16話 さみしがりコモちゃん
望月がしょんぼりしている。
理由は明白だ。兄の新月が、隣の研究所の博士と共に、海外の研究発表に参加して不在のためだ。
あの口うるさい新月の、ともすれば監視めいた同居生活を思えば、いない方がせいせいしそうだ。事実、望月は人生でそうない自由を謳歌しようとしていた。茜や朱夕を呼んで、ピザやコーラを宅配してもらって大騒ぎをしたらしい。……学生時代にすませておくべき事のようにも思うが、まあ、そこはいい。
しかし、地方での発表なら日帰りやせいぜい一日の不在だが、海外ともなれば一日二日程度で帰ってくるのは稀だ。新月達同行する若者でもきつい。まして主である博士ともなれば、身がもたない。
そして、意外かもしれないが、茜も朱夕も、それなりに『いいところのお嬢さん』なのだ。
なかなか図々しさもあるが、本人や周囲はそれなりにしっかりしているため『あまりよそのお家にたびたびお邪魔しては』というごく当然な配慮がなされた。
結果として望月は一人を持て余している。本日が完全一人二日目なようだが、早くもグロッキー気味で、家に帰りたくないなどと言っている。
しかし、宵宮が聞きたくもないのに聞かされた限りでは、昨日は眠たくなるまで茜や朱夕と画像通話で喋り続けていたようだ。完全一人とも言い難い。それでこの様子だ。
新月と共にいるのは悪影響であり、一人暮らしをした方がいいのではと宵宮は思っていたが、これでは無理かもしれない。
いや、こんな事だからこそ、なおさら一人暮らしをした方がいいのか。
幸い、女性用の単身寮は部屋が余っている。噂では男性用の単身寮と同時期に建築されているのに、間取りから設備から女性用の方がいいとまで噂されている。申請書類を数枚と証明書類をつければ、業者が室内クリーニングを終え次第、すぐさま単身寮に引っ越しできるはずだ。
「宵宮さん。私、残業したいです。明日の朝まで、パターン組み替えてずっと分析しますから……」
「俺は別にかまわんが、研究所がそれを許さんので無理だ。諦めろ」
一昔前のような事は許されないのだ。宵宮としては非常に残念であるが。
「そんなあ……」
しおしおと望月が宵宮の机の縁を持って、しゃがみこんでしまう。
「……おい、望月」
「はい?」
しゃがんだまま、望月がちらりと宵宮を見る。舐めた態度と注意をしたいが、いったん脇に置いた。
「夜羽音はあれで隣の研究室では若手のメインとして扱われている。国内外問わず、向こうの博士の助手的立場として飛び回る事が今後増える。そんな事でどうする」
「新月お兄ちゃん……私以外に頼りにされなくていいのにー……」
「無茶を言うな」
新月は望月や宵宮が絡むと途端にポンコツになるが、それ以外ではいたって優秀なのだ。別に望月も本気で言っているわけではないにせよ、それでは新月が浮かばれない。
「新月なら望月がそう言えば喜びそうにも感じる。あれは馬鹿だからな。だが、唯一の身内がそれでは、奴も実力を発揮しきれんだろう。――望月。お前が夜羽音の障壁となるなら、俺は『何らかの対策』を採り、貴様を除外せねばならなくなる」
宵宮は新月など気に食わない。煩わしい。しかしそれでも、臆せず噛みつくだけの気概と実力を持っている新月を、評価もしている。
ライバル――というのは癪ではあるが、内外が宵宮と新月を評するのに、そう扱う事も多い。双方の実力で研鑽し、蹴落とす事は大変心地よい。だが、外野が――まして足を引っ張って相手がずり落ちていくのは不愉快極まる。
望月を見下ろす宵宮の目は冷たかった。
「――」
望月は、自分の背に氷が押しつけられたように感じた。
表情をこわばらせる望月と対照的に、宵宮は小さなため息とともに、少し表情を緩めた。
「……同様に俺は、まだ判断を下すにはあまりに未知数過ぎるがゆえに、可能性を残している貴様を現時点ではまだ除外したいとも思わん」
「……え」
「早いうちに見込み無しと判断できていれば、そばについて手ずから退所届の書き方を教えてやり、本館に提出するまで、エスコートしてやるところだが」
ちなみに、宵宮は過去に実際、それをやっている。
もちろん人事やハラスメント委員会からその場で呼び出しを受け、このうえなくきつい注意を受けている。
宵宮は別室勤務。対象者には所属研究室の変更や手厚いフォローは入ったらしいが、数か月後に『実家のケーキ屋を継ぎます』と、強制を受けないのびやかな筆致で退所届が提出された。……彼の現在が幸せである事を祈るばかりである。通販お取り寄せ人気店舗のテレビ特集で顔を見かけたので、元気は元気だと思う。
望月はその詳細は知らないが、宵宮の横暴については、心配した周囲の研究員から心構え的にどんな事があったと話は聞いているので、宵宮のこの言動も嘘は一切ないのだとわかる。
多分見切りをつけられていたら、本当にそうなっていたのだろう。
