13話 バフ発生アイテム
別に宵宮は、甘いお菓子は嫌いではない。たまの甘味は疲れも癒す。ただし、『たまの』で十分だ。毎日はいらない。まして日に何度もは。
宵宮は手の中にある包装された焼き菓子と見つめ合っていた。
他の研究室に向かい、そのまま戻らない予定の千両博士が、出がけに『宵よ』とこれを渡していったのだ。別に渡した後の判断は宵宮に任せているので、極論としてそれをゴミ箱に叩き捨ててもかまわないはずだ。
……だが、宵宮だって、人としての良識はある。
「……三暁洞は、いないか」
こういう時は朱夕に渡すのが一番面倒がない。
朱夕は人に甘えるのが本当に上手な人間だ。そういうキャラを確立している。宵宮ですら、もはや受け入れている。十の要求に対して通るのは二ほどであるが、宵宮に関して言えば、一を通すのすら難しいので、異常な確率である。……なお、『世の中、そう甘いものではない』と、時折きつい灸をすえているので朱夕側も、甘える内容とタイミングは上手く計っているようでもあるが。
なお、これが望月や透相手の甘えだと内容もタイミングもかなり雑であり、その雑さでも、十の要求のうち、八から九は通す。二人は逆に、甘やかしすぎだ。
その朱夕は、研究所全体のグループ研修に出ており不在だった。
「望月」
「はい、何でしょうか」
データ照合の手を止め、進捗を確認しつつ、望月がメモを手に席を立った。宵宮からの指示は、詳細なのはいいが、新人の望月では名称すら知らない工程が差し挟まる事がある。質問や調べ直すためにもメモは必須だった。
今は休憩時間ではないのでその態度は基本の姿として大変よろしい。むしろついでだからと宵宮にお菓子を寄越す千両に問題があったし、それを考えると今の自分の行動も良いものではない。それらしい指示でも出して誤魔化すかとも思ったが、無理やりひねり出す指示もない。望月が優先順位を間違えて、今何より進めてほしい照合作業を後回しにされる事は一番避けたかった。
「……進捗は」
「二十三番まで進んでいます」
上々だ。
「ならばいい。そのまま進めてくれ」
「はい、わかりました」
中間報告だけかと望月が緊張を解いた。宵宮の眉間の皴は様子が変わらなかったので、進捗も問題なし、あるいは順調と判断したようだった。それは正しい。
「……望月、これを」
「はい?」
「……あの年寄りが俺に押し付けていったが、俺には不要だ」
お菓子の小袋を望月に渡す。望月の手に収まるほどの品の良い大きさだ。
「ありがとうございます……?」
そう答えながら、望月が向こうのテーブルの島に視線をやる。こういう場合なら朱夕では?という考えは望月にもあるようだった。そして、朱夕の机がぽっかりと空いているのを見て、今日がグループ研修日だった事を思い出す。だから自分なのだと、すぐに結論に辿り着いたようだった。
「――ありがとうございます」
あらためて、にこりと笑い、こっそりと返事をする。
茜や透の集中を奪ってはいけないという配慮かもしれないが――何やら秘密めいたやり取りの度を強める感じだった。
「……ああ」
朱夕と違って、他の者一人だけに菓子を与えたところで茜や透が騒ぎはしないだろう。だとしても、人数分ないからと一人だけに与えるのは、贔屓だなんだと宵宮に突っかかるエサを与えるようなものだ。宵宮も大袈裟な反応をとられたいわけではなかった。だがしかし。今の感じはなんとなく不気味――不気味とは少し違うかもしれないが、何やら居心地の悪いものを感じる。
「私達も実は千両博士からいただいていたんです」
「ああ、なんだ」
別に宵宮にだけ、というわけではなかったようだ。
それなら最初の段階で皆に振り分けておいてくれればよかったのに。注意をして見れば、朱夕の机の上にも同様にお菓子が置いてあった。誰の何であり、食べていいかどうかのメモまで千両は残していないようだ。しかし戻って来て気づいた時点で、そばの茜か透にでも聞けばいいだけの話だ。朱夕ならば、聞かずにぺろりと食べてしまいそうだ。……それはそれで危機意識が欠如している気もするが。この中では一番『いいところのお嬢さん』のはずで、本人も黙っていれば童人形めいた神秘さを有しているのに、そのあたりが残念だった。
千両研究室は『千両博士の顔採用』などと陰口をたたかれる美男美女揃い――という事になっている。三日もすれば飽きる顔ぶれだし、その陰口は、結果で叩き伏せている。宵宮からすれば不満しかない新人四人だが、他の研究室では『うちの新人――どころかベテランとでもいいからトレードしてほしい』と、泣いて羨む基礎的な実力を有している。でなければ、千両博士自らスカウトしてくるわけもない。宵宮も『これ以上使えん奴などなおさらいらん』と突っぱねている。……一月以上宵宮の横暴に耐えられるどころか流せる人材が貴重である事を、宵宮なりに理解はしているようだった。
なので、このように菓子を分け与え、『懐柔』を試みているわけだ。
すでに千両博士から分け与えられているのならばありがたみも薄れそうだが、それでも一定の効果はあるだろうと宵宮は判断した。事実、望月は嬉しそうにしている。
「ならこれは持って帰って、新月お兄ちゃんに食べてもらう事にします」
望月も、宵宮と似たタイプらしい。
というか、朱夕のように、あればあるだけ食べる小さな子どもみたいな人間が珍しいのだ。 宵宮ともなると、持って帰ったところで食べる気がなく、結局捨てる羽目になりかねない。なので、こうしてほかに回す。
