11話 効果的な言葉
宵宮の横暴に、新人四人はそれなりに慣れてしまっている。各人ぶつかったりからかったり泣き寝入りしたり表面上従うなど、応対はしているが、決して納得しているわけではない。
本人がいないところでは宵宮の文句で盛り上がっている。
以前舌を引き抜かれかけたので、朱夕は宵宮の前では『柊副室長』などと冗談交じりで口にしているが、本人がいないところでは『ぎーやん』呼びである。なお、無期限執行猶予中。バレ次第、ぎーやん閻魔大王の手により舌切り雀に現世転生してしまう未来が待っている。
ともかく、望月だって文句はある。
むしろ、席が近くて宵宮からあれをやれこれをやれ、あれはまだかこれはまだかとうるさく言われてしまう立場だ。あんなに素直に言う事を聞く必要はないと言われるし、茜に至っては『一発ぶん殴ってやっても誰も文句は言わねえ。アタシなら、もう百発はアイツを殴っている』とまで言うほどだ。
望月は『年上の男性から高圧的に押しつけられる』というのは兄の新月で慣れている。新月の場合は『兄さんはコモの事を思って』などと、心配や過保護からくるタイプだが。どちらにせよ相手の意図を無視しているという事には変わりない。
だから望月のストレス耐性は高いのだが――
※ ※
「どうしてこの程度の事ができない。他の研究室の同期はまだ甘やかされているようだが、千両研究室にこんな低レベルな人間は不要だ。今まで指示してきた事と根は同じ事なのに、お前はそれを学習しとらんという事か。貴様の頭は何のためにそこにある?バランス取りのためだけに乗せているのか」
……研修などで流される動画では上司も部下も『いや、そんなんパワハラに決まってますやん。それよりもっと微妙で、判定に迷う事例を紹介してくれ』と無為な時間を過ごしている気持ちになるが、どうやら宵宮のような人間のためにあの動画はあるらしい。そして、必要な人間には、それが一切届かない。ハラスメント委員会の呼び出し常連になっている意味も察せられよう。
宵宮の頭こそ、研究以外にはバランス取りにしか使用されていないのかもしれない。
その宵宮が、大きくため息をつく。
「……望月。貴様に多くを求め過ぎた。あの三人も帰った。貴様を引き留めて状況が良くなるとは思えん。お前の程度に合わせねばならんとは不愉快だが、明日以降に向けて、俺も対策を考える。もう帰れ」
「……」
望月は口を引き結んで話を聞いていたが、そのままだった。
宵宮が常から寄せている眉根を、さらにひそませた。
「帰れと言った。それすら俺の思うままに動かんつもりか」
「……確かに、宵宮さんの指示どおりにできませんでしたし、それならそれで早く相談すべきだったとは思いますけど。……でも、どこから相談すればいいか、途中でわからなくなって。相談するからにはきちんと整理してからでないとと思って……」
「俺は言い訳を聞きたいわけではない。貴様の程度を見誤った俺の問題だ。あの三人であれば、もっと微細な指示を出し、途中経過の確認もした。そもそも任せなかった。買いかぶり過ぎていただけだ。見込み違いだったから、程度に合わせると言っただろう。――貴様はその程度でしかなかったというだけだ」
「……っ」
宵宮としては事実を説明しているつもりかもしれないが、選んでいる言葉をことごとく間違えている。望月の様子を見て、宵宮も何やらおかしいと感じているようだ。しかし、そこで方針を変えるのは、それこそ宵宮が不要とした『言い訳』にしかならないと感じるらしい。余計に言葉選びを間違えていく悪循環だった。
普段であれば望月も宵宮の言葉選びのまずさに内心でため息をつきつつ、脳内で翻訳をしていたのだろうが、流石に余裕がなかった。
上手く指示を進められそうにないと思った時点で、すぐ宵宮に相談すればよかっただけの事だ。その判断を違えた悔しさもある。宵宮に相談をすれば愚図の何のと顔を顰められるのは確実だ。それでも、宵宮は相手の罵倒を目的にはしない。研究第一なので、すぐに問題点の洗い出しと進捗に合わせた修正指示を出してくれただろう。それが、終業時間過ぎても居残りとなっている。
上手くできないなりに、二の手が打てたはずなのに。
言われる理由はわかっている。……それでも言い方があるのではないか。
望月は背の高い宵宮を見上げぐっと睨んだ。
茜でも引くほどの罵倒をしてやりたいが、望月にそのボキャブラリーはない。耳にはしても、口から出てくるほど馴染んではない。もちろん手など出しようもない。
けど何か、宵宮に言い返してやりたかった。なにか、なにか、なにか……
絶対敵わない相手に対して、自分が加えられる、できる限りダメージの大きい何か。敵わない相手。そう、たとえば兄の新月に対してならば。