「……命は許してもらえますか」
「俺を何だと思っている。最低保証がそこなのか」
なんなら、法治国家でなければ、そこすら危うい可能性も宵宮にはあるのだが、そこは黙った。
「だいたいな。一人で過ごしているというのを、そんなにあからさまに披露してどうする」
新月の予定は、研究室が別とはいえ、調べればすぐにわかる。それでも、調べなければ、意識するほどでもない。それなのに望月の様子を見ているだけで、新月の出張などはすぐにわかってしまう。
「……よからぬ輩に押し入られでもしたら、どうするんだ」
「普段から鍵はちゃんとかけてます。泥棒は大丈夫だと思いますけど?」
そこも確かに隙ではあるが。
「……黒鉄。女の一人暮らしについて、コイツに指導を入れておけ。……黒鉄!」
「え、なに?――あー!どこまで見てたか、わからなくなった!ふざけんな、柊!」
茜が涙目で抗議する。そばの朱夕と透が、あとでまとめてチェックを入れようとするからだと呆れながら、一緒にモニターを眺めてそのフォローに入っている。
タイミングが悪かった。そこまで見越して声をかけないと駄目な相手だと宵宮はため息をついた。茜もそうだが、望月は望月で対応を考えねばならない。人間と日々を接するというのは、本当に面倒事が多い。
「あのな、望月。たとえば俺がその気になれば、夜羽音の留守を狙って貴様の家に押し入るなどわけもないという事だ」
「前もっておっしゃっていただければ、きちんと招待しますよ?でも、何の御用でしょうか」
「……」
そういう事ではない。
「俺にその気はまったくない!俺の話は忘れろ。つまりは、そうやって不要に情報を相手に与えていると、知らず危険を伴うという事だ」
「……ああ!」
「理解いただけたようで何よりだが、あまりに鈍い。……いや、望月、お前本当に理解できているんだな?」
念押しをしておく。顔を青くするならともかく、赤くする意味が今一つ不可解だが、宵宮が注意したかった事は理解できているとした。
「ともかく、そんな事でどうする。夜羽音だって先々所帯を持つだろうに。いつまでも一緒とはいかんだろう」
こんなプライベートな話をしている場合でもないが。あと、新月はそれでも望月と同居を望みそうだ。容易に想像できてしまう。させるな。望月も相手も、それは流石に嫌だろう。
「新月お兄ちゃん、そんな相手ができてるんですか?」
「最近は聞いた事はないが」
新月は何でもかんでも自慢したがるので、変わった動きがあればすぐにわかる。そんな事まで知りたくはないが。まあ、過去の例でも長続きしている感じはない。妹第一主義なら、それも仕方ない話とは思う。
「なんだあ……宵宮さんなら知ってると思ったのに」
「研究に関してならともかく、貴様の知らない事を、俺が知るわけないだろう」
「だって宵宮さん、新月お兄ちゃんのお友達だし――」
「友達ではないな!」
即答である。
「なんだ、夜羽音の奴は、そんなおぞましい事を言っているのか」
「まさか。でも、こう……宿敵と書いて友と読む、みたいな」
「貴様らのわけのわからん道理に俺を適用させるな。無い。ありえない。そもそもライバル扱いだって俺は不服なんだ。夜羽音はどう考えても役者が不足している。俺のライバルなど、荷が勝ちすぎている」
「まあ、確かに、新月お兄ちゃんはもっと頑張らないといけないと思います」
「……ほう。そうか。妹のお前の目から見てもそう感じるか。客観的な評価ができるようで、望月は素晴らしい」
事実は事実ではあるものの、ちょっと宵宮は単純かもしれない。
「少し元気が出てきました。励ましていただいて、ありがとうございます」
宵宮にその意図はなかったが、まあ言いたい事は言ったし、それに関して向こうも必要事項の理解はできている。余分な事があまりに多かったが、目的は達せられた。望月がめそめそしていると煩わしいので、こうして笑顔を見せられるのならば、文句もない。
「……」
「どうしました?宵宮さん」
「いや」
親離れならぬ兄離れをさせた方がいいと外野は単純に思ってしまうが、どうやらかなり繊細に段階を追わないとならない。単純に引きはがすだけでは、人恋しさで望月はロクでもない男に引っかかりそうだ。かといっていつまでも新月にお守りをさせるのも健全な兄妹関係とも言い難い。
……どうして他人の家族関係にここまで頭を悩ませなければならないのか。忙しいつもりだったが、そんな事に思考を割く余裕があるとは、意外と俺は暇を持て余しているらしいと宵宮はモニターとキーボードに向き直った。
※ 毎週【火曜日】【金曜日】に一話ずつ更新中。
各話独立、続き物ではないので登場人物さえ覚えれば、多少読み飛ばしても大丈夫!
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