる髪が――」
「待て!それはいつの話だ!?」
いつぞや無理やり言わされた、望月の美点である。あげるところが思いつかず、苦肉の策としてあげたところばかり望月は口にした。
「やめろ。それ以上口にするなら、褒める代わりに罵倒しか出てこず、状況をより悪化させる。それは、双方の望むところではないはずだ」
「……それは、まあ、はい」
望月も納得したようだ。
とはいえ、先ほどの美点の一件ではないが、いざ言われると困る。
「……望月は、声をかけると、必ず返事をするところがいい。ファイルを順番通り棚に戻すのもいい。その場の雰囲気で適当な回答をしておいて、後で確認をしたら自分が何を返事したか忘れるような事が無いのもいい」
それらはことごとく褒めるべきところであろうか。人として当然では?と今回も思うのだが、宵宮が細々と悩まされているところでもあるらしいので、とりあえず望月は黙る事にした。
「自分の作業を進めながらも、俺の指示もそつなくこなしてくれるのは、大変助かる。最近は、無理なら無理で、正直に相談をしてくれるので、こちらもどこまで任せられるのかの指標がわかりやすくなった。……それに、その任せられる範囲も増えてきた。成長をしているのは望月自身の努力によるものだ。俺は見ているだけだが、心地よさを感じる」
いい感じだ。褒められている感が出て来た。
「……他の三人と俺の橋渡しという面倒な役を引き受けてくれて大変助かる。できれば今後もそうしてくれると、より助かる」
「……ちょっと、欲が透けて見えた気がします」
「いかんか?」
「駄目ではないですけど。宵宮さんが必死な理由がわかって、少し冷めてしまいます」
ふう……と望月が静かに息を吐く。
「どこまで調子に乗るんだ。さては望月。貴様、三暁洞以上か?」
「流石にゆんゆんほどではないです。あそこまで上手に可愛く調子に乗れたら、最強ですよ」
「女の目から見ると、三暁洞はそう見えるのか」
「可愛いでしょう?ゆんゆんは」
「したたかすぎて、利口さが鼻につく」
なかなか意見が合致しない。
「まあ、いいです。いくらか腹の虫がおさまりました。そろそろ三人も戻ってくると思いますし」
「どうしてアイツらはオープンテラスで焚火なんてしたんだ」
「私のいない時にそんな面白い事をするなんて、酷いですよね?」
それでお説教を喰らっているらしい。焼き肉がOKで焚火が駄目なのは納得いかないと言いながら茜が出て行ったので、今度はどこの誰かは知らないが、焼肉組が、安全保安委員会から呼び出しを喰らうかもしれない。
「それで、宵宮さんがそうまでして私の協力を必要とする何があるんですか?」
「ああ、それなんだが――」
※ ※
「なんだ、柊」
今日も今日とて新月が因縁をつけに来た。さっさと『回収係』に来てほしいが、それまで時間稼ぎでもするほかない。
「いや?貴様らの兄妹仲がいいのは聞かずともわかるが、頭を撫でて褒めるなどしているから、望月はいつまで経っても一人立ちができないんじゃないか?」
「何を言っている。幼い時に、周囲がしっかりと愛情を傾けてやる事が自己肯定感を高めるんだ。その自信は大きな財産となる」
小さい頃ならそれは確かに意味があるだろう。
「しかし、大きくなってからもそんな事では――」
「小学生のうちぐらいは、甘えさせてやってもいいだろう。ランドセルを背負っている限りは子どもだ。流石にそれ以降は、子どもではあるが、対応を変えた」
「……ん?」
宵宮が口元に手をやる。
「なんだ。ともかく、コモ――オレの妹は、立派に育っている。親を早いうちに亡くしたからといって、軽んじる事は許さんぞ!」
「いや、その……んん?」
何というか。若干、手持ちの情報に齟齬があるような。整合性が取れなくなった気がする。あるいは俺の認識ないしは前提に、何か間違いがあったのか?宵宮は混乱している。
宵宮は考えた。考えた結果、その辻褄が合う――合うのだろうか。その解を導き出した。
「なんだ!謝るなら今だぞ!」
「望月は――お前から久々に頭を撫でてもらいたがっているのでは……?」
「なんだそれは。……いや、そうか。ふふ。まだまだ子どもだな、コモも!」
これでも辻褄があっていない気もするが、何やら蛇どころではすまないものが出てきそうなので、宵宮はそれを最終結論とした。ちょうどそこで『いた!先輩!』と、夜羽音新月回収係が、隣の研究室から飛んで出てきた。
※ 毎週【火曜日】【金曜日】に一話ずつ更新中。
各話独立、続き物ではないので登場人物さえ覚えれば、多少読み飛ばしても大丈夫!
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