「そんな事を言う人は――嫌いになります」
「……」
「え、っと」
あっ、間違えた。宵宮のここまでの言葉選び以上に間違えたと望月はすぐに気づいた。宵宮に重ねていた新月の影は、今や見ていられないほど狼狽していたが、宵宮は眉根を今までとは違う形に顰め直しただけだった。困惑している。
「……それが、何だ?」
「いや、その、えっと」
「何か変わるのか?」
宵宮の困惑は、ますます深まっている。
「その態度を改めて表明する事に、何の意味が?それで俺に何か変化を加えられるとでも?嫌われて衝撃を受けるとでも思っているのか?『他人に嫌われているなど、露とも思っていない』と?貴様らでもあるまいに、俺がそこまで厚顔無恥だと?」
「ち、違います!」
そういう煽り方をしたかったわけではない。
「であればなんだ。……ああそうか。夜羽音はこれで効果があるのか。あの男の貴様の可愛がりようは見ていられないほどだ。なるほど、嫌いと言われれば、この世の終わりのような顔でもしていよう」
想像の新月は『兄さんの何がいけなかったんだ』と涙声になっている。
「あの男は貴様を支配せずにはいられんようだが、貴様は貴様で、そうやってあの男を支配しているわけか」
「そういうつもりじゃ……」
これは最終手段だ。この研究所に――千両研究室に誘われたからと進路を決めた時が直近だ。それ以降は使っていない。……ほんの数か月前の事なので、それをどう取るかは、望月本人としても難しいところだった。
「夜羽音はそれで効果があるようだが、夜羽音と一緒にされてはかなわん。俺は望月の兄ではない。……溺愛の度すら越えるような兄では」
「それはそうです……」
「……貴様は俺を夜羽音のように、『貴様に嫌われる事で変調をきたす』ような人間のカテゴリに置こうというのか?目論み違いも甚だしい。だから今日のような見通しの甘さを出すんだ。初手で絞りきれとは言わんが、あまりに無関係の予想を立てるのは、愚かしいの一言に尽きる」
「……ええと……」
「貴様は疲れている。だからそんな馬鹿馬鹿しい思考を辿り、愚かな言動を行うんだ。……さっさと帰れ。食事を摂り、風呂にゆっくり浸かり、早々に寝てしまえ。そのうえでまだその思い上がりを見せるようなら、それこそ考えねばならん」
「……思い上がり?」
確かに、宵宮に対して対新月用の言動は、見当違いもいいところではあったが。
「……俺もさっさと帰りたい。施錠は俺の役割であるし、注意力散漫どころではない貴様に施錠など絶対に任せられん。……帰るように」
「……」
「……夜羽音に迎えを呼ぶか?」
隣の研究室は、しばらく前に室長の博士が施錠して帰ったのを物音で確認している。新月は今頃世帯用の職員寮に戻っている事だろう。何事かとすっ飛んできて、オオゴトになる。
「か、帰ります……」
「そうしてくれ。俺もなんだか頭が痛くなってきた」
双方職員証をかざして各種ログインを解除し、端末を落とす。望月は何やら釈然としないままに宵宮に礼をして帰っていった。
宵宮はそれをいつもよりも眉間に皺を寄せて見送った後、指差しをしながら研究室内の鍵を閉めていく。
「……」
注意力が散漫になっている気がして、指差しをしながら、もう一巡する。鍵のかけ忘れはなく、研究室全体のロックもかける。扉を揺さぶり、完全に鍵がかかっている事を確認する。念入りに。大丈夫。かかっている。
※ ※
「……望月は、何なんだ」
兄の新月から、兄一人妹一人と二人だけで生きてくるとああいう考え方になるのか。愛されて育った人間の判断基準というのはそうなのか。宵宮は混乱していた。
嫌うの嫌わないのと。
確かに嫌われないならそれに越した事はないだろう。それで物事が円滑に進む事の方が多い。しかし、それが状況をひっくり返す奥の手と思えるのか。人に嫌われるというのが、それほど恐ろしいのか。人に嫌われるというのは、それほどあり得ない事なのか。
……あれほど俺に罵倒されてきて、まだ『これから』嫌う余地があるというのか。
そうカードを宣言してみせただけで、伏せたままのカードは、茜や朱夕、透とも変わらないのだろうが。まあ、あの三人に比べれば、誤魔化し方は上手いと思う。
「よくわからん奴だ……」
どうして嫌いになると言われて、衝撃など受けるんだ。どんな前後関係があって?馬鹿ではないか。
そう思いながら、こめかみなのか胃なのか――何を起因として湧いたのかもわからぬ痛みを急に覚えつつ、宵宮はゆっくり単身用の寮に帰った。
※ 毎週【火曜日】【金曜日】に一話ずつ更新中。
各話独立、続き物ではないので登場人物さえ覚えれば、多少読み飛ばしても大丈夫!
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