12話 ふわふわホットケーキ
およそこの場所に相応しくない、いい香りが研究室内に広がっている。
電熱器があるのだから、簡単な料理ぐらいはできるのでは?それを契機に、本日、茜がフライパンを持ち込んできてホットケーキを焼いている。変に凝ったものではなく、ホットケーキの素のパッケージに書いてあるレシピどおりのものだ。製作者の提示した配合、基準にまず従う。こんなところにも研究者としての癖が出始めている。
「柊の奴、黙ってるな?」
休憩時間中の事とはいえ、絶対怒ると思っていた。
「分けてもらおうと思ってるんじゃないの?」
ホットケーキが基本的なものなので、その分たっぷりバターやシロップを使おうと、朱夕が買ってきたばかりのシロップの封を切って色々準備している。
「いい時に寄ったもんじゃの」
千両博士がにこにこしている。別に偶然ではない。今日は研究所の博士達が集まっての会合日となっていた。千両博士が出席する事は立花に確認を取っていたので、せっかくだから博士がいる時にしようとなったのだ。
立花も昼だけ南棟の千両研究室に来られないかと声をかけたのだが、休憩時間とはいえ色々細々あるらしい。代わりに大谷部に声をかけてくれたので、大谷部はとても楽しみにそわそわしている。ハンドミキサー無しで、卵白をふわっふわのメレンゲにしてくれた。レシピには『ちょっと一工夫』として案内が出ていたので、基本の調理工程から大きく逸脱はしていないだろう。……何より、大谷部の有り余る体力を有効活用しない手はなかった。
「温度、大丈夫かな?」
古い電熱器なので、安定感に心配がある。温度が上がってくるのにも相当時間が必要だった。濡れ布巾は準備しているものの、フライパンの底面を冷やすのはかえってまずいのではと、透はやたら気にしている。
「まあ、最悪火さえ通ってりゃいいだろ。温度がまずくて中まで火が通らないなら、それは南天に任せて――」
酷い!と濡れ布巾を手に、透が情けない声を上げているが、茜は無視した。
「んでまあ、二枚目から薄焼きパンケーキか、クレープにしてもいいし」
「いや、いけるだろ。案外そいつは根性ある奴だ。なあ、柊」
「……」
大谷部が宵宮を見るが、宵宮はあからさまに視線を逸らした。
「宵宮さん?」
「……」
視線を逸らした先にいた望月とまともに視線が合い、なおさら居心地悪そうな顔をした。
「それ使って、おれ達一時期よく飯作ってたんだよ。今ほど退出時間のチェック厳しくなかったし。研究室に泊まりとかも普通にやってたから、焼肉とか、野菜炒めとか」
「へえ、いいですね、楽しそう!」
「こいつは俺をダシに、他の凡愚どもとどんちゃん騒ぎをしていただけだ。データが揃うまで研究室に残らざるを得なかった俺の横で!」
なかなか残酷な話である。
「柊には、鍋パーティーの一番いいところ、食わしてやっただろ?」
「肉も何も残っていない、締めの雑炊だけをな!?」
儂はそれすら食べさせてもらっとらんがのうと千両博士が口を挟む。食べたかったというよりは、何にせよ宵宮が人と共に時間を過ごせているのだと伝えたいようだが、伝わってはいないようだ。
「肉から何からのうま味を全部吸わせた雑炊だぞ?」
「うま味そのものを寄越せ!俺からも参加費といって金をむしり取っておいて!」
「いつまでも根に持つ奴だなあ。後輩も遠慮せず参加できるように、っつうおれ達からの配慮だったのに」
「いいなあ、鍋パーティ!これが上手くいったら、今度はそれやろうぜ!」
茜が、ぽおんとホットケーキをひっくり返す。
やや焼きムラはあるが、なかなか上々な出だしだ。
「何!?蟹!?牡蠣!?」
ずいぶんな具材を朱夕は御所望である。――という事は、開催された暁には、千両や大谷部、宵宮はスポンサー枠でご招待いただけそうだ。
※ ※
「……おらよ、柊」
順番に焼いているが、その中で、宵宮にも紙皿が差し出される。
「あれは、昔の話だ。俺は巻き込まれただけではあるが、新人の内は、それで何かしら作って騒ぐものだから同様に見過ごしてやっただけだ。今それに交ざりたいわけではない。貴様らで食え」
「アレルギーで食べられないとかならともかく、せっかく作ったんだから、あたたかいうちに食えよ。可愛くねえなあ」
「俺に可愛さがあってどうする」
宵宮が手の甲で、差し出されている紙皿を押しやる。
「可愛いぞー、宵」
「そうそう、お前は可愛いぞー、柊」
先に焼いてもらって食べている千両と大谷部が宵宮をからかう。なお、大谷部はすでに食べきっており、今はシロップだけを紙皿に足して食べている。
「……貴様ら若い奴で食え」
宵宮も四人も、似たり寄ったりに思うが。先輩風をふかしているわけでもない。頼りない四人をよほど幼く感じているようだった。
「でも、昼休みの間中ここにいたんだから、宵宮さん、お昼食べてませんよね?」
望月がもっともらしい事を言って心配そうな顔で宵宮を見た。
「食べてもいいかと思っていたが、甘い香りに酔いそうだ……睡眠不足が堪えている」
「せっかく研究所が退所時間を厳しく管理して、研究員の生活を守ろうとしとるのに。健康委員会が泣くぞ?」
千両博士が参加した会合の報告の一つがそんな話だったらしい。千両研究室在籍だとハラスメント委員会ぐらいしか耳にする機会はないが、研究所全体では色々福利厚生や、暴走する研究者たちの首根っこを押さえるため色々奮闘しているらしい。
「だったらなおさら食べた方がいいと思います」
望月に言われ、宵宮が押しやっていた紙皿に手を伸ばした。嫌そうな顔だ。作り甲斐がない。
「……黒鉄、ではいただく」
「おっ?夜羽音相手だと素直じゃねえか」
「夜羽音は、貴様らの中で一番不可解かつ、頑固だ」
「えっ!?」
望月が小さく声をあげる。
「折れてはならない事で折れる気はないが、食うか食わんか程度の事ならさっさと折れる方が早い。食べるなら食べるでさっさと食べないと、今度は昼の休憩が終わる」
「面白くねえ奴だな……まあいいや、ほらよ。シロップは三暁洞からな」
大谷部がドバドバとシロップを使ったので、これ以上使われてはあとの自分達がかける分がなくなると、朱夕がシロップ番をしていた。
「別にこのままで十分だと思うが」
「駄目だよ!バターとシロップは無いと!」
シロップの無駄遣いは許さないが、適切な量は提供する、むしろ強制するぐらいの勢いでシロップ番が凄んでくる。
「……わかった。三暁洞、いいか。控えめ。控えめでいい。わかるな?」
望月ほどではないにせよ頑固者ばかりなので、宵宮は折れた。
「控えめだと言っているだろうが!」
「半端にかけたら美味しさのバランスが崩れるんだってば!」
「それが許されるなら、おれがもうちょっと貰ったって、よかったんじゃねえのかよう!」
……みんなそれぞれに頑固なのに。自分が一番というのは納得いかない。複雑な表情で、望月は茜に紙皿を差し出した。
※ 毎週【火曜日】【金曜日】に一話ずつ更新中。
各話独立、続き物ではないので登場人物さえ覚えれば、多少読み飛ばしても大丈夫!
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