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人斬りスローライフ  作者: 遠梶満雪
第一章 花の翼も朽ちるまで
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31/37

31 結びに代えて

 雨が止んだ。あれほど降りやまなかった冷たい雨が。

 赤い傘は地べたに転がっていた。

 スヤンは両翼をだらりと落としたまま、言葉を紡いだ。


「剣を抜くと、糸が絡まる。縁も、因縁も。離れようと斬れば斬るほど刃は巻き取られて、重く、鈍くなっていく」


 初めは、一本の名もない護剣でいるつもりだった。

 振りは軽く、斬撃だけがどこまでも残り、刻まれる一振りの刀。

 自我などなく、いつか儚く折れ、誰の気にも留められず、記憶にも残らず、道端で果てればそれでよかろうと思っていた。


 気がつけば、長く生き延びすぎていた。

 いつしかその剣には、スヤン自身に向けられた思慕、恨み、羨望が、もつれ、纏わりつき、どこにも逃げられなくなっていた。


「だからお前には、無縁(・・)でいてほしかった」


 スヤンは掠れた声で言った。


「この濡れた(うで)では(おまえ)を台無しにしてしまうと思ったから」


 ただの気まぐれに拾った子どもが、少しずつ大きくなる度、狭かった世界に自分の知らないことが増えていった。幼い自分の得られなかったものを与えてやる度、これで正しいのか不安になった。