朱夕からすれば『食べる気が起きないって何!?お菓子だよ!?』と、信じられない話らしいが。多分、望月の兄妹愛にも驚愕しそうだ。朱夕は、年の離れた兄姉からの愛をふんだんに受け取る側だ。朱夕が望月のようにあげると言っても、『いいからお前が食べなさい』と言われるのが決まりきっており、そのやり取りを確認するためだけに譲るフリをするぐらいのものだ。
まあ、朱夕の話はどうでもいい。
普段ならば好きにしろ。そもそもその報告は不要だと望月に返すところだが、宵宮はそれを咎めた。
「待て。それは承服できん。俺は望月に渡したんだ。夜羽音にではない」
「え?」
「お前が、お前の胃袋に処分しろ」
千両から貰ったものを望月に横流ししていながら言う事ではない。望月の横流し先が茜や透、朱夕であれば別に勝手にすればいいと流した。
しかし、新月は問題がある。
大元が千両からのものであるとすれば、千両博士に心酔している新月はありがたがって食べるだろう。あるいは、望月と暮らす世帯寮に神棚か祭壇でも作って、祀るかもしれない。その奇行に宵宮は関知する気もない。
だが――その経過を望月が話す際に、宵宮から望月を経由しているとなると、殊更ややこしい反応を示すのは目に見えていた。
宵宮と新月は、犬猿の仲である。
主に新月が宵宮に突っかかってくるせいだが、宵宮の性格で、突っかかって来られて、それに泣き寝入りやいなすだけで終わるわけもない。よって常に仲が悪い。
元々は千両博士のそばにいる研究者の座に関しての揉め事だったのだが、今年度はそれに望月を原因とするものが増えている。
まだ幼いうちに両親を亡くしている新月、望月兄妹。新月はことさら過保護気味に望月を育ててきている。さほど歳の差もない兄妹において、新月の苦労はいかばかりかとは思う。だがそのせいで、新月は望月の周囲に存在する人間への警戒心が異常に高い。
菓子をやったやらないだけで、異常な勘繰りをしてくるのだ。
たとえば、宵宮は朱夕によく菓子をやるという話だが、それに関しても、『オレの妹を奴隷のように扱っておきながら、労いを他に回すとは何事か!』と、噛みついてくるのである。煩わしい。
だからといって、今回のように菓子を与えたとなればそれはそれで勝手に問題にするのだ。
宵宮が何においても『敵』であるから牙を剥いているが、『隣の研究室の優秀な後輩』と把握している透に対しても、望月がかかわると眼の色を変えて噛みつく。
ハラスメント委員会に『看過できないセクハラを目撃した』として、新月は宵宮や透に関しての投書を乱発していた。ハラスメント委員会も最初の内は真面目に対応をしていたのだが、そのうちに『……ははーん?』と理解をして、目を通しはするものの、相応の対応と、『新月に』注意を促した。ハラスメント委員会はきちんと仕事をしているようだ。――なお『セクハラではないが、これはパワハラである』として、新月からの怒りの投書は、別の項目として宵宮がハラスメント委員会に呼び出される案件になった。
菓子を渡した程度で騒ごうと、委員会からの呼び出しはない。委員会も、深刻な案件にこそ力を注ぐべきだ。さりとて、宵宮自身、周囲で騒がれて気分がいい訳がない。
「でも、このお菓子美味しかったし、新月お兄ちゃんに……」
「別に、今日のうちに食べねばならない手合いの菓子でもない。明日でも明後日でもかまわん。ともかく、新月にはバラすな」
菓子の存在さえ知られたくない。
「……内緒ですか?」
「ああ、そういう事だ」
「宵宮さんと、私だけの?」
新月に知られたくないだけで、そこまで念入りに秘しておきたいわけでもない。ただ、『新月には知らせない』という事実は内包している。茜や透に知られたところで、朱夕の次としては妥当だろうと思うぐらいだ。知られようが知られまいがどちらでもいい。
ならば、わざわざ条件を変更する必要もないとして、宵宮は頷いた。
「わ、わかりました」
「……」
望月の反応にやや引っかかるところがあった。しかし、まさか望月が裏切って新月にわざわざ話す事もないはずだ。新月と違って望月は新月の過保護や大袈裟に頭を悩ませている。事を円滑にすませると信じられる。では何なのか。今のその感じは。
「内緒……私と宵宮さんだけの秘密……」
何やらぶつぶつ言いながら、望月はお菓子を大切に抱えて自分の席に戻っていった。
※ ※
「終わった!?照合が?」
データを出すだけであれば、単純な時間計算で可能であるが、照合作業は人力に頼るところが多く、神経を使う作業だ。望月が今日のうちに完了させるのは無理、明日の午前中に完了報告が来るだろうと宵宮は想定していた。
手を抜いて雑な照合をしたのかと疑いたいが、望月にそれはないと宵宮は理解している。だから望月に任せた。事実、照合項目のチェック内容や、結果について、一見する限りではあるが、問題はないように見える。期待通りの結果だ。
「あとは何をしましょう!?」
何だこのやる気は。宵宮は、少し引き気味だ。
「今日はもう、俺からは何もない。……そこまで急がせたつもりもなかったが。望月の方こそ大丈夫か。他にしわ寄せが行くのは、俺としても本意ではない。手が必要なら――」
「いいえ、そこは大丈夫です!それなら残りの時間は今度の発表に必要そうな論文をあたる事にします!」
「……それはまあ、任せる」
おそらく明日には元に戻りそうだが、何がそんなに望月のやる気を出させたのか。あの菓子がそんなに気に入ったのだろうかと、宵宮は首をかしげた。
※ 毎週【火曜日】【金曜日】に一話ずつ更新中。
各話独立、続き物ではないので登場人物さえ覚えれば、多少読み飛ばしても大丈夫!
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