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27 首狩り

「えーっ、お兄ちゃん来ないの」

「行かない」


 シャオの袖に縋りついた少女────ジョスランが落胆した声を上げるので、スヤンはその小さなつむじを見下ろすように繰り返した。


 あれから何事もなく一週間が過ぎ、工房市の日を迎えることになった。

 戸口に立って、シャオとジョスラン、そして引率のストラスは出発前の最後の持ち物確認をしていた。


「本当にいいんですか?」

「人が多すぎると気が滅入る。それに、全員出かけたら誰がコラソンに夜の飼い葉をやるんだ」


 もう何度目になるか、シャオが不安げに聞いてくるので、スヤンは首を振って答えた。


 嘘を吐いた訳ではないのだが、シャオはまだ困ったような顔をしている。

 スヤンがついてこないのは自分に気を遣っているからではないかと心配しているらしかった。────まさか、留守番ができないと思っているのではないか、という考えは、怖いので黙っていた。


「夜中に客があっても出るんじゃないよ」

「分かってる」

「この前エピさんに聞いたお話みたいに、悪いお客人が私の声真似をしてきても騙されないでくださいね!」

「分かってる!」


 大丈夫だからと重ねて太鼓判を押すと、シャオはようやく納得してくれたようだった。

 シャオは、以前スヤンが縫った巾着を握り締め、振り返って言った。


「じゃあ、行ってきますね!」

「ああ。行ってこい」


***


 短い金髪をわしわしと掻いて、ラディアンテスは小柄な従者の名前を呼ぶ。


「なーエミリオ、ワシも花火見たいんやけど」

「だったら普段からコツコツ仕事をなさっておくべきでしたね!」


 そう言ってエミリオが追加で机に乗せたのは、署名するだけでいいからと商館長が送ってきた輸送船舶の購入書類だ。


 エミリオが軽く目を通した限りだが、商館長は相変わらず順調に儲けているらしく、彼女の商売の足を引っ張れば後でどれだけ執拗にちくちく言われるか分かったものではない。

 何回も書類の箱を運んで崩れたネクタイを直し、上司と揃いの赤いツーピースの胸元を払う。


 ラディアンテスは顔に似合わない上品な筆致で名前を書きつけると、書類をエミリオに突き返した。


「どうしたらスーやんは一回試し切りさせてくれると思う?」

「いや、そろそろ諦めましょうよ」


 エミリオはベレタ村にすっかり馴染んだ異邦人の兄妹の姿を思い返す。

 気のいい人たちだと分かってはいても、尊敬する騎士団長が彼らに執着するのは、何だか歯痒い思いがした。


 支配者(オーバーロード)らしく隔絶した実力を持つ彼には、部下(じぶん)は遊び相手としてすら不十分なのだ。


 少しだけ強く書類を握るエミリオの表情も知らず、ラディアンテスはいいことを思いついたと言わんばかりに立ち上がる。


「せや! あの剣返したったら乗り気になってくれるんとちゃうの?」

「もう無茶苦茶じゃないですか……」


 エミリオはいよいよ肩を落として柔らかい溜息を吐いた。彼が無邪気に目を輝かせる姿を見れば、毒気も抜けてしまう。


「物置きにしまったんやっけ?」

「借り物ですよ! 金庫に入れてあります!」


 エミリオは悲鳴を上げるように方角を指差して、部屋を出ていくラディアンテスを見送った。


 シャオから、あれはもういない家族との思い出の品なのだと聞いたときには青ざめた。

 手違いで駄目にしてしまったら顔が立たないと念入りに手入れしているのだから、それを考えても早く元の持ち主に返してほしいものだ。


 残りの書類は自分で片付けてしまうしかないと手を伸ばすと、ノックの音が遮った。


「団長、お客が……あれ、いない?」

「ああもう! 僕が代わりに話しますから、通してください……」


***


 支配者ともなれば、どれほど興味がなかったとしても宝石や美術品、稀覯本など丁寧な扱いが求められる品を贈られることが少なくない。


 永久保管金庫は、資金力に優れる赤蹄騎士団が所有する中でもとりわけ貴重な二等級魔術物品の一つだ。

 時空間延長魔術のほか、環境維持に適した魔術を贅沢に導入した一室には無数の貴重品が収められ、ラディアンテスでも詳細な目録はよく分かっていない。


 最近入れたはずの明天なら入口近くだろうとラディアンテスは木箱に頭を突っ込んで漁るが、十分ほどして顔を上げた。


「あれえ? 消えてもうたわ」


 エミリオが聞けば卒倒するようなことを呟いて、ラディアンテスは立ち上がる。

 思い出すのは、以前スヤンが言っていたことだ。


『明天か。その気になれば自分で帰ってくる。まだそちらにいるなら、居心地は悪くないのだろう』


 まるで剣に自我でもあるかのような口ぶりだったが、イザリアにだってそういう武器もあるにはある。そのときは然程疑問にも思わなかったが、こうなると話が変わってくる。


 あの細かいエミリオが至れり尽くせりの世話をしていたのは知っているので、この少しの間で紛失したり盗難されたとは考えにくい。


「なーんか、きな臭くなってきたわな」


 ラディアンテスは保管金庫から踵を返して足早に、執務室へ戻ることにした。


「エミリオ~」