 こんな鳥籠からは早く、軽やかに飛び去ってしまえ。

 先を歩く小さな頭が、嬉しそうにこちらを振り向く度、そう思って目を逸らした。


 スヤンの独白に、シャオはそっと返した。


「だからこそ、鳥は繕い合うのでしょう」


 スヤンに咲いた花が散っていく。

 けれども、まったく寂しくはない。

 また季節が巡ったときに、記憶は香気を纏い満開に咲き誇る。

 生きている限り、何度でも。


 スヤンは、疲労で力が抜けていくのを感じながら小さく呟いた。


「俺は……ここにいても、良いのだろうか」

「良いんですよ」


 僅かな隙もなく、凛とした声が響いた。エピだ。

 エピは、頬についた花弁を拭いながら、力強く繰り返す。


「良いんです。道に迷いながら辿り着いた人たちを、風見鶏(ベレタ)はいつだって歓迎します」


 ルセロも、ストラスも後ろで頷く。

 スヤンは唇を噛み締めた。


 かあっと瞼が熱くなって、初めての感覚に慌てて右手で目を擦る。

 すると鼻から温かい液が垂れてきて、それがまた先日ストラスに脳を割られたときの感触にそっくりで、焦ってシャオから身を反らした。


「……離れろシャオ、鼻血が出たかもしれない」

「ただの鼻水ですよ。第一、何を今さら」


 歪曲によって飛び散った血のせいで、辺り一面びちゃびちゃだ。

 シャオは呆れながら、ぐすぐすと鼻を鳴らすスヤンの顔を拭いてやる。


 すると、いつの間に目を覚ましていたのか、もはや聞きなれた声が頭上から降ってきた。


「なーにをベソかいとんねん。殺る気ィ削がれるわ、も~」


 大剣を担ぎ、ラディアンテスは心の底からしらけたと言わんばかりに鼻を掻く。

 表情を険しくしたシャオに、彼は指を向けて口を尖らせた。


「嬢ちゃん、もう兄貴から手ぇ離したらあかんで。ここには腹空かせた獣がぎょうさん住んでんのや。次はパクッ、やからな。ほんまに」


 脅しか忠告かそう言うとラディアンテスは、退散、退散とぼやいていつかのようにのしのしと帰っていく。

 エミリオが小さく会釈をし、小走りに主人の後を追っていったので、後に残された人間たちは肩を竦めるばかりだった。


***


 金槌の音が快晴の空に響く。

 歪曲災害から二週間後、工房市の熱気もひと段落したベレタ村では、村を挙げての大工事が行われていた。


 かつては家畜小屋だった赤い屋根の上、身軽な森番が大きな板を抱えて飛んでいく。

 彼は板を軒下に吊るすように提げると、地上を覗き込んで叫んだ。


「こんなもんかー?」

「うーん、もう少し右に寄せてくださーい!」


 大きな手振りと共にシャオが叫び返すと、森番があちこち移して比べて見せてくれる。


 数分にもわたる熟慮の末、その看板(・・)は無事に街道へ面した一番見栄えのする位置に取り付けられた。

 その下には新しい入り口が開けられ、コラソンとレイユンが興味津々に匂いを嗅いでいる。


 歓声が上がるのを、スヤンは少し遠巻きに、木陰で涼みながら眺めていた。

 いつの間にか横にストラスが座り、茶を半分取られる。


「己が一城の完成というのに、主人が掉尾(とうび)も飾らず眺めるだけとは」

「性に合わない。それに、今の身体で無理をするとシャオが怒るからな」


 二週間が経っても、歪曲災害として暴走した負担はなかなか癒えず、スヤンの身体は包帯だらけだった。文字通り、尾羽打ち枯らすまで狂騒したのだから無理もない。

 それに、何事も万事解決とはいかず、取り返しのつかなくなったこともある。


 しかし、あえてそれについては触れず、ストラスはくすりと笑って小屋に付けられた看板を指差した。


「何と書いてあるんだい」

奇逢(きほう)亭。数奇な巡り合わせという意味だ」


 森番に選んでもらった木材に、シャオが字を書き、エピの伝手で彫り上げてもらった。


「趣味がいい。文字も達者だしね」

「そうだろう。シャオは何でもできるぞ」


 自慢げに鼻を鳴らすと、スヤンは立ち上がり、人々の中に分け入っていく。

 梯子を下りてきた森番はエピの背中をばしばし叩いて笑みを溢す。


「よかったなあ旦那! とうとう、うちの村にも旅亭ができたぜ」

「はい、僕はとても嬉しいです。なんといっても、住人が増えて、もっと村が賑やかになりますからね!」


 エピの言葉に、スヤンは恥ずかしそうに微笑んだ。


 奇逢亭。

 あれから、スヤンとシャオは話し合い、ベレタ村で宿を開くことに決めた。


 今はまだ南方の渓谷は封鎖されているが、竜の渡りが終わればまた交易商人や遍歴騎士が通るようになる。小屋にはまだまだ部屋が余っている。それを旅人に貸し出し、食事を提供する。

 今まではメルカードまで行かなければならなかったが、ベレタ村にも滞在できるようになれば、村はますます発展していくだろう。


「しかし、よろしいのか? 君らは元々、南を目指すという話ではなかったか」


 首を傾げるルセロに、スヤンは静かに答える。


「……考えていた以上に滞在が延びそうだからな。いつまでも小遣いをもらっている訳にもいかないだろう」


 そう言って左の腕────中身のなくなった(・・・・・・・・)羽織の袖を弄ぶ。

 まだ重心の変化に身体が慣れず、歩いているとふらつきが出て何度も転ぶ。

 満足に剣を振れるまで勘を戻すのも、気の長い話になりそうだ。


「まだしばらく世話になる。覚悟しておけ、面倒を山のように押し付けるぞ」

「ふふ! それは退屈しないで済みそうですね~?」


 いたずらっぽく見上げるスヤンに、エピは栗色の長髪を揺らして、嬉しそうに立ち直る。


「それではもう一度、改めまして!」


 差し出された手のひらに、スヤンは頷き、一歩踏み出した。


 ベレタ村にようこそ。

 ここにいると、きっと明日の自分が楽しみになる。

 うまくいっても、うまくいかなくても。

 スローライフ。それが、人生(サッチ イズ ライフ)

ここまで読んでくださりありがとうございました

もしよろしければ、誰が一番気に入ったか、コメントで教えていただけると幸いです!

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