 猫撫で声と共にドアを開けて顔を突き出す。

 その瞬間、嗅ぎ慣れた鮮血の匂いが鼻奥に広がった。


「このッ……ゴミ野郎……!」


 ラディアンテスの視界に映ったのは、いつも気弱な従者が何かの書状を片手に客人の顎を踏み砕く光景だった。


 エミリオは主人の帰りに気づいていないようだった。

 剣の柄で客の男の顔を殴りつける度、柔らかな金髪や丸みの残る頬に華やかな返り血が飛び散る。


 エミリオは痙攣する男の胸倉を掴むと、ソファから引きずり下ろし、力任せに窓から放り捨てた。

 それから、自分も転がり落ちんばかりに身を乗り出し、死にかけの肉塊を囲んでどよめく地上の団員たちに怒鳴りつけた。


「伝令! こいつの舌を抜いて送り返せ! 舐めやがって、クソ、クソ!」


 エミリオは歯ぎしりしながら、床に落ちた紙を執拗に踏みつける。

 靴裏に染みついた血が写り、紙は何度も判を押されたように汚れていく。


 口さがない団員からは女の子のようだと揶揄われる従騎士の姿はそこになく、彼は制御できない激情に呑まれ切っているようだった。


「おお……、何しとんの」

「……団長!」


 窓枠に手をついて息を荒げていたエミリオは、ラディアンテスの声に振り返り、心底悔しそうに叫んだ。


「やられました、【首狩り】です!」


***


 日も暮れようかという時分になって飛び込んできたエピの顔色はいつになく優れないものだった。

 事の始まりは、赤蹄騎士団にある書状を持った使者がやってきたことらしい。


「首狩り?」

「多分、スヤンさんにお話ししたことはないと思います」


 一応と出した茶に手も付けず、エピは本題を切り出した。

 穏やかでない響きの言葉に、向かいに座ったスヤンは片眉を上げる。


「イザリアには大小二十四の領地があって、それぞれに支配者(オーバーロード)がいます」


 メルカードやベレタ村は第十八区にあたり、現在は赤蹄騎士団のラディアンテスが支配者として知られている。


「支配者たる資質とは、絶対的な暴力。そして、それは領地と対応している二十四枚の金貨、【レガリア】によってのみ証明されます」

「つまり、そのレガリアとやらを手に入れさえしてしまえば、支配者として認められるのか」

「それは少し正確な表現ではありませんね。金貨は力尽くでしか(・・・・・・)所有できないんです」


 売買、譲渡、窃盗、姦計、ほかの如何なる手段であっても、その所有権の変更はレガリア自身が認めない。

 魔術協会が新しい支配者として認定し、特権を与えるのは、先代の支配者の血を流し、武力によって金貨を奪った人間だけだ。


「だから新しく支配者になろうとする人物が元の支配者に対して宣言して挑むのが【首狩り】です」


 当然、首狩りの成功率は低い。

 支配者が市民の支持を得ている場合や、そもそもの戦力が違いすぎる場合は尚更だ。

 逆説的に、首狩りを宣言されることは、支配者陣営にとって甚だしい侮辱となる。


 今回、赤蹄騎士団に首狩りを申し入れたのは、野盗紛いのことをするというので評判の悪い傭兵の一派のようだ。

 騎士団は随分とさか(・・・)に来ているらしく、すぐさま使者を「送り返し」、全面戦争の用意を進めているという。


 大体の事情は分かったが、とスヤンは腕を組んで答えた。


「だがあれは、頭はともかく腕は疑いようがないだろう。放っておいても自分で何とかする」

「それはどうでしょうか」


 エピは険しい顔で言う。


「一騎打ちで済むならそうかもしれませんが、今回は難しいでしょう。相手はあちこちで村や街を襲ってきた、対人戦闘に長けた傭兵団ですから……歪曲災害の相手に慣れた赤蹄騎士団では少々分が悪いと思います」


 ラディアンテスの戦い方は瞬間的な火力に秀でる反面、取り回しに難があり、周辺の被害は免れないという。

 敵に市街地へ入り込まれれば、思うように戦えなくなるのは明白だ。


「僕とルセロも騎士団側について戦うつもりです。今、首が変わる必要はないというのが代表会議の結論でした」


 混乱を防ぐため、首狩りの発生はメルカードにいる市民や商人、観光客にはまだ伏せられている。

 戦闘が始まればメルカードの門は閉ざされ、敵を皆殺しにするか、騎士団の拠点が陥落するまで開かれない。

 傭兵団はメルカードの南方、ベレタ村の南西にある平野に陣を構えつつある。騎士団はベレタ村のラインを防衛線とし、戦力を配置し始めた。


 スヤンは呼気を漏らすと、声を低くして呟いた。


「……つまり、俺にも剣を握れというつもりか」

「戦いたくないというスヤンさんの気持ちも分かります」


 シャオたちを人質に取るような形になってしまい、申し訳ないとも思う。

 しかし、とエピは深々と頭を下げ、力強い声で告げた。


「それでも……僕は最善を尽くしたい。また(・・)村が傷つくような事態は避けたいんです。どうか、助太刀を考えてもらえると嬉しいです」


 出撃の仕度のため、エピはあっという間に帰っていった。

 暗い室内に一人残され、スヤンは天井を見上げる。


「……ハァ」


 久しく使わない赤い番傘が、視界の端で微かに傾く音がした。

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